心在宮内(こころみやのうちにあり)
平成25年1月号掲載謹賀新年
立教200年をいよいよ来年に迎える本教にとりまして、今年は、有り難くも皆様と共に微力を捧(ささ)げてまいりました伊勢神宮の第62回式年遷宮の年となりました。今秋10月に斎行されます式年遷宮の本祭典を前に、8月3日、「お白石(しらいし)」を、まばゆいばかりの御正宮(ごしょうぐう)の新宮(にいみや)の御敷地に敷き詰める「お白石持(おしらいしもち)行事」に皆様と共に参拝奉仕させていただきます。
江戸時代の、教祖神ご自身の6回にもわたるご参宮をはじめとして有形無形にご神縁をいただいてきたお伊勢様ですが、式年遷宮に深くご神縁を賜るようになったのは前回の式年遷宮からでした。昭和61年、御用材の御神木を運ぶお木曳(きひき)行事に初めて参拝奉仕の機会を得、私自身は母に象徴される多くの先輩方と共に、翌62年も奉仕の汗を有り難く楽しみました。今回のお木曳行事奉仕は平成18年5月と19年6月に奉仕の場を頂戴し、とりわけ2回目の19年は各県各団体のいわゆる“大取り”をつとめる光栄にも浴し、この時は孫たちに象徴される若い人々との奉仕となり、一層有意義なものとなりました。
20年前のお白石持行事奉仕も千名の枠(わく)をもらって、用意された「お白石」を一人ひとりが、まるで宝物を持つようにして内宮(ないくう)奥深く御正宮の足元に祈りを込めて置き鎮めました。今回は顔ぶれは大きく変わるでしょうが、先輩方にならって皆様方おつとめ下さることと楽しみにしています。
それにしましても、式年遷宮で私たちが忘れ難いのは、前々回すなわち第60回のご遷宮で古殿となった御正宮の御神木を大量に拝戴して、折から建築中の神道山・大教殿の御神殿ご造営に使わせていただけたことです。
実は、昭和48年5月13日に昇天された父五代教主の跡を継いで、その年、私は教団の掟(おきて)定めるところにより六代教主に就任いたしました。翌昭和49年の秋、10月27日は、かねて取り進められていました神道山・大教殿が竣工なって霊地大元からのご遷座祭が執り行われる日と決まっていました。
この年の春、3月12日、私は教主就任奉告のために参宮し、お迎え下さった櫻井勝之進神宮総務部長(当時)のご案内のもと大御前に額(ぬか)ずきました。そして、教主就任祝いの席を持って下さった場で、まず御礼言上(ごんじょう)いたしますとともに、前年の昭和48年10月に第60回式年遷宮が終わって古殿となった内宮の古材を、表札(ひょうさつ)板一枚の大きさでもよいから下賜されたい、建築中の新大教殿の御神殿御内陣に使わせていただきたい旨(むね)お願い申し上げました。
式年遷宮で古殿となった御社(おやしろ)の建築材は、程なく解(と)かれて全国の神社の新築や改築に使われるのが常で、極端に申しますと“つまようじ”一本ほどの小さな木片に至るまで無駄にせず生かして使われるということを聞いていました。しかも、各地の神社の方々が御神木の拝戴をお待ちになっていることも承知の上で、教祖神以来のお伊勢様とのご神縁に甘えてご無理申し上げたことでした。
櫻井部長からは、承知した、会議で諮(はか)って連絡する、とのお言葉でした。それからの一日いちにちは、大教殿建築中の工事関係者からの期待と相俟(あいま)って、まさに一日千秋の思いでお返事を待ちました。1カ月過ぎて2カ月目の5月の初め、かかってきた櫻井部長のお電話は、できるだけ大きいトラックでもって来るようにとのことでした。天に昇る思いとはこのことで、青年教師たちが折から新車を購入したばかりの青年連盟員のトラック提供を得て、勇躍して伊勢に向かいました。
帰ってきたトラックの荷台に山積みされた古材の中に、白布に包まれたひときわ大きな角材がありました。それは、内宮御正宮の御内陣で棟を支えていた梲(うだつ)のひとつで、巾(はば)一尺六寸(約50センチ)長さ七尺(約2メートル)の無節(むぶし)の檜(ひのき)の角材でした。今切り出したかのような白い肌と薫りが今も忘れられません。
おかげで、大教殿の御神殿部分はほとんど賜った御神木で設(しつら)えることができ、特にこの角材は分厚い板状に切って御神殿の御扉(みとびら)となり、現在も、毎朝の御日拝後に昇殿してまずこの御扉を開くことから御神前のおつとめを重ねさせていただいていることです。
なお、この櫻井勝之進先生は、昭和51年10月、神道山ご遷座2周年の記念祝祭にお参りになり、満場の皆様の前に感動に満ちたご挨拶(あいさつ)を賜りました。しかも、この日に数えて15歳の立志式をつとめた長男宗道(現副教主)に熱い激励の言葉を頂戴いたしました。櫻井先生はその後、神社本庁総長もおつとめになるなど神社界の重鎮としてあられました。御神木によって生まれた本教とのまさにご神縁を大切にされ、平成16年の教祖大祭に斎行してもらった孫の八代宗芳の立志式の時も祝歌を詠んで贈って下さり、宗道宗芳親子二代にわたってその「立志」をお祝いいただきました。先生は、100歳近いご長寿を全うされましたが、私たちの毎年の参宮に際して度々お迎え下さるなどご生涯の最後まで本教に熱い御心をお寄せ下さいました。
一昨年の新春恒例の参宮の折、いつもお迎え下さっていた神宮幹部の方が定年ということで、バトンタッチするような形で若い神職の方をご紹介下さいました。かつての櫻井先生を彷彿(ほうふつ)させるような品のある学識の高い方とお見受けしましたが、この方が開口一番、言われるのに、かつて明治天皇のご信頼厚く神道の事はこの人に聞けとまで陛下から言われていた方の著書に、「黒住教の宗忠教祖は伊勢の杜(もり)にお鎮まりになっている」との一条があるとのことでした。内宮参拝を終えてまだ緑深い伊勢の杜の中でのこの一言に、私は胸熱くなりながら教祖神の次の御神詠をお伝えしました。
神風や伊勢とこことはへだつれど心は宮の内にこそ在れ
若き伊勢の神職と心通い合った一瞬でした。同時に
心在宮内
の四文字が頭の中を駆け巡りました。
備前の中野(現在の岡山の大元)にあられて、お伊勢様に対する俗に言えば恋焦がれるような教祖神の御心が再び三度蘇(よみがえ)ってまいりました。ひたすら天照大御神の御開運を祈り奉るの祈りのために、江戸時代、ご生涯六度もの参宮をつとめられた教祖神の御心です。
実に「伊勢の杜にお鎮まりになっている」は、大きな感動の一言でした。