「G7」伊勢神宮参拝に思う

平成28年7月号掲載

 去る5月26日、27日の両日にわたって開催されたいわゆるG7(先進7カ国)首脳会議は、多くの皆様がテレビや新聞でご覧になったように、首脳一行の伊勢神宮参拝から始まりました。

 宇治橋のたもとで待つ安倍首相に迎えられた首脳方は、宇治橋を渡り参道の玉砂利を踏んで御正宮に向かいました。内玉垣に案内された一行は、天皇陛下をはじめ皇室の方々の参拝にならって、整列して一斉に一礼をもって参拝されました。

 首脳方が感じたものは夫々でありましょうが、私にはかつての英米仏と日独伊に加(カナダ)の加わった首脳が、こうした形でお伊勢様に参られたことに感慨ひとしおのものがありました。それは、翌日、オバマ米大統領が広島を訪問してつとめた、原爆慰霊碑での敬虔な姿勢にもつながっていたと思います。

 こうした中で、私の中ではあらためてお伊勢様と本教とのご神縁に思いが駆けめぐりました。

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 車も電車もない江戸時代、一度のお参りに岡山から往復ひと月もかかる参宮をご生涯に6度までおつとめになり、ひたすら  「天照大御神の御開運を祈り奉る」 の祈りに徹せられた教祖宗忠神を戴く私たちです。

 二代宗信様の時の江戸末期に挙行された「伊勢千人参り」、迎えた神宮の神官にして国学者の足代弘訓師の一言「神道の大元はここ伊勢だが、教えの大元は備前の中野なり」に、教祖神ご降誕ご立教の地である備前の中野は、多くの方々から「大元さま」と崇められ、現在の「霊地大元」になりました。

 京都は吉田山に鎮まり、全国の神社をいわば取り仕切っていた吉田神社の境内、その東南の高台その名も神楽岡にご鎮座なった宗忠神社は、時の帝孝明天皇の勅願所にまでなったこと。しかもこの地は、ご鎮座10年前の嘉永5年(1852)に、後に明治天皇と立たれる孝明天皇のご長子がご降誕になりその「胞衣(胎盤)塚」の鎮まる東南の高台でもあること。

 孝明天皇の御前で御道を講じた赤木高弟に賜った御製
 「玉鉾の道の御国にあらわれて日月と並ぶ宗忠の神」、更に明治16年、明治天皇の御前講演をつとめた山野定泰高弟の立像(真庭市)の碑文に
 「日本神道に就いてと題する御前講演を命ぜられ天顔咫尺(天皇陛下のお側近くに進むこと)の光栄に浴す」とあること。

 明治18年の大元・宗忠神社ご鎮座の奉告と神恩感謝を捧げるための伊勢萬人参りは明治21年につとめられ、それは第1回となり明治40年まで5回の萬人参りが挙行されたこと。その後も毎年新年の参宮団参は絶えることなく続けられ、昭和49年に竣工の神道山・大教殿の御神殿は、前年の昭和48年に斎行された第60回式年遷宮で古殿となった内宮御正殿の古材を大量に賜って造営されたこと。

 特に、第61回62回の式年遷宮に教団を挙げて奉賛させていただいたこと。とりわけお互いに忘れ難いお木曳行事、お白石持行事への参拝奉仕。

 平成26年の立教二百年大祝祭を中心としたいわゆる“祭り年”を満願成就なった奉告と神恩感謝の、この2月につとめた萬人参りをはじめ、昭和の2回、平成6年の萬人参りと、私たちは格別のご神縁をいただいている「お伊勢様」です。

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 私には、伊勢神宮とは何かと問われる度に決まって申し上げることがあります。

 それは伊勢神宮、すなわち「皇大神宮」と天皇陛下はご一体にあられるということです。

 先帝が崩御になり即位された新天皇は、大嘗祭という御祭りをつとめ、名実ともに天皇陛下と立たれます。

 伊勢神宮の方向に向かって新しく造られた大嘗宮で、四日四晩の祈りの中に新天皇は皇大神宮に鎮まります
 天照坐皇大御神の御神霊を神迎えされます。
ここに鎮まった天皇霊を、私たち国民は大御心と崇めるのです。それは子を持つ親の親ごころを大きくしたところにあると信じていますが、大御心はいつもは私たちには見えませんが国民の危機的なときにまさに発露されます。

 71年前の終戦直後、連合国最高司令官マッカーサー元帥の前に立たれた昭和天皇陛下が、マ元帥の思いとは丸反対の「戦争の責任はすべて自分にあり」と明言し「戦争に責任のない国民が飢え苦しんでいるから一刻も早く食糧を」と訴えられたこと。

 この度の熊本地震もそうでしょうが、5年前の東日本大震災に際して度々被災地に行幸して被災者に仰った「よくぞ生きていて下さいました」のお言葉は、実に大御心の発するところのご言動と拝察することです。

 陛下のご日常が祈りを中心としたものであることは、明らかにこの大御心を崇め尊び、常に生き生きとお働き下さるためのおつとめと確信いたします。

 平成25年10月2日、第62回式年遷宮の本祭典ともいうべき「皇大神宮遷御の儀」に、有り難くもお招きいただいた私と長男の副教主と孫の宗芳は、秋篠宮殿下に続く安倍首相以下8名の閣僚方の後を進む200名ほどの方々の中にありました。今上陛下の御姉上であられる神宮祭主の池田厚子様、鷹司尚武大宮司、この方々をはじめ装束に身を正した大勢の神職方がつとめられましたが、先頭を参進しこの遷御の儀の最も主要なお役は天皇陛下の勅使でありました。

 さらに申せば、天皇陛下の厳修される毎年11月23日の新嘗祭は、大嘗祭の縮小されたものと伺いますし、伊勢神宮で毎年斎行される数多くの祭儀の中でも、10月17日の神嘗祭は最重要視され、いわば20年に一度の式年遷宮遷御の儀の縮小版といえると思います。

 このような、陛下の大嘗祭と新嘗祭、皇大神宮の遷御の儀と神嘗祭と相呼応するような関わりをみるとき、天皇陛下と神宮がご一体にあられることが分かります。

 世界に聖地と崇められる所はいくつもあるでしょうが、神宮のような聖地は稀でありましょう。

 G7の首脳方のことです。きっと神宮について学び、足を運んで参拝しただけに、感じられたものは深く強いものがあると拝察します。

 私たちの宗教教団としての責任、使命も重いということです。お互い、自らの日々の祈りと信仰生活の充実に一層つとめてまいりましょう。