寄稿二題
教主 黒住宗道
平成30年4月号掲載
教主様には、依頼を受けて一文を寄せられることが少なくありません。時に応じて、本誌「道ごころ」に転載させていただき、お道づれ各位に紹介いたします。
今回は、昨年8月に開催された「比叡山宗教サミット30周年記念 世界宗教者平和の祈りの集い」(本誌平成29年9月号既報)の報告記録集の「あとがき」と、岡山市立大元小学校の学区会報紙「おおもと」への寄稿文です。(編集部)
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あとがき
日本宗教代表者会議常任副委員長
黒住教教主 黒住宗道
「憎悪と排除からは争いしか生まれない。忍耐強い対話と他者の存在を受け容れる努力こそ、平和への近道であることを強く訴える。そして我々の切なる願いが神仏に聞き届けられるように祈り、行動していくことをここに宣言する」
排他的傾向が広がり、対立と分裂への動きが深刻化する世界を憂慮する国内外19ヵ国二千余名の参加者たちは、比叡山上で「相互理解と連帯」を心新たに誓い合いました。
主催団体として「日本宗教代表者会議」が初めて結成され、「比叡山宗教サミット」が開かれて30年。企画推進のための会議自体が、「侃侃諤々(かんかんがくがく)の前向きな議論というよりも、喧々囂々(けんけんごうごう)の自己主張の場になることが少なくなかった…」という、日本国内においてさえ異なる宗教の指導者が集って一つ事を為すことの難しかった時を経て、「諸宗教の対話と協力・協働は、自然であり当然であり必然」と言える時代を迎えていることは、何はさておき30年の成果です。まずは先人・先輩方のご苦労に対して、心からの敬意と謝意を表したいと思います。
その上で、今、世界の平和のために心一つに祈り、行動できる国内外の“同志”とともに為すべきことは、他者を認めない人々への不断・不屈の働きかけと、「宗教は協力できる」という我々にとっての当たり前を、その事実を知らない多くの一般市民・国民の方々に発信し続けることです。
他宗教を認めない人々に他宗教の者が語りかけることも大切ですが、同じ宗教を信じる“同志”諸氏の命がけの説得に対して、常に心からのエールを送って可能な限りのサポートのできる私たちでありたいと思います。そして、孤立・対立よりも連携・連帯が世界の主流になるよう、それぞれの地元から宗教協力の実践を広く社会に対して伝え示す“同志”であっていただきたく存じます。
申し上げるまでもなく、次なる40周年は半世紀に向けた重要な節目であり、それは100周年という“世紀”のサミットへの始動の時です。冒頭に掲げた今大会の宣言文を自らの決意として、ともに祈り行動してまいりましょう。
最後に、今「世界宗教者平和の祈りの集い」が成功裏に事終えられたのは、10年に一度結成される「日本宗教代表者会議」の委員各位のご尽力あればこそですが、煩雑な実務を預かって下さった天台宗の方々、とりわけ事務局の皆様に衷心より御礼を申し上げます。
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“元気”・“元の気”・“大元の気”を喚起して
黒住教教主 黒住宗道
昨年9月、私の父である第六代教主満80歳の誕生日に斎行された「教主継承式」にて黒住教第七代教主を拝命いたしました黒住宗道です。本紙への寄稿担当も“継承”されたようなので、今号にてご挨拶申し上げます。
まずは、大元・宗忠神社の御祭神であり黒住教の教祖である黒住宗忠神以来の道統を受け継ぐことを天命と畏(かしこ)み奉り、謹んで神務を全うすべく誠を尽くさせていただくことを、ここにお誓いいたします。
私事になりますが、宗忠神社境内(当時は黒住教本部・霊地大元境内)に生まれ育った私が、岡山市立西小学校で五年生を迎えた春が、新設なったばかりの岡山市立大元小学校開校の時でした。ただし、新校舎での授業の開始は二学期からということで、一学期の間は通いなれた西小学校の中に大元小学校の一年生から六年生までの教室が併設されるという特別な形でのスタートでした。お隣の鹿田小学校でも同様のことが行われていたことを、夏休み中の“合同引っ越し作業”の時に知るのですが、私にとって掛け替えのない大元小学校第二期生としての思い出は、いずれ本紙上で紹介させていただければと思っています。
教主就任に際して、私は「奉祈(いのりたてまつる) 人皆の心の神の御開運」という祈りを掲げた「告諭」を発表しました。それは、全ての人に内在・潜在する「心の神」のはたらきが一層顕現されて、世の中が和やかに共に栄える「まることの世界」の実現を願った祈りです。「人の心の大元は、天地自然の大御神から分け与えられた賜物」という神観・人間観に基づく祈りですが、江戸の時代から宗忠神の教えが「神道の教えの大元」と称えられてきたがゆえの「大元」という地名の意味合いを深く味わっていただいて、自らの“大元の気”・“元の気”たる“元気”を喚起して、人皆、とりわけ「おおもと」に住まう人々が明るく前向きに開運の人生を歩まれることを祈念するものです。一人でも多くの方に、「有り難い!」という歓喜と感激と感謝を取り次げる教主でありたいと願っています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。