平和のためのAI倫理
-宗教界からの提言-
教主 黒住宗道

 人類は火を扱えるようになって進化を遂げたと言われますが、戦争という人殺しの道具に使われている現実を思うと、いまだに火を扱い切れているとは言えません。
 そんな未熟な人類が、AIというとんでもない文明の利器を手にしました。自縄自縛の淵に自らを追い込まないために、叡智の結集と協働による不断の努力が欠かせません。
 ありとあらゆる膨大な情報をたちどころに処理して決して忘却することはなく、さらに自ら学び続けて進化するAIに、そもそも私たちは、最低限守られなければならない重要な情報を、果たして十分に提供できているのでしょうか? 言うまでもないことを、敢えて言わなくてはAIに大切な情報が蓄積されないのであれば、世界の諸宗教が教え導く「愛と慈しみと真心の言葉」を、より多くの人々が日常的に用いる平和な世の中の構築こそが、結果的にAI倫理の問題も解決に導く道だと信じます。
 私は “Rome Call for AI Ethics(AI倫理のためのローマ宣言)”に心から賛同します。
 そして、私は「すべての武力紛争の即時停止と核兵器の廃絶、そしていかなるものであれ、AIの人を殺めるような倫理なき運用の禁止を強く訴えた『広島アピール』」を全面的に支持します。
  二〇二四年七月十日
  黒住教教主 黒 住 宗 道

 人工知能(AI)の開発や利用に必要な倫理・道義性について議論する諸宗教による会合が去る七月九日と十日に広島国際会議場(広島市)で開かれ、私は日本の宗教者代表の一人として出席し、広島平和記念公園内に設けられたステージ上で冒頭のメッセージを読み上げ、『ローマ宣言』と『広島アピール』への同意書に署名しました。そもそも、この会合は、ローマ教皇(教皇庁生命アカデミー)の呼び掛けに応じたユダヤ教(イスラエル諸宗教関係主席ラビ委員会)とイスラーム(アブダビ平和フォーラム)が中心になって作成された『ローマ宣言(Rome Call for AI Ethics)』に同意して署名する、世界各国の大学や国際機関(政府機関また非政府機関)、そして宗教協力組織、さらには大手民間企業等の賛同理解者を募ることを目的とした活動で、私が理事・総合企画委員をつとめる(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会に協力要請があり、共催者として行った国際会議でした。

 「透明性(説明可能性)、包摂性(全ての人に対して開かれていること)、責任(開発者の責任)、公平性(人間の尊厳遵守)、信頼性(正確性)、セキュリティーとプライバシー(利用者のプライバシー保護)」の六つの原則に基づいた「倫理と教育と権利」の観点から謳われた理念は、常識的な人なら誰も異論のない“言うまでもなく”大切な条項ばかりで、それに加えて、アジア・オセアニア地域初の署名地・広島から「平和」のメッセージが訴えられた『広島アピール』が読み上げられ、大きな拍手で承認されました。

 初日の自由討論の時間に、私は「実に単純な質問ですが…」とことわりながら、「プライバシーや基本的人権の保護のような“言うまでもない”ことを、優秀なAIが“重要な問題である”と自ら学習して認識することは今後あり得ますか?」と発題者に尋ねた際の回答が明瞭ではなかったので、「“言うまでもないこと”を敢えて言い続けない限り、AIが重要事項と認識することはない」というAIの基本的な“仕組み”を確認しました。そこで、私はメッセージの主要部分である第三段落目を急きょその日の晩に加筆して、予め提出していた文章を修正して読み上げました。光栄なことに、私は最初の署名登壇者でしたので、参加者全員が注目する中でスピーチを行い、発言を終えるや否や満場の拍手をいただきました。直前まで降り続いていた強い雨が主催者挨拶の頃には止み、お日差しまでいただいていたので「『雨降って地固まる』という諺がありますが、先ほどまでの雨も神仏の御はからいによるものと信じています」と急ごしらえで加えた結びの文言も効果的だったようです。

 二日間の会合には、米国から駆けつけたマイクロソフト副会長兼社長やIBM副会長ら、巨大IT企業のトップの人たちの姿もありました。彼らの出席と発言(既に署名は終えている)は、宗教者だけの会議にありがちな理想論の終始に陥ることの回避になり、同時に、精神的指導者(スピリチュアル・リーダー)である宗教者からの“お墨付き”を得てAI開発を推進したいという彼らのニーズにも応えられるという意味で、間違いなく意義あるものでした。

 しかし、科学技術は日進月歩で進化し、玉石混淆の膨大な情報が常に蓄積され勝手に分析・処理されて発信され、何がリアル(本物)で何がフェイク(偽物)なのかも見分けられないまま、自分に関心のある情報ばかりに接しながら生活する環境は一層整いつつあります。「デジタルは本物ではない…」などとはとても言えない“デジタルリアル”な社会で、「言うまでもない」ことを「言い続ける」ことは「蛙の面に水」にさえならないかもしれません。

 それでも、私たちにあっては「“まることの世界” の実現を目指して誠を尽くすこと」が、デジタル社会においても益々重要なことであることを確認・確信させていただいた、「平和のためのAI倫理」国際会議でした。