黒住教立教200年 記念対談
より心豊かに生きるために(下)

平成26年10月号掲載

 先月号に引き続いて、6月28日付山陽新聞朝刊に掲載された、松田正己山陽新聞社社長と教主様との対談を同紙のご好意により転載させていただきます。

 なお、同紙では、6月28日また7月27日、8月24日に続く「立教200年記念特集」として、9月14日付朝刊に「社会活動編」を掲載しました。なお、10月5日にもページを拡大して同様のページを予定しているとのことです。 (編集部)

社会貢献活動

 松田 黒住教が歴史的に日本の宗教界に果たした役割は大きいと思いますが、昭和に入ってからは他宗教・他教団と交わり、社会福祉活動、文化活動にも力を注いでおられます。特に戦後、戦災孤児らを受け入れる児童養護施設「天心寮」(赤磐市)創設に続き、1967年の重症心身障害児施設「旭川児童院」(岡山市)開設に向けて社会運動を展開され、山陽新聞社もキャンペーンを張りました。当時、宗晴教主は黒住教青年連盟長として運動の先頭に立たれました。

 黒住 重症児施設の開設運動は、旭川荘を創設した故・川﨑祐宣(すけのぶ)先生(川崎学園創設者)と私の父が親友で、一人の身に四重、五重の障害を持つ子どもたちを受け入れる施設が中四国になかったことから始まりました。街頭募金や著名な芸術家、宗教者の作品提供によるチャリティーも行いました。困っている人のために行動するのは自然の流れです。

 松田 黒住教の奉仕の精神は、阪神淡路大震災、東日本大震災でも発揮されました。

 黒住 阪神淡路大震災の時は現地で51日間、毎日5千食の炊き出しを続けました。日本人は地震が起こるたびに誰を恨むでもなく、すべてを受け入れ、立ち上がってきた。「困ったときはお互いさま」と、この時も大勢のご協力をいただきました。また東日本大震災の被災者支援は今もいろいろな形で続けています。

 松田 黒住教は世界の他宗教・他教団との交わりを重視されています。1995年にはチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王を責任教団となって日本に招聘(しょうへい)されました。どのようなお考えからですか。

 黒住 宗教には人々の幸せに奉仕し、世界の平和に努める責務があります。宗教が争いのもとにならないよう、異なる宗教同士が交流し、共働することが肝要です。

 松田 2000年、ニューヨークの国連本部で開かれた「ミレニアム世界平和サミット」(世界宗教指導者サミット)では、宗晴教主が閉会のスピーチと祈りを捧(ささ)げられ、山陽新聞社もカメラマンを派遣して報道しました。

 黒住 本教の提案で“ヨーロッパの火薬庫”と呼ばれていたバルカン半島各地からさまざまな宗教の代表を招いた会議ももたれ、その渡航費は岡山財界の方々の浄財で賄われました。その後の平和への道すじにつながったのは大きな収穫でした。

 松田 文化活動も積極的に展開されていますね。

 黒住 日本の文化を理解してもらおうと、ニュージーランドのカンタベリー博物館、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州立美術館、米国・ポーク美術館などに、本教に委託された人間国宝をはじめ日本の現代陶芸作家の作品を寄贈しています。また吉備の国岡山に伝わる古典楽と雅楽を一つにした「吉備楽」と「吉備舞」を伝承し、国内外に紹介しています。文化活動も福祉活動も、活動する場の多くは皆さんから与えていただいたものです。

多彩な奉祝行事

 松田 立教200年のさまざまな奉祝行事が続いています。

 黒住 最初が一昨年の京都神楽岡・宗忠神社ご鎮座150年記念祝祭でした。昨年は縁の深い伊勢神宮の式年遷宮の年で、新宮に白石を運ぶ「お白石持(しらいしもち)行事」に約2千人が参拝奉仕し、内宮(ないくう)の遷御(せんぎょ)の儀には私と副教主、八代宗芳の親子孫3代で参拝する栄誉に浴しました。今秋は立教200年大祝祭を、来年には大元・宗忠神社ご鎮座130年記念祝祭を行います。

 松田 21世紀は“心の時代”と言われています。「徹底楽天・徹底前向き…」といった教祖の教えは現代社会に通じると思いますが、黒住教が今後、社会に果たしていくべき役割について、決意をお聞かせください。

 黒住 「人は日(ひ)止(とど)まるがゆえの人」という教祖の言葉があります。「日」は日の御霊(み たま)のことで、人間は体の奥深くに御霊、命の核を持っています。先に申し上げた通り、すべてを受け入れるのが日本人ですが、この本体の働きを邪魔するのが我欲、我執です。御霊をいかに養うか。日常の生活も仕事もその視点を持てば、人生はもっと充実したものになるでしょう。宗派・教団を超えて、人間として、日本人として、より心豊かに生きていただくために少しでも役に立つ教団でありたいと願っています。

(完)