心ひとつに、活かし合って取り次ごう!
教主 黒住宗道
コロナ禍中に迎えた令和辛丑三年には、今こそ前例踏襲の「例年通り…」ではなく、新たな発想と柔軟な思考と意欲的な取り組みが必要であることを、その幕開けから教え示されたように思います。感染予防の安全対策を講じながらの初詣参拝のご案内でしたが、全国各地の神社・仏閣はどこも閑かな正月だったようで、本教の神道山・大教殿も宗忠神社も、そして各教会所も例外ではありませんでした。分散型のお参りを案内しても、大多数の一般市民の方々には、わざわざ日を改めて参拝するまでには至らなかったのが現実でした。一方で、例年なら千人を超す人々と共にお迎えする神道山での初日の出を、今年は安全確保のために二百人限定とせざるを得ず、最終的に六~七十名の方々に大教殿内に設えたプロジェクター(投影機)を通してライブ配信映像を拝んでいただくことになりました。元日早朝に神道山まで参りながら、直接肉眼でお日の出の瞬間を目の当たりにできなかったにもかかわらず、一切不満を口にすることもなく、式典終了後の日拝所で、既に昇った旭日に手を合わされた人々の御開運を祈らずにはいられませんが、この一コマは、とても時代を象徴しているように思いました。すなわち、時を別にして場所を共有するより、場所はそれぞれでも今という同じ時を分かち合うことを重んじる現代社会の風潮を、私は垣間見た気がしたのです。
インターネットのライフライン化(生活必須になること)と昨年からのコロナ下社会により、居ながらにして行う異なる場所との通信が“新たな日常(ニューノーマル)”として定着しました。時間と場所を共有する現実が一番大切であることは不変でなくてはなりませんが、「オンラインとかリモートと称される文明の利器なしでは世の中が回らない」と言わざるを得ないほど、個人的な使用・不使用の次元を超えて、今や私たちの生活そのものが構成されています。とりわけ、パソコンが身近な機器として使われ始めた平成七年(一九九五)以降に生まれた世代が、今後社会の中心的な担い手になっていく時代に、一人ひとりの「今」が最優先されて、一緒に居ようが居まいが関係なく、自分に必要な人や物や情報と繋がり合う傾向は“コロナ後”も変わらないようです。「三密を避けて、ディスタンス(距離)をとって」が重要なコロナ禍が終息・収束したからといって、「さあ、まず全員集合することから…」が最優先される社会にはならないことを、私たちは覚悟しておかざるを得ないと思うのです。
なればこそ、「時間と場所を共有する現実(今・ここに実際に集うこと)が一番大切であること」という“本(主)”と、「場所はそれぞれでも(道具・機器を用いて)今という時を同じくすることを重んじる」という、敢えて申せば“末(客)”が、決して「本末 (主客)転倒」にならないように肝に銘じるという、言わば当たり前なことを、まず確認しておかなければならないと思います。
その上で、先月も本稿で記しましたように、昔から「遥拝(遥かに拝む)」とか「心参 (心で参る)」といった言葉が用いられてきたように、「場所は離れていても、心ひとつなって祈る」ことは昔から信仰の世界では重んじられていて、オンラインやリモート等とは結構相性が良いはずなのです。私は、人々の気持ちを寄せ合い、大切な“何か”を分かち合えるのなら、宗教者も文明の利器の活用を躊躇すべきではないと思っています。
正月ということで、本誌先月号に「心ひとつに」と書初めしました。「活かし合って取り次ごう!“まること”の丸い心 丸いはたらき」という昨年と本年の修行目標は、実は《奉仕の誠》の促進を意識して発表したのですが、行動の自由が制限されても、人や社会、とりわけ病み悩み苦しむ人々を慮り心寄り添うことは幾らでもできます。コロナ禍の不安に怯え迷い心を患っている人が溢れるコロナ下の今こそ、「心ひとつに、活かし合って取り次ごう!」と、お道教師はもとより全てのお道づれ各位に、声を大にして呼び掛けさせていただきたいのです。
今年は立春が二月三日ということで、前日の二月二日が節分、そして二月一日をもって寒中のお祓い修行(寒修行)は満願です。昨年来の「新型コロナウイルス感染症終息祈願お祓い献読」と相まって、まさに心ひとつ“一心不乱”の祓いに徹している最中に、岡山商工会議所会頭である松田久宗忠神社奉賛会会長から、経済人を代表する覚悟で相談を持ち掛けられました。
「再び緊急事態宣言が発令されることによる経済への影響は計り知れない。今や、神仏に祈る外ない。諸宗教で祈っていただきたい…」
元より、コロナ禍終息の祈りは日々捧げている私たちですが、相談を受けてあらためて考えを巡らす内に、「日本古来の追儺(鬼やらい)の行事をつとめる節分こそ、誰もがコロナ禍終息を必ず願い祈る日」であることに気づき、私が世話役をつとめるRNN(人道援助宗教NGOネットワーク)を受け皿に黒住教教主として国内宗教者に幅広く賛同をお願いすることを思い立ちました。即座に賛成してくれたRNNの仲間たちに背中を押されて、宗教者有鄰会や教派神道連合会、そしてWCRP(世界宗教者平和会議)や世界連邦日本宗教委員会等の諸宗教者の集まりや連合体に趣意を説明したところ、皆さんからの大いなる賛同をいただきました。百二十四年ぶりという二月二日の節分は、相当な数の宗教者および信仰ある人々が宗教・宗派・教団を超えて、まさに心ひとつに祈る日になります。神仏の霊験あらたかなることを、私たちにあっては天照大御神、ご一体の教祖宗忠神、そして八百萬神に、心新たに祈るばかりです。(「趣意書」等は本誌今月号に別掲、そして来月号で報道予定)
ところで、某教団の責任者から「私たちは、一日一回の“思いやりコール”を会員に奨励しています」と、コロナ禍中での活動を紹介してもらいました。「不安で寂しくしている人に、毎日一回電話して温かいメッセージをおくる」という取り組みを聞いて、私は素直に頷き感心しました。「心ひとつに、活かし合って取り次ごう!」の具体的なアイデアは、幾らでもありそうです。