再始動の時
教主 黒住宗道

 突然訪れたコロナ禍の小康状態に、「どこまで安心して良いのか…」と戸惑いながら、今年最後の「道ごころ」の執筆を始めました。「このまま終息・収束しますように…」と願い祈るとともに、第六波を〝心待ち〟にしないように、心配りと用心を怠ってはなりません。

 「コロナ下に明け暮れた」と言わざるを得ない二年間でしたが、私たちにとっては〈奉仕の誠〉に基づいた「活かし合って取り次ごう! 〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」を修行目標に掲げて「コロナ下なればこそ…」の信念で、「心なおし」の実践修行を心掛けた日々であったと申せます。

 春先からの得体のしれない「新型コロナウイルス」なるものへの闇雲な恐怖感と、戦後初の緊急事態宣言発令直前という緊迫感の中、参拝案内を行わずに斎行された昨年の教祖大祭は、教祖神をより強く一途に敬慕して、いささか強引でも「無理やり笑い、無理にでも『ありがとうなる』」という「心なおし」を呼び掛けた大祭でした。

 そして、誰もが初めて経験した一カ月半以上の〝ステイホーム(自粛)期間〟を経て、「リモート・オンライン参拝」を導入して斎行された昨年の大祓大祭は、自由を制限された直後だからこそ心から実感できる日常の当たり前の有り難さを忘れないうちに、「今こそ、ありがとうなろう!」と呼び掛けた大祭でした。

 以来、コロナ下の〝新しい日常〟が定着するにつれ、私たちにあっては「ウイズお天道様、ウイズ大御神様、ウイズ教祖様、ウイズご先祖様」の気持ちを大切にして「おかげさま」の心を養い、「コロナ下なればこそ」と、今しかできない物事に時間をたっぷりかけて取り組めることを喜んで、「コロナのおかげで…」とさえ思えるくらいの「心なおし」を呼び掛け続けてまいりました。

 そして、幸いにして小康状態になったからこそ〝宣言〟できたのは事実ですが、「神道山ご遷座五十年まで三年、すなわち一千日」という「『今』が、その時!」と確信して、去る十月二十四日に斎行された「立教二百七年・神道山ご遷座四十七年『記念祝祭』」で、私は「慎重の上にも慎重に、且つ心配りと用心を怠ることなく、『いよいよ行動を再開しましょう!』」と、「再始動宣言」をいたしました。

 ただ、まさに「言うは易く、行うは難し」です。無防備な危険行動を促すことになっては、もちろんいけません。では、「どのように動けばよいのか… ?」と思い悩む時こそ、「私たちには、教祖様が居て下さる!」という有り難さ、そして「必ずお守りお導きいただける!」という大きな安心感とともに、宗忠神の御逸話を、御教語を、御文を、御神詠を、いまあらためて新たな心で求めていただきたいのです。
「この左京(宗忠様ご自身のこと)が瀬踏みをいたす。皆々、ついておいでなされ」、
「足跡を違わぬようについて来い 天照る神の傍らにおる」

 本来、物事を始める前に安全確認のために試行する「瀬踏み」を、「教祖様が行って下さり、私たちに開運の道を明示して下さっている」ことを有り難く確信して、宗忠神の御言動や御教えを「御瀬踏み」と称えて遵守・実践してきたのが、私たち黒住門人(お道づれ)の先人方なのです。

 そこで、〈奉仕の誠〉を柱とした二年間の修行目標を締め括る今月号の「道ごころ」において、教祖宗忠様がご生涯を通じて教え示して下さった重要な〝御足跡〟を、神道山時代の幕明けに際して六代様が教主として五箇条にまとめて下さった「まることの生活信条」を、私たちの「再始動」に際して学び直しておきたいと思います。

 まることの生活信条
一、お日の出を拝もう
一、親を大切に、先祖を敬おう
一、明るいあたたかいことばを使おう
一、人に親切に、とりわけ弱い人にあたたかい手をさしのべよう
一、人のために祈ろう

 「右の条項を守ったら安全…」とは決して申しませんが、まだ暫く続くであろうコロナ下での生活スタイルを一段階〝より行動的に〟シフトチェンジしようとする時、原点に立ち返って基本重視からの再出発が鉄則であると信じます。「まることの生活信条」を、まさに私たちの生活の基本信条としてあらためて位置付ける絶好のチャンスが、「今」なのではないでしょうか…。

 去る十月二十四日の「ご遷座記念祝祭」で、私は教祖神の御逸話(宗忠神話)の「古京の炭屋さんへのお諭し」を紐解きました。夜逃げを決意したかつての大店の主人に、原点に立ち返って再出発するように諭された教祖神の「御瀬踏み」は、コロナ禍で経済的に追い詰められた方々だけではなく、全ての人が再出発するに際して心すべき御教えです。せっかく停滞生活を余儀なくされたのですから、何も手を加えずに全く同じ元の生活に戻すのはもったいない限りです。改めるべきことを見直す好機として、コロナ下の期間が今後の貴重な財産になるように、「難有有難」の実践修行の場としてつとめたいものです。

 実は、私自身「再始動」しています。二年ぶりの神楽岡・宗忠神社の秋季例大祭参拝に先駆けて、今年の初参宮のおかげをいただきました。内宮では、内玉垣南御門前まで奥深く進んで御垣内参拝させていただいた後、古殿地での祈りの最後に「コロナ禍終息の祈り」を捧げました。

 ところで、報告の機会を逸しておりましたが、昨年の実施予定が一年延期され、今年五月号の本稿で構想の再検討内容を紹介しました「日本統合医療学会岡山支部総会」の基調講演は、最終的にオンラインで開催され、私の講演は動画配信されました。消化器外科医(医科大学の主任教授)である支部長様からの御礼状の一部を転載させていただきます。

 「会員一同に成り代わり、心より御礼を申し上げます。本日、『祈れ、薬れ ─ 〝させていただく〟の心で ─ 』を拝聴いたしました。会員一同、この時期、先生のご講演により、心にたいへんな勇気をいただける、真に黒住教の教えは(失礼になりましたら申し訳ございません)統合医療そのものであると感じ入りました。(後略)」

 本来の姿といえる「医療と信仰の効果的な相互・補完関係向上への一助になれば…」と願っています。十月以降、私は「新春特別御祈念」の染筆を中心とした祈りの日々を重ねていますが、慢性の病を抱える方や新たな病気や怪我に苦しむ方、また私自身も含めて加齢とともに痛みや衰えを感じる方など、心身の健康への願望は誰もが共通です。病み悩み苦しむ人々の元気が喚起されることを祈らない日はありません。どうぞ、お元気で、お大事に!