記念対談
心豊かに生きるために
—– 渡辺和子ノートルダム清心学園理事長と —–

平成26年11月号掲載

 岡山に本社のある山陽新聞は、去る10月5日、県内の心ある企業団体の後援を得て8ページ立ての「黒住教立教200年特集」を掲載しました。それは「心豊かに生きるために」とのタイトルのもと「宗際活動(注)」「二百年の歴史」「福祉活動」「文化活動」等のテーマに従って編集されています。

 教主様には、「宗際活動」のページで、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生と対談されました。同紙のご好意により、今号の「道ごころ」に転載させていただきます。(編集部)

黒住 渡辺先生には本教本部で2011年に開催された「第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」にお出で下さり、その23年前の岡山大会にも出席いただいています。その時、会をリードされた天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)・葉上照澄(はがみしょうちょう)先生を前に、渡辺先生はまるでお父さんに会った娘さんのようでした。当時はまだ宗教間の垣根が高かっただけに、お二人の温かい光景が今でも忘れられません。

 渡辺 葉上先生とは不思議なご縁で、私が9歳の時、二・二六事件で亡くなった父の葬儀で読経してくださった僧侶のお一人でした。岡山県和気町のご出身でしたから、その後、私が思いがけず岡山に派遣され、大学の学長になると驚かれて。比叡山で千日回峰行を遂げたお偉い方ですが、宗教・宗派にこだわらず、人間味と包容力のある方でした。

「忘己利他(もうこりた)」の精神

 黒住 葉上先生から「忘己利他」とお書きになった茶碗を頂いたことがあります。これは天台宗の開祖・最澄上人の「悪事を己にむかえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というお言葉からとったそうで、大いに刺激を受けました。「忘己利他」はどの宗教にも共通する精神ではないでしょうか。

 渡辺 聖書では「隣人を自分のように愛しなさい」といいますが、同じことだと思います。自分を脇において、隣人が困っていれば何かしてさしあげる。ただ私は「どんな自分でも見捨てない」ということを大切にしています。私は年を取り、背も低くなりましたが、その自分を自分が嫌ったら、自分を必要とする方に親切にできないと思うのです。

 黒住 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が青年期に著した論文「THE ACTING PERSON(行為的人格)」にも「人間は自己を惜しみなく他者に与え尽くすことによって、もっとも完全に自己となり、人格としての在り方を実現する」という一節がありました。

「人生の穴」

 黒住 渡辺先生のご著書「置かれた場所で咲きなさい」には多くのことを教えられました。「人生の穴」の深い人は、それだけ自らを耕していて魅力がありますね。

 渡辺 病気や事業の失敗など、誰でも人生には穴が開きます。その時に「あの人のせいだ」「学校が悪い」ではなく、その穴から今まで見えなかったものが見えるんだという前向きの姿勢が大事です。なぜ穴が開いたかではなく、何のために開いたかを考えていただきたいのです。

黒住 黒住教の教祖の言葉にも「難有り有り難し」があります。重要なのは難があった時にどう受け止め、どう向き合っていくか。ご著書には、絶望しない生き方を訴える、ナチスの強制収容所から生還したオーストリアの精神科医V・フランクル氏の話もあります。

渡辺 極限状況の収容所で生き残ったのは、最後まで希望を捨てなかった人でした。ある囚人は“天との契約”を結んでいたそうです。「私が死ななければならない運命ならば、喜んで死にます。でも天の神様、私の命の短くなった分を、私の愛する母親に継ぎ足してください」と。自分の死や苦しみに意味を持たせたんですね。米国でつらい時があった私も日本にいる母を思い、同じように祈ると気持ちが楽になりました。

大切なこと

 渡辺 私は老いを意識しますが、学生にも言うのは「今日(きょう)より若くなる日はない。だから今日を笑顔で、人さまに尽くし、感謝して生きましょう」。若くてもいつ病気になるか分かりません。やがて迎える大きな死のリハーサルとして、毎日の生活の中でちょっとつらいことを我慢する“小さな死”を実行するようにと言っています。

 黒住 日本人には宗教を超えた共通のものとして先祖崇拝があり、精神的な大きな支えになっています。親は亡くなって形はないけれど、自分たちを見守ってくれているという信仰のような思い。それが今、薄らいできているのが問題のような気がします。

 渡辺 キリスト教で申しますと霊魂とかスピリットですね。ロボットと違い、人間が年を取っても、寝たきりになっても廃棄処分されないのは、そこに人間の尊厳があるからです。近頃は出生前診断などで子どもを産むのをためらう方もいますが、しっかり悩んでから決めてほしいと思っています。子どもは授かりものですから。

 黒住 まったく同感です。命の大切さについて声を大にするのは、われわれ宗教者の責任です。

 渡辺 フランシスコ・ザビエルが日本で宣教を始めたころの辞書を見ると、「愛」という言葉はローマ字で「GOTAIXET」(ご大切)と書かれています。命の大切さを伝えられるのは、単なる教義ではなく、人間味のある温かい人とのつきあいではないでしょうか。黒住教の皆さまがいつも人を大切にしていらっしゃるのを拝見してそう思います。

 黒住 まさに本教が目指しているところです。これからも努めてまいります。

(注)
宗際活動…いろいろな宗教が宗派、教派の垣根を越えて交流し、平和活動や社会活動などにつとめること。