二つの〆鳥居(しめどりい)

平成27年5月号掲載

 立教二百年の昨年はまた、神道山ご遷座四十年の年でもありました。ご遷座に際して神道山に新しくできた建造物の中に、いくつかの古いものがありましたが、そのひとつは正参道口に立つ一対の石柱いわゆる〆鳥居です。これは、教祖神のご在世中には、御宅の前を南北に走る道路が参道で、その北詰の所に立っていたもので、そこは旧山陽道の支道ともいえる東西道と交わる所でした。もっとも、明治時代になって鉄道が敷かれ、現在のJR宇野線ができた時にその名も大元駅が造られ、そこに至る道が参道となり、明治18年の宗忠神社ご鎮座に際しては、新しくできた南北に走る児島線道路までの200メートルに石畳が敷かれて大鳥居も立てられ、名実ともに参道となっていました。(この石畳もご遷座に際して神道山に移されて今日の大教殿参道に使われています)

 こういうことで、参道が取って代わられても、旧参道口の石柱は現在の大きな道路が造られるまで、教祖神ご在世中の参道を伝える貴重な存在でした。

 神道山に車参道が開通し、いよいよ大教殿の御敷地造成にかかる時、この〆鳥居は神道山に移されて今日の姿になりました。

 この石柱は、教祖神を度々お招きして近郷の人々を集めて直接そのお説教を拝聴する機会をつくっていた、現在の和気郡和気町尺所の大森武介氏(後に藩主池田家より大國の姓を賜った)の、跡継ぎの大國武須計氏が献納されたものです。

 大國氏は、大元の宗忠神社ご鎮座に際し、教祖神の御産屋を移築して家のない人に使ってもらおうとされていた当時の三代宗篤管長(今の教主)に願い出て、その人への家は大國氏が新築して差し上げて、御産屋は自宅に戴いて帰られました。ご存じの方が次々とおありと思いますが、この御産屋は、現在は衣笠中教会所(和気郡和気町衣笠)に教会所と併設して大切にされています。

 大國氏の献納されたこの石柱には、三代様の御筆になる書で次のように刻されています。

 養無一誠 生々大道
 神人不二 名教洪寳

 「形は無いが確かにある人間の本体であるご分心 天照大御神のみわけみたま を養うという誠ひとすじに生きることが、天照大御神のすべてを生かし育まれる大道にかなった生き方である。
 それは、本来、神と人とは(ご分心をいただいているがゆえに)二つならざる存在の人間が、生かされて生きて神人一体になるというまことに尊い教えであり、これは私どもの大きな宝である」と、高らかにうたい上げられていると私は理解しています。

 ところで昨年の3月、私は香川県の象郷教会所に久しぶりに参拝し、「立教二百年奉祝推進・祈りの集い」を開いていただきました。すべてを終えて辞する時、参道口に立つ〆鳥居に目を奪われました。そこには、右に、「離我任天行」、そして左に、「養無楽生通」とあり、その裏側に昭和10年 松浦ヤチヱと刻されていました。

 そこで教会所の長老に教えられたのは、80年も以前のことですが、松浦さんは重い病の床にあっても実に御道信仰手厚く、所長の祈り、説き、取り次ぐままに、ひたすらお祓いを上げ、お取り次ぎを有り難く受けいただくうちに快方に向かって本復なり、その感激と感謝の印に献納された〆鳥居であるということでした。

 察しますのに、松浦さんは、病床にあって襲い来る苦しみと死への恐怖の中で、ひたすら祓いに徹し、教祖神の御名をすがるように呼んで、揚げ句、すべてをお任せ申し上げる心になるように行じられたのだと思います。教祖神の「この黒住宗忠を師と慕う者は決して見殺しにはせぬ!」の一言を頼りに、願い、すがり、祈る中に、すべてを任せ切る世界に入られたのだと拝察します。形は無いが確かにある松浦さんの本体であるご分心を養う中に、死の恐怖からも解き放たれて、人間は死んでも本体の自分は死なないという、生き通しを楽しみ待つほどの尊くも高い境地に至られたことが伺われます。ここまで心を澄ませ高めたところに、ご神徳に浴する道が開け、おかげを受けて本復なった松浦さんだったのです。この松浦さんの娘さんが、同じ香川県の高松中教会所の篤信のお道づれ図子輝子さんであることを知り、むべなるかなと感じ入ったことでした。

 神道山と象郷教会所の〆鳥居に共通するのは、「養無」の二文字です。大教殿の東側室に、教祖神はじめ五代宗和様に至る代々の真筆の書が掲げられていますが、ひときわ大きな扁額が、三代宗篤様の「養無」です。

 御神詠に
 姿なき心一つを養うはかしこき人の修行なるらん
 有る無きの中にすむべき無き物をなきと思うななき心にて
と教えられていますように、この形は無いが確かにあるわが心、そして心の中の心たるご分心を養うことこそ、よりよき人生を送るために必須の生き方です。

 実は、日常生活で私たちは知らず知らずの内にもこの「無を養う」ことは為しているのです。例えば、親は自分が食べるものを食べなくても、子供に与えて子供が喜んで食べている姿を見て自分が食べた以上に深い喜びを得るものですが、このことなどが「養無」の典型です。この時に、ご分心というわが心の神をお養い申し上げているのです。

 まることの生活信条の「人のために祈ろう」は、人様の幸せに誠を尽くして祈るところに、自分自身を養う道があることを、教祖神のご一生から教えられた一条です。

 実に「人は人に尽くして人となる」のです。