同窓の友への挨拶(あいさつ) 三題
平成24年12月号掲載
第62回 京大・東大ハンドボール定期戦にて
6月24日、於京都大学ホール(京都市)
これぞ定期戦。互いの母校の誇りと誇りがガチンコにぶつかり合っての試合でした。真剣勝負の一時間。走り抜いた選手諸君に敬意を表します。一点差で負けたわが京大のキャプテンが、試合後に泣き伏している姿に胸熱くなりました。勝って泣き、負けて泣く。本気で真剣にやった証(あかし)です。まさに青春そのもの。この感動こそ宝物です。泣き伏すキャプテンをうらやましいとさえ思いました。
私など、現役の学生時代はすでに五十数年前の昔のことですが、いまだにハンドボールの夢を見ます。それは先輩に厳しく鍛えられている時のこと。試合の夢は負け試合です。刀折れ矢尽きたという言葉がありますが、全力を出し切ったという意味では、負けた時の方がその感覚が強いのではないかと思います。
真剣勝負、一瞬一刻に全身全霊を懸ける。まさに学生スポーツの真骨頂です。
それにしましても、先月お会いした東大OBの方々とも話し合ったことですが、ここ数年、この定期戦でもって4年生が引退するというのはいかがなものでしょう。言うまでもなく、選手として学生連盟に正式に登録された人は4年間、公式戦に出場できるのです。4年になると工学部の人は実験も続くでしょうし、卒業論文に忙しくなる人もいるでしょう。しかし、今の今まで青春を懸けてハンドボールに打ち込んできたのではありませんか。東大京大、それぞれの関東、関西、秋のリーグ戦に、選手の4年生は最後の試合まで出場してほしい。忙しくて練習に毎日出て来られなくても、これまで積み上げてきた力はなまなかのものではないはずです。この定期戦での、真剣勝負のあの精神を最後まで貫いてほしい。そこにチームの伝統は太く生き続けるのです。続いてこそ道となります。道という字は首を懸けて走ると書いてある。東大京大双方が、一流の強いチームになるためにも、最高学年の4年の選手諸君は秋期リーグの最後の試合までやり抜いて、ハンドボール生活を全うしていただきたい。そしてこの4年間を土台に、社会に飛び立ってほしいのです。心から願います。
佐藤正平氏の2012年日本建築学会賞受賞をお祝いする会にて
6月28日、於ルネスホール(岡山市)
日本建築学会賞ご受賞の佐藤正平さん、またここに至るまでこのルネスホール建築に熱い心を捧(ささ)げて来られた皆様方、この度はまことにおめでとうございます。さらにきょうのこの会のために、わざわざ岡山までおいで下さいました日本建築学会会長の和田先生はじめ建築学会の先生方、有り難うございます。
私は、佐藤さんご出身の京都大学の岡山の同窓会、岡山京大会のお世話をさせてもらっていることからここに立たせていただきました。
かねて伺ってはいましたが、旧日銀岡山支店がこのように立派に蘇(よみがえ)り、しかも市民県民が心安まり心養うことのできる空間になろうとは想像もできていませんでした。
明日の6月29日は、先の大戦の岡山大空襲から67年目の日です。この日、岡山の市中は焼夷弾(しょういだん)で焼き尽くされました。ここから西南5キロほどの町外れの大元で、当時小学校2年生の私の目に焼き付いているのは、遠くに真っ黒く焼けただれて立っている天満屋百貨店だけす。そのすぐ側がこの建物、日銀の岡山支店でした。戦後修復された日銀岡山支店が、さらにこのルネスホールに生まれ変わったことは、今日(こんにち)の私たちに人としての在りようを教えてくれているようにさえ思います。と申しますのが、戦後の生き方の多くには、先人の人生を全否定するようなところが強かったように思います。しかし、良いものには戦前も戦後もない。このことをまず教えて下さったのは、優れた建築家方ではなかったでしょうか。京大の先輩で岡山出身の建築家浦辺鎮太郎氏(注)などは、その先駆けの一人でしょう。佐藤正平さんは、このような建築界の先達(せんだち)の生き方を尊び、この精神の上に深く考え、学生時代から学び鍛えた技とセンスでもって、再生建築の珠玉(しゅぎょく)とも言えるこのルネスホールを生み出されました。それは80余年も前、建築界の大先輩の創(つく)られた日銀岡山支店のその良き所を活(い)かし、もって市民県民を活かす品格高い空間芸術の誕生となったのです。
あらためて心から敬意を表します。有り難うございました。
(注)浦辺鎮太郎氏は、神道山・大教殿の建築設計を担当した建築家。
岡山京大会総会にて
9月1日、於岡山市内のホテル
本日は、京大花山天文台長の柴田先生、素晴らしいお話を有り難うございました。また先生をご案内下さいました大西副学長をはじめきょうの記念講演のお世話いただきました本学事務局の皆さん、有り難うございました。
先ほどの講演会も、予想を越える多くの方々がおいで下さり、柴田先生のまさにスケールの大きい太陽の話、宇宙の話に聴衆の皆さん、寂(せき)として声なく聞き入っておられました。しかも、たっぷりとって下さっていた質疑応答の時間、老若男女を問わず質問が続き、中でも若い人たち、中高校生の人たちが熱心に質問し、また柴田先生が丁寧にお答え下さっていましたこと、彼ら彼女たちの喜びいかばかりかと思い胸熱くなりました。
私の学生時代といえば、もう50数年も昔のことですが、京大は学問の自由を尊ぶということを度々耳にしました。それは同時に、学問からの自由も尊んでいたようでして、 もっとも私などは学問からの自由を尊び過ぎましたが、いわゆる専門バカになることなく、各分野の先生方は自然な姿で席を同じくして飲み食い語り、その談論風発(だんろんふうはつ)のまさに“学際”的な中にご自分を磨き鍛えられていたように思います。京大にノーベル賞受賞の先生方が多いのは、実にこの故(ゆえ)であるということを誇らしく話す先輩方が次々といらっしゃいました。
きょうの柴田先生のお話を拝聴しながら、本学の伝統が脈々と生き続けているのを嬉(うれ)しく実感いたしました。
この席も皆様、京大の同窓会ならではのひとときをお持ちいただきまして、お互いにしっかりと英気をお養い下さいますよう願います。