コロナ禍後のコロナ下の“要心法”
 ―「コロナのせいにしない」と「今こそ感謝!」―
教主 黒住宗道

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が「五類」に移行されて二カ月になります。マスクをした人は“世界最多”と言われるだけあって結構見かけますが、コロナ前の日常生活が一気に戻って来ました。まさに怒濤の勢いで“当たり前”が復活しつつある今こそ、本稿で年頭に申し上げた「要心」の時と心得ます。

 まず、“コロナ禍”は過ぎましたが“コロナ下”は当分続きます。ウイルスは総じて弱毒化して感染力を高めて生き延びる傾向があるようで、百年前に猛威を振るったスペイン風邪がA型インフルエンザとして今も周期的に蔓延するように、新型コロナウイルスが消えて無くなることはなさそうです。すなわち、特に高齢者や基礎疾患のある方にとって恐ろしい病であることに変わりはなく、この三年間で身につけた「うつらない、うつさない」ための生活習慣を忘れないように心掛けることが大切です。

 その上で、私が申し上げたい「要心」すべきことですが、一つは「コロナのせいにしない」です。

 今まで安全対策として必要だった「コロナだから仕方がない」と、これから誰もが口にしがちな「コロナだったから仕方がない」は似て非なるものだと思います。得てして「都合の悪いこと」に対して「コロナだったから…」と言い訳をしてしまいそうな自分自身への戒めでもありますが、せっかくコロナを抜けつつあるのに、不都合な事象の原因を「コロナのせい」にすればするほど、例えて申せば“コロナ禍”の三年三カ月は、まるで掃き溜め(または“生ごみ置き場”)のように残存して“悪臭”を放ち続けると思うのです。

 家族を失った方や、今も後遺症に悩み苦しむ人のことを思うと無責任なことは申せませんが、お道(黒住教)的には“コロナ禍”という災難さえも有り難く受け入れる「難有有難」の修行の場として、これから先の“コロナ下”を「“ありがとうなって”生き抜くこと」が肝要です。「コロナに感謝」まではできなくても、せめて「コロナを“悪臭”の発生源にしない」ための手だてを考えた時、「(安易に)コロナのせいにしない」は最初に心すべき「要心」だと思います。

 そして、結局のところ何よりも「要心」すべきは、「今こそ感謝!」です。

 冒頭に「怒濤の勢いで“当たり前”が復活しつつある…」と申しましたが、私たちは、この三年余の間「“当たり前”が“当たり前”ではなかった」ことを痛感させられました。せっかく滅多にできない貴重な体験をしたのですから、「“当たり前”が“当たり前”」に戻ってしまうまでの限られた間だけでも、「精いっぱい“ありがとうなろう”!」と呼び掛けたいのです。

 まずは、不自由なく過ごせる今を、素直に心から喜び合いたいものです。そして、“不自由な時”を思い出せるうちは、言うなれば「“感謝の種”の取り放題・掴み放題の一大キャンペーン期間中」くらいに思って、「何はともあれ、何でもかんでも“ありがとうなる”」ことをお勧めします。日常のささやかな有り難さ(“道端感謝”)を、今であれば老若男女を問わず誰でも違和感なく納得して気づくことができるからです。例えば、声を張り上げてスポーツ観戦やコンサートを楽しんで帰って来たお子さんやお孫さんに、「久しぶりに大きな声が出せてよかったね。有り難いことだね…」と話すだけで、「声援を送れる有り難さ」を、若い世代と分かち合えるに違いありません。

 常日頃から“ありがとうなる”ことを繰り返し呼び掛けている私たちですが、コロナ禍後の過渡期という得難いチャンスを、ぼんやり過ごしてしまうのはもったいない限りです。しっかり心を配って用いて“要心”して、有り難い心を養ってまいりましょう。私は、昨年から本年の信心心得が「活かし合って取り次ごう!“ありがとうなる”有り難さ」であることの有り難さをしみじみと感じ入っています。

 ところで、コロナ五類移行後の最初の対外的な出張は、G7サミットを前に諸宗教者による提言書を岸田文雄内閣総理大臣に手交(公式文書を手渡すこと)するための首相官邸訪問でした(五月十五日)。歴史的にも意義深いサミットになりましたが、「宗教者の皆さんですから分かっていただけると思います…」と仰しゃって、核兵器のない世界の実現という理想を熱く語られた首相の言葉は、世界の平和を祈る宗教者に共通する願いでもあります。代表者の一人として直接挨拶をさせていただいたことは、とても光栄なことであるとともに、「一層真剣に世界大和と万民和楽を祈り続けよう…」と、決意を新たにすることのできた機会となりました。

  コロナ禍中の三年余の間、毎朝の日拝祝詞の最後に奏上し続けた「新型コロナウイルス感染症終息の祈り」は、五月の「ついたち御日拝」の朝をもって声に出して祈ることを取り止めました。そして、御神水の手桶を覆っていたシールド(アクリル板)を六月一日の朝から外しました。油断は禁物ですが、日々の祈りの形の上でもコロナ前の日常を取り戻しています。いよいよ、明年の神道山ご遷座五十年は目の前です。心新たに、互いの誠を活かし合って取り次いでまいりましょう!