告諭
「まることの世界」の実現を目指して
奉祈(いのりたてまつる)
人皆の心の神の御開運(ごかいうん)
天照(あまて)らす神の御徳(みとく)を
取り次ごう
互いの誠を活(い)かし合って

教主 黒住宗道

平成29年10月号掲載

 平成29年9月18日、神道山・大教殿において「教主継承式」が厳粛に斎行されました(詳細次号)。そして、第七代の道統を受け継いだ黒住宗道新教主様が祭典の中において、新しい「告諭」を発布されました。

 「告諭」は、教団の歩みの節目において、時の教主様よりお示しいただく、私たちお道づれの信仰生活の指針となるものです。七代教主様による最初の道ごころは、ご就任に当たって発布された「告諭」を紹介いたします。教団が新しい時代を迎えた今、新教主様のもとでお道信仰を深めていくべく、何度も拝読し、心してつとめてまいりましょう。
(編集部)

 平成26年(2014)、「まることの世界」の実現を目指す私たち黒住教は立教二百年の嘉節(かせつ)を有り難くつとめ終え、いま立教三世紀の歴史を刻んでいます。本日、満80歳を迎えられた第六代教主様より尊き道統を継承し、ここに 宗道 黒住教第七代教主を拝命するにあたり、「告諭」をもって本教の社会的使命を謳(うた)い、黒住教教徒・信徒のお道づれ各位に〝元気陽々〟と開運の道を歩まれんことを呼び掛けるものです。

 そもそも、私たちの尊崇する教祖黒住宗忠神は文化11年11月11日(旧暦)の冬至の朝日を拝して「天命直授(てんめいじきじゅ)」という至福の宗教的神秘体験を得て、天地の親神たる天照大御神の生々発展の〝日の御徳(みとく)〟を明らかにされました。両親への孝一筋に生き、孝深きがゆえの辛苦を孝により救われ、ついに天地の親神への孝を悟った御(み)教えは、日本古来の神道の教えの大元と称(たた)えられてきました。森羅万象、全てを掛け替えのない神のはたらきと崇(あが)める八百萬神(やおよろずのかみ)信仰は神道ならではの大らかな伝統ですが、人皆に本来内在する神性・霊性を「天照大御神の分心(ぶんしん)」と称して「人は皆、天照大御神の分心をいただく神の子」と明言された教えの神髄を信じ切って、わが心の神たるご分心の御開運を祈り、ご分心の座所であるわが心を養い育てるべく誠を尽くして生きることが、「人となるの道すなわち神となるの道」である黒住教の生き方です。

 いま世界はあらゆる分野で細分化・個別化が進み、個を基本とした価値が科学技術の恩恵によるネットワークで結ばれて成り立っています。便利で快適な生活は多くの人々に物質的な豊かさをもたらしましたが、格差の拡大と常に満たされない不足感の鬱積(うっせき)、そして利己主義の蔓延(まんえん)は顕著になるばかりで、精神的に豊かな社会とはとても言えません。個を基本とした価値が優先されればされるほど、互いの個性を尊ぶ思いやり・慮(おもんばか)りが今まで以上に必要であることは明らかです。冒頭に掲げた「まることの世界」とは、人の誠に顕(あらわ)れる心の神のはたらきが一層現出されて、全ての人々が和やかに共に栄える理想の世界です。「人は元来、罪の子でも穢(けが)れの子でもない。ご分心をいただく尊い神の子」と信ずればこそ、人皆の心の神のはたらきが大いに発揚(はつよう)されることを願って、ともに祈り合い、互いの誠を活かし合って〝日の御徳〟を取り次ごうと呼び掛けさせていただくのです。

 黒住教にとって「祈りは日乗り」です。教祖神は「神を拝むには、時刻に拘(かかわ)らず、朝日に向かう心にて拝むべし」とも御教え下さっていますが、「日乗り」とは「日の神と一つになって祈ること」であり、「日々(ひび)祈ること」です。日の出前からの日拝は難しくても、毎日欠かさず朝の御(み)光に向かって感謝の祈りを捧げて、人皆の心の神の御開運を祈りましょう。そして、時刻に拘らず一本でも多く大祓詞(おおはらえのことば)を唱えて心を祓い、御陽気をいただいて〝日の御徳〟を下腹に納める鎮魂の行につとめて下さい。心が生きれば形、すなわち体(からだ)も生きてきます。心の神のはたらきで、元の気である元気が漲(みなぎ)り、陽気が満ちてきます。とりわけ「人のために祈る」ことで、〝日の御徳〟が自他共に取り次がれます。「日乗りなる祈り」は、「まることの世界」の実現を目指す黒住教の原点です。

 その上で、「互いの誠を活かし合う」という〝在るべき姿〟と、「天照らす神の御徳(日の御徳)を取り次ぐ」という〝為(な)すべき行い〟を、三(サン)世紀を歩む黒住教の二本柱として示したいと思います。

 世代を超えて、国・民族を超えて、あらゆる違いを超えて、それぞれの持ち味を全て心の神の顕れと信じて活かそうとする姿勢は、「天照らす神の御徳は天(あめ)つちにみちてかけなき恵みなるかな」と詠んで「一切神徳(全ておかげ)」を説かれた教祖神の御教えの大元です。そして、〝日の御徳〟の有り難さを一人でも多くの方に知らせて、しっかり取り次ごうとする行為は、「天照らす神の御徳を世の人に残らず早く知らせたきもの」と生涯を通して願われた教祖神の御聖願(ごせいがん)に沿い奉(たてまつ)る私たちのつとめです。

 昭和49年10月の神道山時代の幕開け以来、私たちは祈りという縦軸と奉仕という横軸を基軸として様々な宗教活動を重ねてまいりました。その源泉が、日々(にちにち)感謝の誠を捧げることを通じて自らに〝有り難い〟心を養い、もってお互いが心ひとつに世のため人のために奉仕の誠を尽くす「ありがとうございます運動」でした。この有り難い信仰運動は、今後も不変・不動の本教の社会活動のエネルギー源です。

 時代は、健全な心を育(はぐく)む宗教的叡智を求めています。「日の本つ国」ならではの信仰が教祖宗忠神によって説き明かされた「黒住神道」ともいうべき本教は、現代日本人が必要とする「いのちの宗教」であり「生きる教え」です。第六代教主様は「人は人に尽くして人となる」と御教え下さいました。ともに誠を錬って鍛えて開運のおかげをいただき、誠を尽くして活かして道の楽しみを得られる人の一人でも多からんことを願い祈るものです。

 守られて幸(さき)わう〝道の祈り〟
  一切神徳(いっさいしんとく) 神徳昭々(しんとくしょうしょう)
  錬誠開運(れんせいかいうん) 尽誠道楽(じんせいどうらく)
         (何度も繰り返し)
  教祖様、有り難うございます。
        守り給(たま)え幸(さき)わえ給え。

 平成29年9月18日
  黒住教教主 黒住 宗道