現在只今の私の想い

平成28年9月号掲載

 この月9月18日に満79歳になります私は、すでにご存じ下さっている方もあろうかと存じますが、来年の満80歳のこの日に六代教主の座を退かせていただくことになりました。これはもちろん七代を継ぐ現副教主である長男宗道や教団幹部と相談した上で、去る3月18日の黒住教教議会でお認めいただき、4月2日の教祖大祭で正式に発表したことでした。

 おおげさな、またおこがましい思いもありますが、教主就任以降永年筆を執ってきましたこの「道ごころ」であらためてその由を記すことをご了承下さい。

 本教は、教祖神以来、先代が亡くなられて次の「宗」の字を頂く長男が教主(昔は管長)に就任してまいりました。父であります先代宗和教主・五代様が昇天されたのが昭和48年5月13日で、教団の掟定めるところにより直ちに私が六代教主としてのつとめを始め、しばらくの後、その就任式を執行することとなりました。その年9月18日に私は36回目の誕生日を迎えました。それより来年の9月18日まで44年の永きに亘り、黒住教教主という尊い場にあらせていただけることは、自らを振り返ってみて忸怩たる思いの方が多い身でありますが、それだけにわが身には過ぎた有り難い歳月であったと心から感謝しています。それは教祖神をはじめわが先祖への感謝であり、今日までお支え下さったお道づれの皆様への感謝であります。

 あらためて過去に目をやりますと去来するものは数えきれませんが、私の青春時代を懸けたと自分で思っています学生時代の体育会ハンドボール部の生活は、私の全人生の基盤ともいえるものであり続けました。ある意味で鼻持ちならぬところのあった私を鍛え正してくれたのは、グラウンドの先輩であり仲間たちでした。慶應義塾大学とか東京大学との定期戦におけるOB戦にももう出場はできませんが、それでも毎年の春の合宿に神道山にやって来る現役の選手たちと、キャッチボールをしたりシュートの真似事をしながら青春の血を蘇らせてきました。年のわりには元気なと言われるのも、このハンドボールのおかげですし、もとより毎朝の御日拝と全国のお道づれの皆様が私に寄せて下さる熱いまなざしの賜物です。

 お道づれの熱いまなざしといえば、学校を終えて教団に帰ってきて2年目の、昭和37年から39年10月の立教百五十年記念祝祭までの約2年半、全国の教会所を初めて巡拝した時にいただいた皆様の熱い御心です。私のつとめる拙い話を聞いて下さる皆様の真剣なまなざし、それは将来六代教主になる私への期待と、未熟な身ながら私を通して教祖神をみつめていらっしゃることを肌身にいたいほど感じました。それは、私に課せられた責任の重さを教えて下さるまなざしでもありました。

 その数年後に、近い将来岡山にやって来る新幹線、瀬戸の海に架かる大橋といった大型プロジェクトに対応するための岡山市の土地区画整理事業が始まりました。そのため霊地大元周辺の大変貌が予想され、結局、現在の神道山への大教殿ご遷座に至るわけです。この未曽有の教団の危機的な事態を、私個人としても逆に好機とすることのできたのも、あの2年半の教会所巡拝でいただいた皆様からの熱いまなざしであったことを思うとき、あらためて熱く胸に迫るものがあります。あの目、あの御心があるかぎり、「神道山は成る」の確信をいただいたのです。それまでの教団では考えられないほど莫大な浄財を、次々とお寄せ下さったおかげで現在の神道山はあります。まことに有り難いことでありました。

 現在、各地の教会所で、この神道山へのご遷座当時に所長であった方の墓前にお参りすることを続けています。

 日本人を教祖とする宗教である本教が立教二百年を迎えることのできたこと、しかもその記念の大祝祭を神道山で斎行できた奉告と感謝のお墓参りです。かつて戦役にあった方に伺った戦友のような思いで、当時の所長さんのお墓に頭を垂れています。

 「よくぞあの時、神道山へご遷座せざるをえないことを理解し、御日拝こそ本教の『いのち』であることを皆様に話し伝えて納得してもらい、しかも莫大な浄財を取り次いで下さった」と、御礼申し上げるお参りです。

 教主就任直後の昭和49年10月、大教殿は神道山に竣工なりました。その月27日未明、教祖神のご降誕の地でありご立教以来160年の霊地大元からのご遷座祭を、若い教主の私を盛り立てて下さる多くの教師お道づれのおかげで果たすことができたのでした。深夜の大元から神道山までの約8キロ余の道のりを、斎主の私の後を小学校6年生の長男宗道が、かつての陸軍の行軍そのままにねむりながら、時には前を行く私にぶつかりながら歩き続けたことも、長男と神道山を結ぶ貴重な絆となったと、なつかしく有り難く思いおこしています。

 これからの一年間は、六代教主としての仕上げの時と位置づけ、教祖神、そして五代様の御心を忖度、拝察しながらつとめ上げたいと願っています。そして引退後は、ちょうど、平成24年の神楽岡・宗忠神社ご鎮座百五十年記念祝祭、平成26年の立教二百年大祝祭、平成27年の大元・宗忠神社ご鎮座百三十年記念祝祭を長男宗道が斎主で私は参列した姿でつとめましたように、七代教主の邪魔にならぬよう、いかに縁の下の力持ちになれるかを修行の眼目として月日を重ねることができれば有り難いと思っています。

 あらためて皆様に心から厚く御礼申し上げます。