命は自然のたまもの(下)
お宮さんに日が止まる
道ごころ 平成25年4月号掲載
先月号に引き続き、“胎児の命を大切にする”運動を展開してきている「生命尊重センター」の機関誌「生命尊重ニュース」に昨年掲載された、教主様へのインタビュー記事を同センターのご好意により転載させていただきます。 (編集部)
手をかける、目をかける子育てが大事
―最近は、子どもの数が少なくなった割には、親が忙しくて、親子のスキンシップが少なくなっていると聞きます。
今の時代、何でも便利に合理的になり、昔と比べると家事はラクになっています。食べ物でも手抜きをしても美(お)味(い)しいものを食べられる。電子レンジで“チン”すれば簡単に料理ができる。しかし、子育てだけは、そういう流れに乗ってはいけないと思います。
看護の“看”という字は、手と目と書いてありますよね。手をかける、目をかけることによって、子どもはしっかり育つ。だから幼稚園くらいまでは、お母さんの手をかけた食べ物を食べさせる。服でも買ってきた方が格好がいいかもしれないけれど、せめて刺(し)繍(しゅう)を一つでもつけるとか、そういう手をかけることによって、親子の絆ができてくる。親の心が伝わっていくのではないでしょうか。
人間だけではないんですよ。例えば“備前焼”。これの再興に尽力したのは金重陶陽という人で、高校時代に父につれられてお宅へよく伺わせていただきました。印象に残っているのは、「ビニールができてから備前焼は堕落した」と言われたことです。土をビニールに包んでおけば乾かずにすむのですが、土は生きているから、ビニールだと窒息してしまうのです。さらに、土練機という土を練る機械ができ、電気ろくろができた。だんだん機械化されることによって、作り手の焼き物に対する思いをこめることがむずかしくなってきたのだそうです。その話を聞いたときに、作品というのは作るのではなく「生まれるもの」なんだと思いました。
そういう視点で考えると、子育てにどれだけビニールや土練機や電気ろくろのようなものが入ってきているのかと心配になりますね。経済的な問題もあるでしょうが、そういう簡単で便利なだけがあたりまえになって、慣れてしまうのは大間違いですよね。
昭和40年に、重症の心身障がい児、4重5重の障がいを持った子ども達(たち)の施設作りをしました。そういう子ども達が生まれた原因は不明ですが、地元テレビ局の調査によると、妊娠ごく初期の母体の状態や精神的な問題、さらに生活態度も影響しているということがわかってきました。
重障児をもつ3人のお母さんのおかげでその生活ぶりを写真と映画にして多くの人に見てもらい、運動は非常に盛り上がったんです。
そして「旭川児童院」という施設ができた時に、この3人のお母さんが見えて、嬉(うれ)しそうに言われたのが「初めてうちの子が人様の役に立った」と。親の子どもに対する思いはすごいなあと感じ入りました。子どもが如(い)何(か)に人の役に立つか、まさに人は人に尽くして人になるということですね。20代だった私は感動しました。
つい最近、その旭川荘での会議のあと施設見学に行ったんです。映画を作った時に出演した子達に会いに行った。47年前、目が見えない、手足も動かない、耳も聴こえない、おしめも外せない、寝返りもできない、しげちゃんという子はもう54歳。その子のお母さんはいつも、「現役のお母ちゃんしてます。抱きしめることができるんです。幸せなことです」とニコニコして言われるんです。しかもしげちゃんは他のことでは反応がありませんが、お母さんのことを言うと、「う~」と言いながら顔を赤くして喜んでいる。それを見た時に、「人間はたとえ肉体が機能しなくても、深い心の目や耳や手足は機能するのではないか、日が止まった命の核は、健常者以上に敏感に働いている証拠ではないか」と思いました。
だから、宗教者の役割は、そこに視点を当てて、深い心の働き、その存在を感動をもって受け止め、信じて、仰ぐという信仰心の大事さを訴えることだと思っています。
授乳は母子の信じ合う姿
―先生は対談集『心を語る』で、母乳育児で有名な山内逸郎先生と対談されていますね。
昭和40年頃、アメリカのカリフォルニアにある病院を訪ねたとき、1人の小児科の先生が、「日本はアメリカの真(ま)似(ね)をして母乳を与えず、ミルクで子どもを育てている。将来とんでもないことになると思う」と言われたことがありました。それから20年後に国立岡山病院の院長だった山内逸郎先生と対談する機会を得て、母乳育児がいかに大切かを教えられました。
もう亡くなられましたが、山内先生がおられた国立岡山病院は、人工ミルクを拒否し、徹底して母乳育児を薦めてこられたことで、WHOで“赤ちゃんにやさしい病院”の、日本で第1号に認定された病院です。
ミルクより母乳が栄養的にも優れていること。また初乳は生まれてすぐ受ける予防注射のようなもので、免疫体のコンクジュースといわれていること。一番印象に残ったのは、「乳房から母乳を飲むことによって、生まれたての人間の子に、人間の魂が入る」という話でした。
お母さんにとっても、おっぱいを飲ませることによって、母親の心、母性愛が育つということが科学的にもわかってきたと。それはおっぱいを吸われると、母親の血液中にプロラクチンというホルモンが増え、そのホルモンは母親をいっそう母性的にし、子育てに一生懸命にさせるというのです。
科学の進歩で母乳に近いミルクができたからいいというのは、人間の思い上がりです。自然な親子のかかわりが一番です。お乳を飲ませるということは乳房を親子が共有すること。お腹がすいた子どもとお乳が張って苦しくなった母親が、お乳を飲ませることでどちらも満足する。その姿は至福の境地といえるでしょう。
母親は、1日に10回以上もオッパイを与えます。しかも、母ならばその子をあざむかないし、うらぎることもない、何よりの信頼関係ですよ。オッパイを飲んでいる赤ちゃんの格好はまた、子宮の中での姿勢と同じであって、羊水の中でゆれるのと同じように、抱かれてゆれるのが赤ちゃんにとっては一番の安心なのです。その感覚は、十月十日(とつきとおか)、全身全霊で、細胞の隅々までしみ渡っている。心が安定しきっているわけです。その時、母親はやさしく赤ちゃんに声をかけてやればいいそうです。子宮の中でも母親の声はちゃんと聞いていたのです。そしてやさしく見おろしてくれる母親の目を見ながら、母親を知っていくのです。
山内先生は、「子育ては、目方がどれくらい大きくなったかということより、その心がいかに育てられているかが問題なのです」とおっしゃいました。そういう意味でも、幼児期における母親の役割は大きいです。母乳育児やスキンシップ、母親の言葉かけを通して、ずっと心の奥に培われた母親との素(す)晴(ばら)しい人間関係が、その子の人生で人を信じる大元になるのだと思います。子育ては、人の生きよう、生命に関わる大切なことです。円ブリオ《編集部注》の皆さまは、生命や子育ての本質に関わるお仕事を、宗教を超えてつとめておられるのが素晴しいことだなと、改めてこの活動に期待します。 (完)
《編集部注》「エンブリオ」とは、“8週までの胎児”という意味。平成5年(1993)にドイツで交通事故のために脳死状態に陥った妊娠4カ月の女性の胎児が生きていることから出産までの延命措置が執られ、その支援に端を発して「ひと口1円1億人への胎児おうえんボランティア基金」として発足。平成14年(2002)にNPO法人「円ブリオ基金センター」が設立され、“赤ちゃんが生まれて一番幸せな国”をつくるために、ひと口1円、国民の善意をコツコツと集め、妊婦さんを応援している。