畏友 チャ・インホン教授
教主 黒住宗道

 「宗道さん、五月三十日に韓国タンジン(唐津)市文芸殿堂大ホールで私のコンサートがあるので、お越しいただけませんか? 私の故郷テジョン(大田)市もぜひ案内したいです」

 折に触れてSNS(インターネット上の交流)を通じて近況を知らせてくれる三十年来の友人チャ・インホン(Cha・In-Hong 車寅洪)さんから、いつものように流暢な日本語のメールが届いたのは今年四月のことでした。

 教主を拝命するまで本誌に毎月寄稿した『神道山からの風便り ─私の修行日誌─』の平成六年十月号で、彼との最初の出会いとなった「アマビレ室内楽団」一行二十二名の“神道山合宿”を紹介して生涯の友を得た喜びを語り、同稿平成十九年六月号で、あらためて彼のことを紹介して敬愛の念を綴らせていただきました。去る五月二十八日、ソウル・インチョン(仁川)空港まで私を出迎えて、三十一日に見送ってくれるまでの四日間、彼の故郷であるテジョン市を私が初めて訪問するということもあり、大切なコンサート直前にもかかわらず実に綿密な計画を立てて私を歓迎してくれました。現在、米国オハイオ州立ライト大学音楽院終身教授でバイオリニスト、オーケストラ芸術監督兼指揮者として主に米国と韓国を舞台に活躍する畏友 チャ・インホン教授について、今月の「道ごころ」で紹介させていただきます。

 チャさんは貧しい家に生まれ、幼い時に罹患したポリオ(小児麻痺)によって下半身不随の身になりながら、親元を離れて過ごしたリハビリセンターでのバイオリンとの出会いにより音楽の才能が花開き、十代の時に日本の「社会福祉法人太陽の家」(大分県別府市)に一年間“留学”したことが大きな転機となって「帰韓後は、何事にも前向きに取り組めるようになり」(本人談)、生まれながらの明晰な頭脳と不屈の精神、そして誠実で人懐っこい人柄から、「もしも、私のことを奇跡と言ってもらえるなら、素晴らしい人々との出会いこそが奇跡の連続でした」(同)という、まさに「難有有難」の開運人生を体現している素晴らしい人物です。

 一年間の日本滞在中に評論家の秋山ちえ子女史(故人)との出会いがあり、彼が仲間たちと立ち上げた韓国の車椅子演奏者による「ベデスダ弦楽四重奏団」の活動を温かく見守り支援していた秋山女史から六代教主様(当時)を紹介されて、ご遷座十年の昭和五十九年(一九八四)六月に神道山を初めて訪れたのがチャ青年でした。(参照『日新』昭和五十九年八月号)その翌年の昭和六十年(一九八五)四月に、後に彼が勤務することになるライト州立大学で六代様が本教について講演された際に、折しも近隣のシンシナティ大学留学中であったベデスダの四人も招かれて彼の地で再会が実現したというご神縁もありました。(参照『日新』昭和六十年六月号)

 「米国留学を終えて帰韓して、私が呼び掛けて結成した『アマビレ室内楽団』の仲間たちとの団結を強めたいと思い『どこかで合宿を…』と考えた時、何故だか分かりませんが、それまで二回しか会ったことのない貴方のお父様の顔しか思い浮かばなかったのです…」と、テジョンに向かう車中でしみじみと語るチャさんに、「よくぞ、“無謀にも”父に(合宿の受け入れを依頼する)手紙を書いてくれました。貴方の勇気のおかげで、私たちは生涯の友達になれました」と言って笑ったことです。

 実は、今回の韓国での最初の夕食会は、今やテジョン市立交響楽団等でベテラン演奏者として活躍している“神道山合宿メンバー”も数人駆け付けてくれました。昔の写真を持って来てくれた人もいて、片言の英会話と身振り手振りで再会を喜び合いました。

 また、テジョン滞在中に、チャさんは故郷で彼を支え続ける数々の大切な友人たちに私を紹介してくれました。彼の幼い頃からの苦労と努力、そして目を見張る成長と活躍を知る友人たちの彼に向ける畏敬と信頼の眼差しは格別で、その彼が特別扱いする私に対して、初対面の日本人であるにもかかわらずどなたも最大の敬意を払って接してくれるのですが、何せ言葉が通じません。そうなんです…。若い頃のたった一年間の“日本留学”だけで見事な日本語を操る彼にとって、私は格好の日本語練習相手なので、私ときたら全く韓国語が話せないのです。「今度お目に掛かる時には、もう少し話せるようになってきます」と挨拶する私の言葉を通訳する彼の表情に、殊その件に関して私に期待していないのは明らかでしたが、今回ほど「彼の国の言葉を勉強したい…」と思ったことはありませんでした。

 これまで紹介してまいりましたように、チャさんとの友情関係は出会いから今に至るまで“大人の事情”は全く存在しませんが、歴史的・政治的・感情的に未だ解決のできない様々な軋轢や縺れが存在する隣国韓国に、もちろん洒落ではなく“ソウル・フレンド(心の友)”と呼べる互いに敬い合える畏友がいることを、私は心から誇りに思っています。その“証明”のためにも、少しでも韓国語を話せるようにならねばと思っているのです。

 港町タンジンで開かれたコンサートは、盲目の韓国人ピアニストであるイ・ジェヒョク氏を迎えてDOMFオーケストラ(テジョン国際音楽祭常駐楽団)を指揮したチャ・インホン氏によるベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第三番ハ単調作品三七」を中心とした大作の演奏会でした。聴覚障がい者であったベートーヴェンの名曲を、ハンディを克服した二人の音楽家たちが演奏することで、聴衆に勇気と希望を与えてくれた「希望コンサート」というタイトルに相応しい感動的な音楽会でした。アンコールの締めくくりは、バイオリニスト・チャ・インホンによる「ユー・レイズ・ミー・アップ(You Raise Me Up)」。涙してスタンディングオベーション(立ち上がって拍手喝采)を送る満場の人たちの姿に涙を誘われました。

 最後に、本人が「誠に光栄なこと…」と四年前に送ってくれた動画の一部を撮影した写真の説明をしておきます。二〇二〇年五月十日の第二十代大韓民国大統領ユン・ソンニョル(尹錫悦)氏の就任式典での国歌斉唱に際して指揮を執ったチャさんの雄姿です。

 「今度は、ぜひアメリカの我が家に来てください」という彼の誘いに応じられるかは未定です。