陛下の大御心
平成29年2月号掲載RSK山陽放送ラジオは、昭和28年(1953)に岡山市に開局し、以降毎年、元旦放送恒例の第一声として、五代宗和教主様の「新春を寿(ことほ)ぐ」とのご挨拶を放送してきました。同49年(1974)からは、現教主様が同放送を受け継がれ、今年で最後の放送となりました。来年からは、9月に第七代の道統をお継ぎになる副教主様が教主としておつとめになります。
また、大教殿では、年末最後の御会日(ごかいじつ)を「説教納め」としてつとめきています。昨年12月25日、教主様が教主として最後の説教納めをつとめられました。
今号の「道ごころ」には、今年の元旦放送「新春を寿ぐ」と、昨年末の「説教納め」を紹介させていただきます。(編集部)
山陽放送ラジオ「新春を寿ぐ」
昨年は天皇陛下のテレビを通じてのご譲位、ご退位を示唆されたお言葉に、多くの国民が天皇陛下のご存在の重さにあらためて気付かされたのではなかったかと思います。
とりわけ今上(きんじょう)陛下は、皇后様と共に震災をはじめ大きな災害があればその地へ赴いて被災者を慰められ、さらに今年で終戦72年になる先の大戦における激戦地に行幸されてその地で亡くなった方々の慰霊につとめられるなど、まことに幅広く、またご苦労もいとわずつとめて来られました。
お出掛けになる先々でその地の人々は心から歓迎し、また見舞われた方々は、中には涙してその感動を表していました。そういう姿をテレビをはじめ新聞で見て、また多くの国民が心和む思いに浸ったことでした。
それにしましても、天皇陛下のこのようなご言動に、なぜ私たちは心動かされ胸熱くなるのでしょうか。私は、陛下にはまことに清らかな神性、すなわち神の性がその御心深くにお鎮まりになっているからだと信じています。
実は、新帝、新しく即位された天皇陛下は程なく大嘗祭(だいじょうさい)という御自らが斎主であり参拝者である御祭りをつとめられます。そのための大嘗宮(だいじょうきゅう)という小さいながらしっかりとした御社が造られますが、それは必ず伊勢神宮の方に向いて設(しつら)えられます。新帝はこの大嘗宮に四日四晩こもって祈りに徹せられます。それは、伊勢神宮に鎮まります大自然のいのちの元なす親神であると同時に、皇祖すなわち皇室の先祖神である天照大御神の御神霊を、御自らの御心に神迎えされる神秘の“まつり”です。清しくも厳しい祈りの中に神迎(かみむか)えされた御神霊を、古来、天皇霊と申し上げ、国民は陛下の大御心(おおみこころ)と崇(あが)めてきたのがわが国の歴史です。かの戦国時代の織田信長をはじめ秀吉、家康公もそうでした。いくら大きな権力を得た人にとっても天皇陛下は別格でした。
天皇陛下のご日常は、我々国民にはなかなか見えてきませんが、最も大切にされているのは祈りの時です。国家国民の平安を祈ることに終始されていますが、それは同時に、御自らの心中深くに鎮まる天皇霊をお養い申し上げることとなっていると拝察いたします。
伊勢神宮では、1300年余り前の昔からほぼ20年毎に御社を新しく造り替え、もって大御神様の御神威をあらたかにいただいていこうとする、式年遷宮というわが国最古にして最大規模の御祭りが連綿と続けられてきています。ごく最近では、4年前の平成25年10月、第62回の式年遷宮に際し、その本祭典ともいうべき御祭りが斎行されました。伊勢神宮には、祭主、大宮司、少宮司というお役があり、祭主は皇室に連なる方、大宮司には旧宮家関係の方がお務めになっている場合が多く、現在の祭主様は、わが岡山県民になられて久しい、天皇陛下のお姉上、池田厚子様がお務めです。しかし、この式年遷宮の本祭典において勿論祭主大宮司様方はおつとめですが、その中心となられる方は勅使と称される天皇陛下のご名代の方です。ここにも伊勢神宮と皇室との不即不離の姿が伺われます。
伊勢における20年に一度の式年遷宮、そして毎年の数ある御祭りの中でも最も尊ばれるのは10月17日の神嘗祭(かんなめさい)という御祭りで、これは式年遷宮の小型版といえましょう。
一方、皇室では天皇陛下一聖一代の大嘗祭、そしてその小型版といえる御祭りが11月23日の新嘗祭(にいなめさい)です。このときには三権の長、すなわち総理大臣、衆参両院の議長、最高裁判所長官が侍(はべ)るのは昔も今も変わりません。いわば、失礼ながら御神威を電気に例えますと、伊勢における20年に一度の大発電といえる式年遷宮、一方、天皇陛下一聖一代の大嘗祭という大充電。そして毎年10月の伊勢の小発電と11月皇室の小充電が絶えることなく続けられてきて、まるで地下水のごとく目には見えませんがわが国の生命、いのちとなっているのが天皇陛下と伊勢神宮といえるのではないでしょうか。
このような天皇陛下の大御心を、いざという時に国民はしっかりといただいてきています。
例えば、先の大戦の終戦直後の昭和20年9月27日、連合国最高司令官、D・マッカーサーの前に立たれた昭和天皇は、マッカーサーの思いとは丸反対に、戦争の責任はすべてご自分にあると言明され、一刻も早く国民に食糧をと訴えられました。また近いところでは、東日本大震災の被災者に掛けられた今上陛下のお言葉「よくぞ生きていて下さいました」。これらのご言動は、子供のためには命も投げ出す親心にも似て深く熱く、いやその親心を大きくしたところにある陛下の大御心のなすところなのです。
私は、あらためてわが国の国柄の有り難さ、同時に世界に果たす役割の重さをかみしめる思いで新年を迎えています。あらためて皆様のこの一年のご多幸をお祈り申し上げます。
平成28年12月25日、大教殿「説教納め」の御親教より
先年、ある若い政治家が御日拝に参られた時のことです。「お日の出に感動したこともさることながら、御神殿で最後に皆さんと唱えた教えの中に『面白く楽しく』という言葉があったのには驚きました。宗教の教えのしかも中心をなす教えの中に、あのような言葉があるのは初めてで嬉しく思いました……」。
申し上げるまでもなく、それは毎朝の御日拝後の大教殿におけるご拝の最後につとめる「道の理(ことわり)」の一節です。「……御陽気をいただきて下腹に納め、天地と共に気を養い、面白く、楽しく、心にたるみ無きように、一心が活きると人も活きるなり。生きるが大御神の道、面白きが大御神の御心なり……」のところです。
そのとき彼にお話ししたことですが、
「本教の教典は『教書』と申していまして、門弟に与えられた教祖神の御手紙を収録したもので、その中に『心明らかなるときは、すなわち天照大御神わが一心にあらわれ給いて、運をそえ給うこと疑いあるべからず。ありがたし、ありがたし、ありがたし』という一文がありまして、この『心明らかなるとき』はまさに“面白い楽しいとき”なのですね。同じように、有り難きまた面白き嬉しきとみきをそのうぞ誠なりけれ、とありまして、『有り難き』は、私たちにありましては、天照大御神と一体にあります教祖宗忠神との絆の中に生まれる感動感謝の心、『面白き嬉しき』は、人と人との交わりをはじめそれぞれの仕事に対しての心で、面白くも嬉しい人間関係、仕事自体が面白く、それをすることそのものが嬉しいとなったらしめたものですよね」。「私どもの政治の世界では、なかなかそこまでいきませんが、少しでも私のつとめが人様のお役に立ったときの喜びは格別で、そういう時を大切にしてまいります」等、話が弾みました。
確かに、毎日、面白く楽しい日を送りたいですが、現実にはなかなかそうはいかないものです。それどころか、辛い苦しいときの方が多くなりがちです。しかし、ここが大切なところで、
有り難きことのみ思え人はただきょうのとうとき今の心の
の御教えのように、いかに有り難き面白き嬉しき心を、自らの心の真ん中にいただいていくか、そこが、祈り、つとめ、教祖の神様にお任せできるかが問われることです。
ところで、私の場合、年を重ねてきますと、2・3日前のことよりも、昔の、しかも若い時に精魂傾けた大学時代の体育会ハンドボール部時代が、度々、生き生きと蘇ってきます。しかも、面白い楽しいとは遠く懸け離れた先輩に厳しく鍛えられ苦しかったこと、試合に勝った喜びよりも、負けて悔しかったこと、それも私の失敗で負けたときのことなどが、思い出されて心が弾むのですから不思議です。
昔から「苦は楽の種、楽は苦の種」といいますが、「楽」という字は「たのしい」と同時に「らく」とも読むように“らく”をしていては本当の“たのしみ”は得られないと言っても過言ではないと思います。まさに御教えの「難有り有り難し」で、自分に都合の悪い、辛い、苦しいことが、逆に本当に生きる喜び、楽しみを生んでいるということを思うとき、特に若い人には、苦しみから逃げずに、真正面から立ち向かう気概を持っていただきたく思いますし、特に、教祖神を背に生きるとき、難は真の有り難きものがいただける元となることを申し上げておきたいと思います。