“元気”を喚起
 病む人皆の快癒・本復を祈りましょう!
教主 黒住宗道

平成30年3月号掲載

 早いもので、昨年9月に黒住教教主を拝命して半年になります。教主継承に関わる諸行事を有り難くつとめながら、一方で就任から日を置かずして続々と本部に郵送またファックスで届き始めた「新春特別御祈念」(元日午前零時から斎行される「歳旦祭」においてつとめる教主御祈念)の申込書に記された願意を心読・拝読して、一件一件しっかり思いを寄せて染筆させていただいた禁厭(きんえん、祈りの込められた御神札)を、お申し込み下さった数千件の方々すべての元に“松の内”にお届けすることができました。皆様の心願の成就を、あらためてお祈り申し上げます。

 御祈念を認(したた)めながら、お申し込みになった方ご自身の開運・無病息災に止まらず、ご家族をはじめ、親戚や知人・友人のこの一年(ひととせ)の心身健固・家内安全・厄難消除を願う依頼者の真心の深さに感動を禁じ得ませんでした。とりわけ、身近な病み悩み苦しむ人の元気回復を願う心はまさに「道ごころ」で、お道信仰あればこその純粋・直向(ひたむ)きな信の心に、私は教主としての使命感を奮い起こされる思いで筆を持たせていただきました。体力的にはかなり無理を強いた正月までの三カ月間でしたが、私自身の信仰心を鍛え直していただけたような実に有意義で有り難い毎日でした。

 そこで、あらためて意を強くしたことですが、「まることの生活信条」の締めくくりの条項に示された「人のために祈ろう」の実践は、自らの信仰を深める上で何よりの修行の場であると確信します。奉仕やボランティア活動と同様、相手の存在を差し置いて「自分のため…」を優先することは間違いですが、相手の(人の)ために懸命につとめることによって初めて得られる精神的な実感、すなわち「与えることによってしか与えられない(得られない)特別な境地」は確かにあります。近頃は専ら用法が変化しているといわれる「情(なさ)けは人のためならず」という諺(ことわざ)も、その真意まで変わるものではありません。申し上げるまでもなく、この言葉の本当の意味は「情けは人のためにはならない(だから要らない)」ではなく、「情けは人のためだけではない(同時に自分のため)」です。そこのところを、六代様は「損をして徳を取りませんか」とユーモラスに御(み)教え下さいました。

 「『人のために祈る』ことで自他ともに“おかげ”をいただく」という確信のもと、私は「病む人皆の快癒・本復を祈りましょう!」と全国のお道づれの皆様に呼び掛けて、七代教主の時代の本教の特質として定着していただけるように働き掛けてまいりたいと思っています。

 教主就任に際して発表した「告諭」と「示達」を通して、私は、本教を「いのちの宗教」・「生きる教え」と称して、「互いの誠を活(い)かし合って、天照らす神の御徳(みとく)を取り次ごう!」と呼び掛け、「まることの世界」の実現を目指す「まることの人づくり」につとめることを宣言しました。病み悩み苦しむ人に“日の御徳”を取り次いで、快癒・本復という“日の御蔭(みかげ)”を得ていただくべく誠を尽くすことは、私たち黒住教道づれ(信者)の信仰姿勢そのものであり、何よりも教祖宗忠神がご生涯を通して徹底してつとめられた御姿に他ならないのです。この、「必ずおかげを受けていただく!」と信じて病み悩み苦しむ人のために献身することが、同時に自らの心を養う最善の修行の場、すなわち自分自身が開運する最高の道であることを、すべてのお道づれの皆様に体験を通して確信していただきたいのです。

 有り難いことに、立教三世紀を歩む本教は、いつの時代においても、そしてどの地域においても、それぞれの地元の人々、すなわちお道づれ以外の方々からも全幅の信頼をいただいてきた“開かれた宗教教団”としての歴史を重ねてまいりました。先人先輩が、「人となるの道すなわち神となるの道」である黒住教信仰を誠実に実践して来られたからこその“道の宝”です。本教に対する他宗・他教団や宗教関係以外の方々からの信頼の厚さは、本誌に毎月掲載されている私の教主就任に際して寄せていただいたご祝辞の数々からもひしひしと伝わってきますが、この絶大なる信頼があればこそ私が敢(あ)えて全国のお道づれの皆様に声を大にして呼び掛けさせていただく、「病む人皆の快癒・本復を…」の「病む人皆」なのです。

 例えば、「頼んでもいないのに、勝手に黒住教の人に祈られている…」などと、「気分を害したり迷惑がったりする人はいない」と断言していいと思います。教祖宗忠神の時代から、私たちは「陰まじない」と称して、病み悩み苦しむ人の名前と願意を記して御日拝に始まる毎日の御拝の中で祈ってきました。「お申し込みがあって御供え(初穂料)をいただいた時だけご祈念をつとめる」が本来のご祈念ではありません。「○○さんが病気らしい…」とか「△△さんが落ち込んでいるそうな…」とか、そのような噂(うわさ)を耳にしたら、お道づれであろうがなかろうが、「有り難い修行の機会をいただいた!」と、すぐに天照大御神ご一体の教祖宗忠神にその方の快癒・本復を祈ってさしあげて下さい。そして教会所では、お道づれからその報告を受けたら「陰まじない」を拵(こしら)えて御神前に据え置いて、日々の御拝で“日の御徳”を取り次いであげていただきたいと思います。ご本人に伝わっていなくても、「元気になったようだ…」との朗報を耳にするだけで祈り続けた人々の心はご神徳で満たされ、それこそ“日の御蔭”をいただかれるに違いありません。全国の教会所で、そしてすべてのお道づれのお宅の御神前で、周囲の病み悩み苦しむ人、とりわけ心身の病苦に苛(さいな)まされている方の快癒・本復を毎日欠かさず祈り続けるお道づれの集まり、それが黒住教という宗教であると世に公言できる教主でありたいと願っています。

 現代の日本社会における地方の過疎高齢化は本教にとっても最大の問題ですが、限界集落と呼ばれる地域全体の“元気”を喚起すべく祈りの誠を尽くせるのも、私たち黒住教なればこそなのです。