実りある人生のためのエンディング講座
「『永遠の〝今〟』を生きる」再考
教主 黒住宗道

 コロナ禍によって延期を余儀なくされていた公開講座「実りある人生のためのエンディング講座」(芳医会主催)が来る六月一日に開催されることになり、その経緯とともに私が講演させていただく「『永遠の〝今〟』を生きる」について再考したいと思います。

 主催の芳医会とは、私の母校である岡山県立岡山芳泉高等学校出身の医者による同窓会支部で、その活動として定期的に開催していた健康をテーマにした公開講座が、「エンディング(終末)」を題材にして行われることになり、講師の一人に私が指名されたのでした。

 先輩からの依頼ということもありますが、「人生観(死生観)」について宗教者が医療講演会に登壇させていただけるという絶好の機会なので快諾して準備をしておりましたが、新型コロナウイルス感染症(COVID−19)が猛威を振るい始めたばかりの令和二年三月が開催の予定だったため、やむを得ず延期になり四年以上が経過しました。

 本誌読者の皆様には、令和二年四月号から本稿「道ごころ」で三回に分けて講演原稿を掲載しましたから、ご記憶の方も多いと思います(ぜひ再読してください)。少し内容に手を加える必要はありますが、黒住教教主として信仰と教えに基づく人生観(死生観)を説き示すことで、「信仰のあるなしに関わらず理解していただきたい人生観」と「信仰あればこそ受け入れられる人生観」を聴いていただき、聴衆者各位が心豊かに人生を生き切る上での一助になれば…と願っています。

 その基本にあるのは、昨年の本誌上で「この方の清きところ ─黒住教の信仰観の特性─」と題して連載した中の「霊魂観」です。「万物(宇宙)の親神である天照大御神の分心をいただいて(=日止まって)この世に生を受けた『人』が、人生という修行の場(道場)でのつとめを終えて、八百萬神の一柱として再び天に帰って行く時が死(昇天)。すなわち、人の死は命の終焉ではなく生き通しの神としての出発の時であり、その存在は子孫にとって先祖の霊(御霊・霊神)という守護の神となる」という世界観に基づいて講演させていただくことは間違いありません。ただ、黒住教の布教のための講演ではないので、八百萬神を称える日本古来の神道の大らかな信仰観と、世界中の宗教に共通すると言える生命の神性(または霊性・仏性)の永続性、そして〝今〟という二度とない掛け替えのない瞬間の永遠性を紹介しながら、人の「いのち」は現世だけで消滅してしまうものではないことを、安心感とともに確信していただきたいと思っています。

 元より〝流行り廃り〟のある内容ではないので、伝えたいメッセージを変更するつもりはありませんが、四年前に準備をしながら「これは(これも)、きっと御霊のはたらきに違いない…」と何度も思うほど絶妙なタイミングで次々に起こった数々のエピソードを、そのまま紹介するわけにはまいりませんので、あの時の驚きと感動を思い出しながらお話しできるように文章に手を加えるつもりです。

 一つは、どうでも良いと言えばどうでも良い話なのですが、関係資料を読み終えてそろそろ原稿執筆に取り掛かろうとしていた四年前の一月に全国放送が始まったのが「病院で念仏を唱えないでください」というテレビドラマでした。僧侶でもある救命救急医が主人公という話で、宗教者としての祈りと傾聴(患者の苦しみを黙って聴いて安らぎを与える奉仕)を生きるか死ぬかという医療現場で真剣に行おうとする主人公が、〝葬式仏教〟が当たり前の現代社会で直面する葛藤を面白おかしく描いた内容で、私が番組審議委員を務めている放送局系の番組だったということもあり、なおさら〝ご縁〟を感じました。因みに、最終回の放送日は講演予定日だったように記憶しています。

 また、講演の準備を始めようとした週に開かれた某勉強会に出席して次回の課題書として指定されたのが、お亡くなりになってまだそれほど年月の経っていなかったノートルダム清心女子大学元学長、渡辺和子先生の著書「目には見えないけれど大切なもの」でした。

 極めつきは、忘れもしない執筆開始の令和二年二月二日。執務室でパソコンに原稿を打ち込み始めたばかりの時に息子の宗芳から「今、東京からお越しのご夫妻を大教殿に案内しているので会っていただきたい…」という内線電話がかかり、ご挨拶した夫妻の奥様の本業が、女優の樹木希林さんに癌が見つかってから亡くなるまでの十四年間寄り添い続けた末期患者のセラピストで、名刺代わりに頂戴した「さよならの先」という文庫本の帯には、「みんな、うまーく死んでいく。心の置きどこを変え、こんなに浄化して…」という希林さんの自筆のメッセージが記されていたのでした。「今朝、エンディング講座の原稿執筆を始めたところ…」と驚く私に、「宗教者の方こそ、温かく寄り添ってあげてほしい…」との激励をいただき、後日に原稿が掲載された本誌を送付したことでした。

 一方で、講演延期のおかげで出会った方もいます。「一般社団法人『日本看取り士会』会長 柴田久美子さん 『抱きしめて 死に寄り添う』」と大見出しされた全国紙の紙面を目にしたのは令和三年六月二十六日のことでした。肩書に目が留まり、写真説明を読んでびっくり! 「『桃太郎伝説』が伝わるという川で、これまで看取った人たちを思う…(後略) =岡山市北区の笹ケ瀬川」と、神道山の最寄りを流れる川畔での写真でした。すぐに連絡を取って、交流が始まったことは申し上げるまでもありません。いずれ本誌上でも、あらためて柴田会長を紹介させてもらいたいと思っています。

 考えてみれば、いきなり三回にわたって原稿を本誌上に掲載しただけで、その経緯もエピソードも紹介できずにいた講演について、〝再考〟と称して振り返られたことが〝ご神慮〟かもしれません。講演は公開講座ですから、チラシの連絡先に申し込んでいただければどなたでも参加は可能ですが、人数に制限がありますのでご迷惑をお掛けするかもしれません。

 もちろん、講演は当日の御日拝の話で締めくくるつもりです。「今日の日が、今生まれた! さあ、今日も張り切って生きよう!」と、毎日のスタートを切れる御日拝は、歓喜・感激・感謝の〝元気を喚起〟できる命の充電の時です。お集まりいただいた皆様に、私は御日拝を案内して講演を終えますが、今年、ご遷座五十年の記念の年を迎えて、私は事ある毎に、どなたにでも「とにかく、神道山で御日拝!」「GO! ニッパイ」と呼び掛けたいと思っています。お道づれの皆様には、どうぞお子さんやお孫さんにしっかり声を掛けていただき、共々に〝日の御蔭〟を取り次いでまいりましょう。