画期的な立教二百年大祝祭

平成26年12月号掲載

 10月11日から11月3日の文化の日まで、10回にわたっての立教二百年大祝祭そして神道山ご遷座四十年の祝祭の全てを、まことに有り難く斎行し終えることができました。有り難い極みであります。

 この日を待ちに待ったお道づれの皆様の喜びに満ちたお顔で、いずれの日も大教殿は埋め尽くされました。斎場の演台に立ちました時の私は、皆様の熱くもやさしいまなざしに包まれる、実に至福の時を頂戴いたしました。

 思えば、教祖神ご立教以来の200年は、近代日本の200年そのもので、まさに山あり谷ありの歳月でした。代々の管長教主を中心に、先輩方が日々祈り、誠を尽くして下さったればこそ迎えることのできた立教二百年大祝祭でした。

 特にこの度の祝祭では、神道山における大祭で初めて長男の副教主に斎主の座を任せ、私はいわば参列での奉仕といたしました。このことは、私にとりまして、40年前の霊地大元からの神道山・大教殿ご遷座以来初めてのことでして、とりわけ副教主が斎主として高座で御七カ条捧読(ほうどく)の時は、毎回身の震えるような感動に浸りました。

 実は、神道山へのご遷座の昭和49年10月27日に先立つこと一年半前の、昭和48年5月13日にご昇天になった父五代様に、神道山・大教殿での大祭の斎主をおつとめいただきたかった、高座にお座り賜りたかったとの思いが抜き難くあった私の中に、再び三度しかもこの度は格別強く蘇(よみがえ)ってまいりました。

 とりわけ、高座の副教主を、斎場で斜め後から拝する私には彼が五代様のように迫ってきて、さらには教祖神と五代様とがご一体になって高座の副教主になられているようにさえ感じられて、胸熱くなり続けていました。その間心中でお祓いを上げ続けている私でした。斎主の時とはまた別の“ありがたさ”に満ちていました。

 特に4回目の大祝祭の10月18日には、斎場の演台に立って皆様にまずこの高座のことをお話し申し上げ始めますと、感極まって言葉を失い、そのまま退下してしまいました。教祖神の御教えをもっと多くと期待されていた皆様には、まことに失礼してしまったの感が強く、自分を責めましたが、しばらくの後、これもご神慮と自分を許す気になって皆様との直会(なおらい)会場に向かいました。

 こうしたことから、自らの歩みをあらためて振り返ってみることになりました。学校を終えて昭和36年の正月から白衣の生活に入りました私にとって、大きな祝祭はその翌年昭和37年の京都神楽(かぐら)岡(おか)・宗忠神社のご鎮座百年、そして翌々年昭和39年の立教百五十年大祝祭でした。神楽岡、大元の二つの大祝祭が私にとって最初の大きな節目となりました。

 いわば、この大祝祭が、昭和40年の社会運動、重症心身障害児施設を造ろうのいわゆる重障児運動を呼び起こしました。半年間のこの運動に区切りをつけて、かねて、岡山ご出身で東京在住の財界の有志の方々のご芳志で計画されていた世界旅行に、10月から4カ月間、出掛けさせてもらいました。

 この二つの大祝祭に加えて、重障児運動と世界旅行という二つの特異な体験は私の大きな宝となりました。

 折から、岡山市の都市計画で霊地大元周辺が大変貌を来すことが予想される中で、若い教師方から湧き上がるように出てきた霊地移転問題も、この二つの特異な体験がなかったならば、私自身がよう組し得なかったのではないかと思う時、二つの祝祭に始まる二つの体験を与えられたご神慮にあらためて畏(かしこ)み奉るの思いが募ります。

 実は、さらにこの奥に、昭和37年から39年の立教百五十年大祝祭にかけて3年間、初めて全国の教会所を巡拝した体験が底力となっていることを、忘れることはありません。

 白衣を着けた私を、初めて迎えて下さった各地のお道づれの皆様のまなざしは、私の御道人生の大きな土台となりました。それは、若き私に対する期待と激励のお心とがひとつになった、実に真剣なものでした。こうしたまなざしに表れる多くのお道づれに支えられての、この大祝祭であったことを痛感いたしております。

 この立教二百年大祝祭を機に、副教主をはじめ次の世代が一層努めに努めてくれることを期待しつつ、私も個人的にもこれからが最も大切な時間だと自らに言い聞かせつつ、御道に自らを没頭させていく心づもりです。

 なお、特にこの大祝祭で心から嬉(うれ)しかったことのひとつは、数多くの参拝者、とりわけ何十年もお参りを重ねている方々から“本部の皆さんの笑顔、温かいお迎え、特に機転の利いた様々(さまざま)な親切な対応に感動した”とのお声が何度も私の耳にも入ってきていることです。これは本部職員の大きな喜びでもあります。

 中でも、10回のみまつりに何回も奉仕者となって、お参りの皆様のために尽くしていらした方々には頭が下がりました。中には神道山に長期滞在しての人、みまつり毎(ごと)に神道山に足を運んで下座の行に徹し、直会の園遊会が終わると毎回後片づけもきちんと済ませて帰っていかれる人など、まさに「仕(つか)え奉(まつ)る」という奉仕の字のごとく、“奉仕の誠”を全うされた多くの方々に心打たれました。

 私はこの大祝祭で一貫してお話し申し上げたことは、「喜んでもらう喜びが最高の喜び」であり、その喜びが自らをつくり上げていく。「人は人に尽くして人となる」のであり、「人間にとって自らをつくり上げるほど大仕事はない」ということであっただけに、“奉仕の誠”を尽くされる方々はそのお手本のように思えていました。

 この大祝祭に表れたこのような姿勢こそ、これからの教団はもとより今の世の中に大切な心根であります。

ここに参拝の方々、また下座の行に徹した方々に心からの敬意と感謝の意を表することです。