受けて立つすごさ

平成27年12月号掲載

 今年平成27年は、本教にとっては大元・宗忠神社ご鎮座130年の年でしたが、わが国日本にとりましては戦後70年の年であり、また日露戦争110年の年でありました。

 個人も団体もさらに国についても言えると思うのですが、危機的なときにその本質が現れるということです。

 日露戦争の命運を決したといえる日本海々戦において、日本艦隊の総指揮を執られたのは東郷平八郎司令長官(後の元帥)ですが、大元・宗忠神社の社名碑、また今村宮の社名額もこの方の筆になるものです。

 日本海々戦を前に東郷司令長官は、かねて御母君や夫人がお参りになっていた本教の麻布教会所(現東京大教会所)の岡田敏子所長に大戦に臨む心構えを尋ねられました。岡田所長は、自分は女性だから本部から相応の先生を呼ぶということで上京したのが当時の幹部である森住豊次郎先生でした。そこで伺った教祖神の御教えの中で
 身も我も心もすてて天つちのたったひとつの誠ばかりに
の御神詠にいたく感銘した司令長官は、旗艦三笠の上で全軍を指揮しながら、この御神詠を吟じ続けられたと伝えられています。その時代に世界一といわれたバルチック艦隊と戦って奇跡的なともいえる勝利を収めた時、東郷司令長官の下された命令は、海に漂うロシア兵を救い上げろということでした。今の今まで命を懸けた戦いの中にいた日本軍人方は、5月の末とはいえいまだ冷たい日本海に飛び込んでロシア兵を救出しました。しかも、いわば捕虜となったロシア兵に、共に戦った戦士として長崎の雲仙温泉とか四国松山の道後温泉で療養の機会を与え、順次母国に送り返しています。

 私はかつて島根県の玉造温泉に泊まりました時、宿の部屋に掲げてある東郷元帥の書に胸を打たれました。そこには「遂其終」とありました。“その終わりを遂げる”とは、日本海々戦に際しあらゆる場合を想定して戦いに臨み最高の形で勝利し、しかも想定通り部下たちがロシア兵を助けたことを物語っていると拝察しました。東郷司令長官は、戦争終結後、その戦勝報告に伊勢神宮と出雲大社に参拝していますが、大社にお参りした折に投宿したこの宿で染筆されたものと思われます。

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 終戦70年は、広島、長崎に原爆が投下されて70年ということでもありますが、広島のいわゆる原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあることをご存じの方も多かろうと思います。私はこの言葉を知った若い時、“原爆を落としたのはアメリカではないか。なぜ日本人が謝らねばならないのか”との思いがありました。しかし、それは現存する人類を代表しての思いであることを知り、半分、分かったような気になっていました。しかし今年の夏、この原爆慰霊碑の言葉に感動しているのがロシアのプーチン大統領であり、キューバのカストロ国家評議会前議長であることを知りました。両氏は、日本人の精神の深さ高さに心底感心しているということでした。

 昭和20年の終戦直後、いわゆる進駐軍の一員として日本にやってきた一人のアメリカ人が、九州の農村で白木の十字架の墓を見つけ、そこに葬られているのが日本を襲撃して撃ち落とされて果てたアメリカ軍人であることを知り、心から感激したそうです。また、ある町で日本人の家に招かれたアメリカ人が、ご馳走になった料理があまりにおいしかったので夫人にお礼を言いたいと言ったところ、ご主人から言いにくそうに“妻は先の空襲で亡くなりました”と言われ、ほうほうの体でその家を辞したとのことです。

 このような話を教えていただけたのも戦後70年という年の所為かもしれませんが、日本人の精神性の高さを教えられる話で胸熱くなったことでした。

 外国の人から言われてあらためて感じ入ったのは、4年前の3月11日に勃発した東日本大震災の日のことです。あの日、東京では電車もバスも車もすべてストップした中で、何百万人もの人々が粛々と歩いて家路に就いていたことに感動したと、その後会った数名の外国人から聞かされました。自分の国だったら、人々はパニックに陥り、暴動が起こり手が付けられないことになるだろうとのことでした。“日本人はすごい”“日本民族の心は気高い”“本当の武士の心を持っている”等、その人たちが交々言った言葉です。

 このような高い精神を、教祖神は、
 何事も天のなすのと思いなば苦にもせわにもならぬものなり
 天地にまかせまつりしわが身にはあたえ給いしことの嬉しさ
 向こうことみなおかげぞと思いなばねてもさめても有り難きかな
等の御神詠でもって教えられています。

 教祖神ご在世中の同じ頃に詠まれた歌に
 この秋は雨か嵐か知らねどもきょうのつとめの田草取るなり
があります。

 天変地異、その上に戦争など、あらゆる災難を受け止め、そこから新たに立ち上がって新たな時代を切り開いてきた先祖先輩、先人方の心根の潔さにあらためて頭が下がります。

 そして同時に、その精神がいわゆるDNAではない、血として私たち日本人の中に生きていることを有り難く思います。

追記
 かつて私は大元・宗忠神社の楠は明治9年に植えられたと本誌にも記し、またよくお話ししてきましたが、明治22年(1889)に植えられたものでした。おことわり申し上げ訂正させていただきます。