古きを温ねて新しきを知る

平成28年2月号掲載

 RSK山陽放送ラジオは、昭和28年(1953)に岡山市に開局しました。開局して以降毎年、その元旦放送の第一声として、五代宗和教主様の「新春を寿ぐ」とのご講話を放送するのを恒例としていました。同49年(1974)からは、現教主様が同放送を受け継がれ、今年も放送されました。

 また、本誌1月号既報の通り、教主様が教育後援会長をおつとめの「おかやま希望学園」が昨年創立20周年を迎えました。昨年11月1日付の山陽新聞にそのことを報じる一面記事が掲載され、教主様が一文を寄せられました。

 今号の「道ごころ」には今年の元旦放送「新春を寿ぐ」と昨秋の寄稿文を紹介させていただきます。(編集部)

 山陽放送ラジオ「新春を寿ぐ」

 あけましておめでとうございます。
 まず皆様のこのひととせのご多祥、ご多幸を心からお祈り申し上げます。

 さて、50年ほど以前の話になりますが、現在の黒住教本部であります神道山に、それまでの150年あまり本部であった現在の宗忠神社がある大元から遷り上がりますとき、私は神殿の、私どもの申します大教殿の設計に頭を悩ませていました。日本人の古くからの信仰であります神道は古代の米づくり、稲作に始まるとのことから、その米蔵が構造的にはそのまま伊勢神宮の御正宮になっていること、その米蔵が人の住まいとなったのがいわゆる大きなわら屋根の農家だといわれているところから、日の出を迎え拝むことを最も大切な祈りの時とし、有り難い感動の日の出を求めて上がる神道山の大教殿は、農家を大きくしたものをとの願いから、いわゆる天井のない、屋根裏がそのまま天井になっている神殿を目指しました。そこで頭を抱えましたのが、建物の大きさ、空間が頭に画き切れないということでした。人の両眼は横並びだからでしょうか、横の広がりは理解できましても、縦の高さがなかなか分からず、そのため建物全体の大きさ、広がりが画けなくて悩んだのでした。

 米づくりに始まる日本人の信仰である神道の歴史という、特別な縦軸は尋ねることができても、自分に直接に関わることになりますと、現在を中心とした日常のつとめをはじめ人間関係、世のありさまなど横軸には直ちに目が向くのですが、過去のこと、すなわち親の世代や祖父祖母のこと、更には子や孫の世の中である未来に向けての縦軸にどれだけの心をくばり、思いを致しているかと思うと、じくじたるものがありました。

 昨年は、先の大戦の終戦70年でしたが、終戦の年が小学校2年生でした私など、いわゆる戦後世代のはしりとして教育され、それだけに懸命に生きてきたつもりでしたが、戦前戦中を生き抜いてきた親の世代をはじめ、祖父祖母、さらには曽祖父曽祖母の生き方などにあまりにも目を向けていなかった自分に気付かされたことでした。

 そういう視点に立って世の中を見ますとき、子供のいない人はいますが、親のいない人はおらず、その親にまた親があるにもかかわらず、この先祖先人に対するおもんぱかりのあまりに欠けた人生を重ねている人の多いのにがく然としました。わが親の喜び悲しみ、苦しみもあまり知らず、祖父祖母のことにも関心がなく、端的に言えば、そのお墓に参ることもないままに年月を重ね、いわんや、その年祭、仏教でいう法事もろくろく営んでいない人が多い世の中になってはいないでしょうか。

 人間関係の縦のつながりを重んじてきた大学の体育会系でも、同学年は交流しますが先輩後輩のつながり、交流は昔ほどでなく、さらにはその部活動の歴史も疎んじる人が増えているようです。私は教主という立場もあって、周囲の人に先祖先輩への崇敬の念の大切と、後輩、若い人のことに思いを致す大事をあらためて訴えていますが、自分のこと、己れの身の周りのことに終始して、そういう人間関係の縦のつながりに関心を示さない人が多いように思えてなりません。

 そういう折から、当RSK山陽放送の社長原憲一氏が発意されてのお呼び掛けで、先年、岡山日蘭協会が設立され、日本とオランダとのご縁を大切にする動きが始まったことには心底敬服しています。と申しますのも、これはまず郷土岡山における蘭学、すなわち江戸時代における最先端のオランダからの科学の顕彰から始まりましただけに尊く思うのです。それは、オランダおイネと呼ばれる江戸時代に来日した彼のシーボルトの娘が岡山に極めて縁の深いことが糸口になるのですが、津山藩のお医者さん宇田川榕菴のことなど、様々な活動を通して多くの県民が始めて知る偉大な先人の成しとげた事が紹介されていきます。身近なことから言いましても、私たちが日常口にするコーヒーもその漢字を王偏に加えると書いてカ、そして同じく王偏に非常時の非、あらずという字を当ててヒ、あわせてカヒ(珈琲)と読ませたり、宇田川先生はシーボルトとも交流してわが国初の植物学書や、化学書を出版し、今日も私たちが日常に使う「酸素」や「元素」から「酸化」や「還元」という言葉を考案しているのです。その果たされた功績は、今日の科学の基礎をなすもので実に尊いものがあります。

 このような郷土の偉大な先人のことも詳しく知ったのも初めてで、不明を恥じるばかりですが、いわゆるマスコミのリーダーの方が、こういう岡山日蘭協会を設立して運動を展開されることによって、現在の世の中に失われがちなまさに「古きを温ねて新しきを知る」精神を呼び戻して下さることを心から有り難く思うものです。併せて、私も一人の宗教者として、神仏を敬うとともに、先祖先人の心を、そして生き方を尋ね尊ぶことの大切を訴えてゆかねばとの思いを新たにしているこの新しい年の元旦であります。

 真の教育ここに在り

教育後援会長 黒住宗晴

 全国に3校しかない不登校児のための学校のひとつが岡山にあることを知ったのは、20年近い前のことでした。

 実は、いろいろな人の悩みや苦しみに接することの多い立場上、不登校の子供たち、またその親御さんの辛さを少しは知っていましただけに、岡山にそうしたお子さん方のための学校があるとは“さすが教育県岡山”と首肯したことでした。

 不敏ながら教育後援会でのお役を担うことになりその実態を知るに及んで、おかやま希望学園はまさに教育を主体とした学校で、決して社会から隔離されたところでもなければ、子供の遊び場でもないことに感銘いたしました。

 それだけに、先生方のご努力は並々ならぬものがありますし、その精神性の高さに敬服するとともに、真の教育ここに在りの感を深くしています。

 一人でも多くの方に、おかやま希望学園への想いを持っていただき、ご理解を賜り、ご支援ご後援くださいますよう心からお願い申し上げます。