教主退任・感謝のことば

平成29年9月号掲載

 昭和48年5月13日、父黒住宗和五代教主様の急逝のため、教団の掟(おきて)定めるところにより、直ちに教主就任を御神前に奉告いたしました。その年10月14日に、霊地大元・大教殿において、多くの皆様のご参集のもと六代教主就任奉告式を斎行していただきました。もの心つく頃からこの日のあることをそれとなく教え諭(さと)されてきていましたし、この年に先立つ12年前の昭和36年の正月からいわゆる白衣の生活に入っていて、いずれはとの思い、その心構えは私なりにあったつもりですが、この日は緊張と責任の重さで口もからからになり、祝詞(のりと)も声にならなかったことを思い出します。その先の月、9月18日に満36歳になった私の双肩に、ずしりと重いものが伸(の)しかかってきた思いでありました。

 その前の年の、昭和47年11月11日、五代様斎主のもとに、神道山・大教殿の地鎮祭が、五千人の参拝者の祈りとともにつとめられていました。その時すでに五代様の心臓は限界状態で、現在の大教殿御神殿の所を斎場とし、その北東の一角を紅白幕で囲んでベッドを置き、ここに前もってお連れしてお休みいただいてからの斎主のおつとめでした。

 いよいよ神道山に大教殿ご建築の、まさに地を鎮め、工事にかかる御(み)祭りです。全教団の期待を一身に担(にな)われての斎主で、副斎主として側(そば)に侍(はべ)る私には、五代様の真剣な思いがひしひしと伝わってきていました。実に身の硬くなる思いでした。私にとりまして、最も厳しい教主継承の時でした。

 思い返せば、昭和39年10月に執り行われた立教百五十年記念祝祭の日、教場に入りきれず、境内に敷きつめられたむしろの上に正座して参拝の方々に、五代様はご挨拶(あいさつ)に行かれ、「いよいよ本格的な大教殿をお建て申しましょうぞ!」と声も一段と大きくお話しになったのが、そもそもの始まりでした。折から岡山に新幹線がやって来る、瀬戸の海には橋が架かるということから、岡山の街の拡大を目途に、岡山市西部地区土地区画整理事業という名のもとに、霊地大元の周辺の大変貌が予想された時でした。紆余曲折(うよきょくせつ)の揚げ句、神道山十万坪の境内地を購入し、1500メートルの参道も完成しての、全教団人が待ちに待った大教殿地鎮祭でした。

 教主就任一年後の、昭和49年10月27日午前0時30分、大元の旧大教殿を御発輦(ごはつれん)になった御神体は、斎主の私の直(す)ぐ後に続く当時小学校6年生12歳の七代宗道をはじめ500名の祭員参拝者方の奉仕で、二時間半の道程(みちのり)を進んで、神道山の新大教殿にご遷座なったのでした。

 深夜の浄闇(じょうあん)の中を粛々(しゅくしゅく)と進むご遷座の列が、立ち止まる度に、真後(まうし)ろの宗道が私につき当たります。実に眠りながら歩き、歩きながら眠っていたのです。その昔、陸軍の兵隊さんが、あまりの強行軍で眠りながら歩いたということを耳にし、そのようなことができるのかと思っていた私には、長男の現実の姿にまさに目が覚める思いになるとともに、教主就任程ない重大事のこの時に、後継への何よりの場をいただいていると胸熱くなったことでした。

 こうして教主就任以来44年、振り返ってみますと36歳といえば若いですが、この歳での教主(昔は管長)就任はそれまでで最年長でしたし、齢(よわい)80を迎えるのも歴代で初めてですし、44年の長き教主の座も初めてのことでした。ある意味、遅きに失した感もなきにしもあらずですが、新教主となる長男はもとより身内親族とも話し合い、昨年3月の教議会でお認めいただき、続く4月2日の教祖大祭で正式に発表して以来の、この9月18日斎行の教主継承式です。

 何より感謝すべきは、歴代の教務総長をはじめ当局、本部職員の皆さん、そして全国教会所々長お道づれの皆様のお心組みです。教祖神の血を引く者とはいえ、私を教主として立てて下さる態度は一度も変わることなく、あらゆる場で誠意を尽くして下さいました。大学生時代に体育会ハンドボール部でグラウンド生活に明け暮れた者だけに、言動に荒々しいところが抜けきれず、その分、迷惑をかけた人も数々あります。にもかかわらず、道の誠を貫いて下さったのですから、感謝以外に言葉がありません。本当に有り難うございました。

 9月19日から名誉教主という名称になりますが、呼称はどうぞ「六代」と呼んでいただければ幸いです。

 どこに行くのか、何をするのかと尋ねられることもありますが、神道山を措(お)いて他に行く所はありませんし、毎朝の御日拝をぬきにして私の人生はありません。七代教主の邪魔にならぬよう心くばりしながら、毎朝の御日拝に始まる祈りの時を柱に道を説き取り次ぎ、今までもそうでありましたように、社会的には福祉問題、文化教育問題に「御用(おんもち)え」いただけるかぎりつとめてまいりたく思いおります。

 教祖神以来、本教が時の世の中から信頼を寄せられ、まさに御用えいただいてきた歴史を大切にしたいと思っています。かねて申し上げてきたことですが、信仰の信は、信頼、信用の信でもあるわけで、熱き信の心を中心に、人様から信用され信頼される教団活動は、今後も重ねていかねばならないと考えます。

 私自身といたしますと、ここ数年重ねてまいりました、昭和40年代に勤められていた各地の教会所々長の墓前参りを、続けていきたいと思っています。

 霊地大元から神道山へのご遷座に際して、所長方はお道づれの皆様に事の訳を理解していただくべく努め、しかも莫大な浄財を取り次いで下さったればこそ、今日(こんにち)の神道山があるのです。時の所長そして当時のお道づれには、いくら感謝してもしきれないものがある私ですので、このお参りはどうぞや完遂させていただきたいと願っています。

 皆様にあらためて心から厚く御礼申し上げます。

     (編集部より:今号をもって、六代宗晴教主様の「道ごころ」は最終回となります。
            次号からは、七代宗道新教主様の「道ごころ」を掲載いたします。)