命は自然のたまもの(上)
    お宮さんに日が止まる

道ごころ 平成25年3月号掲載

 昭和51年(1976)、シンガポールで開かれた第1回アジア宗教者平和会議で教主様はマザー・テレサ女史と席を同じくされました。その後、マザー・テレサ女史が来日した際に提唱した、“胎児の命を大切にする”運動を展開してきている「生命尊重センター」が過日、教主様に生命観についてインタビュー。機関誌「生命尊重ニュース」に掲載しましたので、同センターのご好意により、今号と次号の「道ごころ」に転載させていただきます。
 なお、教主様には同センターがかつて発行した「赤ちゃんが生まれて一番幸せな国」(井上雅夫氏著)の推薦文を同ニュースに寄稿され、本誌に紹介したことがあります。 (編集部)
 日本には独自の生命観や子育て観があります。今回は黒住教教主・黒住宗晴氏に宗教者としての立場から、お話を伺いました。

妊娠は「お宮さんに日が止まる」こと

―出雲にはかつて、妊娠することを「お宮さんに日が止まる」という言葉で表現されることがあったそうですね。

 出雲地方には黒住教の教会所もあり、子どもの頃からよく行っていたのですが、若い時お会いしたご婦人が、息子の奥さんの妊娠を「ありがたいことに、うちの嫁のお宮さんに日が止まりました」と言われたんです。子宮は“子どもの宮”と書きますからね。そして“日”というのは、私どもの教祖の言葉に「人は日止(とど)まるの義」というのがありますが、出雲大社の宮司さまに聞きましたら、「ひ」は御霊(みたま)のことを言うそうです。ですから、妊娠は「お宮さんに霊(ひ)が止まる」ということでもありましょう。「ひ止」まって「人」になるのです。この言葉が日常的に使われている出雲は、さすがは神々の国だと思いました。歴史が生んだ言葉なんでしょうね。京都大学の恩師である平澤興先生にこのお話をしましたところ、「宇宙に飛ぶロケットも不思議だが、それに比べると、子どもを授かる不思議さや、人間が生きている不思議は、はるかに不思議で、とても説明できない。この出雲の婦人のお話は、学問で言えばノーベル賞級のものですね」とおっしゃいました。
 私どもは黒住教の本部を吉備の中山の一角、神道山に移して、毎朝お日の出を迎えることから一日が始まります。何10年も毎朝太陽を拝んで感じますことは、一日として同じお日の出がないということです。同じ場所で、同じお日さまを拝んでいてです。私も理屈では、太陽の周囲を地球が自転しながら公転していると知っていますが、お日の出の瞬間というのは、きょうのおひいさまが今生まれたという感動、理屈ではない大自然の不思議を感じます。

己が身の誕生の日は、母受難の日

―日本には、古来、「命は天からの授かりもの」「命は大自然の贈り物」という生命観が自然に伝わってきたのですね。

 私の祖母は、父が生まれる時、腎臓が悪かったらしくて、当時「女だてらに十六貫」、今で言うと60キロでした。それが健康的に太ったんじゃなく、腎臓を患っていて水ぶくれだったんでしょうね。それで、このままでは親子共に命を落とすから、子どもを諦めるよう言われた。それでも、祖母は泣いてお医者さんに頼んで、明治38年11月1日、父は7ヶ月で引っ張り出されたそうです。麻酔もまだできてませんしね。本人が言ったわけではありませんが、生き地獄みたいな話ですね。それで、五百匁(もんめ)足らずといいますから1900グラム以下で引っ張り出され、逆さに吊るされてお尻をたたかれてやっと「ふんぎゃあ!」と言った。これは父が言ったんですが「普通赤ちゃんは生まれておぎゃあと泣くけど、わしはおとなしいから、生まれた時から静かだった」と。そして保育器に入れられて「わしが本当の箱入り息子じゃ」と言って笑ってましたけど。
 結局祖母は50代で腎臓病で亡くなりますが、亡くなった時、私が生まれる前のことですが、息子である父の悲しみは尋常ではなかったと聞いています。そういうこともあって、我(わ)が家では自分の誕生日はおふくろへの感謝の日です。
 もう20数年前ですが、飛行機の機内誌でたまたま見つけた歌に「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母受難の日」というのがありました。お母さんにとってお産は今も昔も命がけですよね。
 両親を始(はじ)め、兄弟や先輩など身近な人たちに「もう一度生まれるとしたら、男と女とどっちがいい?」と聞くと、男性はみんな男がいいと言うし、女性はみんな女がいいと。男の私からすると、お産のように命がけのこと、苦しいことはかなわんと思っていますが、そういうことがあっても女性は女がいいと言います。
 昔の人がよく言ってましたね。赤ちゃんを産む苦しみは一時(いっとき)であって、生まれた赤ちゃんを育てる楽しみと喜びによって、産みの苦しみは忘れるって。だからすぐ次の子がほしくなる。そうじゃなかったら、7人も8人も産みませんよ。苦しみがあった分だけ愛情も濃いですからね。
 私自身、おふくろの愛情いっぱいで育ったと思うんですが、私の父は先程の事情もあり、私以上の深い愛情で育ったように思います。ですから先代は私より豊かな心を持っていました。やっぱり摩擦熱みたいなもので、苦労が大きければ大きいほど、それによって養われるものも大きいし、苦労した分、強い思いで結ばれていましたから。祖母も父を生み育てることによって、いっそう養われたんですね。子育ては自分育てなんです。だから絶対に男はかないませんよね。
 戦後の日本は、物質的には発展したといえますが、精神的には敗戦によって失ったものが多いのではないでしょうか。その最たるものが子育てや命に対する考えで、この思いが薄くなったのは、非常に残念なことだと思います。
 まず、子どもが授かるのではなく、作るものになったこと。それから満年齢もお腹にいる間の子どもを人間として認めないということですよね。「お宮さんに日が止まった」ここに命の本流が始まり、サムシンググレートともいわれる神秘の働きをいただける時が始まると思います。
 息をしたり、ご飯を食べたり、夜寝るから生きている。その通りだけど、それは命の支流であって、「日が止まった」のを本流として、そこから命の真清水をいただいて生かされて生きているから、息もできるし、寝ることも、食べることもできるというのが、私は日本人の生命観だと思います。

母親のピンチヒッターはいない

―保育園の夜間保育を延長したり、生まれた後にだけ子ども手当と称してお金を支給するのは、本当に母子のためになっているのか疑問ですが。
 20年近く前に当時のチェコスロバキアからの留学生に聞いた話ですが、この国は第2次世界大戦でナチスに踏みにじられて人口が半減しました。やっと戦争が終わったと思ったらソ連が攻めてきて、その圧政と貧窮に苦しむことになった。復興のためにはまず働けと、全国民が総出で働いたそうです。しかし、赤ちゃんが生まれた母親に対しては、しっかり育児ができるよう5年間、給与の3分の2を国が補助したといいます。“母親のピンチヒッターはいない”からということでした。このチェコの政策のように母親の役割の大切さ、ピンチヒッターはいないという視点を忘れてはならないと思います。
 日本でも働くお母さんが増え、保育園に入れない待機児童の増加や、児童手当など、子どもをとりまく問題がさまざまあるようですが、いのちは日が止まった瞬間、受胎の瞬間から始まるわけです。ここに遡って支給する、これが本当の児童手当ですよね。
 京都大学で心理学を教えて下さった園原教授は、「心理学は人間の心を科学する学問である。しかし、人間の心を科学で完全に分析できるものではない」とおっしゃっていました。そして、「ある時私がおふくろに『お母さんは私をいつ可愛いと思ったのか』と聞いたら、何を聞くんだというような不思議な顔をして、『ある時ふとお前を授かったことを感じて、その晩わしはお前がかわいうて、いとしうて、一晩じゅうお腹をなぜて寝られなかった』と言った」とおっしゃいました。先生の目に光るものがあったのが忘れられません。これは科学的かと言えば、むしろ非科学的なことだと思います。しかし、そういう親に育てられたからこそ、心理学にも深い考えを持てるようになられたのではないでしょうか。(つづく)