母、その心と祈り
平成29年5月号掲載私は、このところ各地の教会所への出張といえば、かつて神道山へのご遷座(昭和49年10月27日)に至る約10年間、ご苦労下さり尽力された当時の教会所所長方の墓前に額ずくことが主となっています。そして帰途その教会所に参り、お集まりの皆様と共に祈り、またお話しし、皆様との懇談の場をつくってもらっています。ここで吐露される信仰体験は、私の心にとび込んで来てまことに有り難く、大きな楽しみの時間となっています。
最近のその一つ。
ある教会所で、一人のまだ若いご婦人がにこやかに一言ひとことかみしめるように話されました。
「私は、黒住教信仰の家に嫁いで来て本当に有り難く思っています。子供たちもすくすくと育っていますのが何よりのおかげですが、生活していますといろいろな難にも出遭います。教祖様御教えの『難有り有り難し』を教えていただき、初めは意味が分からなかったのですが、難が私の心を養ってくれる、教祖様は悪いようにはなさらないと気付き、それ以来、難が恐くなくなりました。里の親は、“難がないのが有り難いのに難が有り難いとは……”と言いますが、難を有り難くいただくところに、本当に、難によって大きな幸せをいただいているとしみじみ思います」
背すじをすっと伸ばして正座して、にこやかに話す姿は神々しくさえありました。
私はお道の先人の詠まれた
可愛さに難までかけて天地の誠の道をふましむるとは
を紹介しながら、「とかく私たちはマイナスを除けばプラスになると思いがちですが、マイナスの生むプラスこそが本当のプラスではないでしょうか」と申し上げました。
また一つ。
これはまた他の教会所でのことです。中年のご婦人が、「黒住教の家に嫁いで来て御神前にお祓いを上げることを知り、お祈りしていますと、確かにお守りいただいていることを有り難く感じるようになりました。三人の子供に恵まれ、今はそれぞれ家庭を持っていますが、特に、長男の結婚の時につくづくおかげをいただいたのだと思いました。なかなか縁がなくて焦るような思いでいたのですが、有り難いご神縁をいただいて素晴らしい人に出会わせていただき、結婚することができました」と心から嬉しそうに話されました。その横で、これまたにこにこ顔でいらしたご主人も印象的でした。
各地の教会所での皆様の信仰生活を垣間見せていただくたびに思うのですが、人と人との出会いをはじめ、思いがけない嬉しいことがあったときなど、それをただ偶然にとか、たまたまの一言で済まさずに、心底から“ありがたい!”と受け止めていらっしゃる姿勢に頭が下がります。そういう生き方がまた幸せを呼んでいるのだと確信することです。
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ところで、今年は、岡山市がアメリカのサンノゼ市(カリフォルニア州)と姉妹都市縁組を結んで60年になり、去る4月末に彼(か)の地においてその記念式典があり、両市からの要請を受けて本教の吉備楽の小野盛孝楽長以下8名が訪れ演奏して好評を博しました。
この姉妹都市縁組で交換留学生が毎年数名ずつ行き来してきましたが、縁組ができて程なくやって来た学生にJ・K君という白人青年がいました。私の年齢に近いこともあって霊地大元に招き、彼は当然のように毎朝の日拝式にも参拝していました。その後サンフランシスコにまいりました私や、またそのずっと後に訪米した副教主も彼に迎えられ、時には現地の人々を集めて講演会も開いてくれていました。この彼が、神道山での御日拝をしたいと言って訪ねて来たのは20年ほど前だったでしょうか。山の端から昇るお日の出に感動した彼は、「あの旭日は男性か女性か」と尋ね、日本の神話では天照大御神は女性の神様だが、私たちが迎え拝むお日の出のお日様には女も男もないと言いましたら、自分は女性だと思うと力を込めて申しました。「亡くなった母に会ったような思いだった」と述懐しました。私は心から称えたことでしたが、大教殿で御神札をいただいて帰り、自宅で毎日御日拝してはその御札に拍手して頭を垂れているということでした。
その彼が肝臓ガンで倒れたと聞き御祈念していましたが、先だって、岡山でこの姉妹都市縁組の世話をしている方が彼を見舞った時のことを話してくれました。
やせこけた身ながら、いたって朗らかで、にこやかに「黒住で御日拝して以来、死はない。わが命は永遠だと信じているから安心してほしい」と言われて胸熱くなったと申していました。ほどなく彼は亡くなったのですが、それはまことに安らかなものだったと伺い、私は翌朝の御日拝で彼の本体である御霊の生き通しを祈ることに終始した御日拝をつとめました。御神詠の「天照らす神の御心人ごころひとつになれば生き通しなり」こそ、お互いお道づれの目指すところですが、彼はそこに到り立っていたことを確信しました。
母親を神と崇める外国人といえば、かつて肺ガンで死の床にあった在日韓国人のことを思い出します。
岡山市内で、二、三度会っただけの私を訪ねて、その方の娘さんが神道山に参って来たことがあります。肺ガンの末期で入院している父親の御祈念と、病院への見舞いを依頼されました。病室に伺った私にその人は、祈り方を教えてほしいと言われました。「あなたのことを最も深く想っているのは娘さんでも奥さんでもない。今は亡きあなたのお母様です。『お母さん、お母さん』と心の中で呼び掛け祈りなさい。私は御国に眠るお母様がしっかりあなたをお守り下さるように、教祖宗忠の神様に祈りますから……」と話しお取り次ぎしました。彼はその後、この祈りを祈りながら安らかに昇天されたのでした。