還暦を迎えた御神幸(ごしんこう)

平成24年4月号掲載

 来る4月1日、宗忠神社御神幸は復活第61回を迎えます。いわば復活御神幸が還暦となります。
 お道づれの皆様はよくご存じのことと思いますが、御神幸が始まったのは、大元・宗忠神社がご鎮座になった明治18年(1885)の翌明治19年で、黒住家代々をはじめ教祖神がお若い時に奉仕され、さらに「千日参籠(さんろう)」のご修行の道場でもあった今村宮(岡山藩の守護神社で宗忠神社の真西700㍍の所)に、「今は神とまつられた教祖神をご案内して神様同士のお引き合わせをしよう」(五代教主の言葉)との先輩方の熱い道ごころから始まったものです。
 と申しますのも、今年ご鎮座150年を迎え、今秋11月3日、4日の両日にその記念祝祭が斎行されます京都神楽岡・宗忠神社が、時の帝(みかど)孝明天皇から「宗忠大明神」の神号を賜り、全国の神社の総元締であった吉田神社からその東南の高台、その名も神楽岡の地を差し出されてご鎮座なったのがそもそもの始まりです。明治維新前後の激動の時を乗り越えた本教の先輩方は、今は宗忠大明神として、しかも孝明天皇の勅願所(ちょくがんしょ)ともなった神楽岡・宗忠神社に続いて、ご降誕の地でありご立教の地である大元にも宗忠神社ご鎮座をと立ち上がりました。
 明治維新政府の厳しい宗教政策の中、各教団の先駆けとして“別派独立”と言われる、その教団独自の宗教活動の自由を勝ち取った三代宗篤管長(今の教主)を中心とした方々は、その時を待っていたかのごとくに始まった各地各所の教会所創設が一段落した明治12年、霊地大元の教祖神のお住まいであった場所をご本殿とする宗忠神社建立に着手しました。
 明治18年にご鎮座なった大元・宗忠神社は、神楽岡より数えて実に苦節二十有三年もの歳月が費やされた大聖業でした。先輩方は、一方であの壮麗な宗忠神社のご建築につとめながら、また一方で、この御神幸の中心をなす御鳳輦(ごほうれん)(教祖神の御神霊をお遷(うつ)しする御輿(みこし))をはじめ今に伝わる御道具の数々を新調していたのです。
 今村宮に向かう第一回の御神幸は、前年の宗忠神社竣工祝祭に勝るとも劣らぬ大感激大歓喜の中で斎行されたと伝えられています。今に変わらぬ神々しく清楚(せいそ)な中にも華やかなお行列は、多くの人々が目を見張るところとなり、岡山市中の人々の強い要望で、明治24年から天下の名園と名高い後楽園(こうらくえん)を御旅所(おたびしょ)として霊地大元との間を往復する現在の御神幸となりました。しかし、戦前戦中戦後の長きにわたって途絶えていたこの御神幸の復活をなしたのは、父五代教主を中心とした当時の先輩方、中でも街内の御神幸お通り筋の住民方でした。
 教団内では、終戦程ない昭和25年に教祖神百年大祭を有り難く盛大に斎行し終えた先輩方が、今こそ御神幸の復活をとの声を挙げました。また、終戦の年昭和20年6月29日の大空襲で街中のほとんどを焼き尽くされた岡山市民方も、まだがれきの残る中にもかかわらずこういう時だからこそ「あの御神幸を!」と立ち上がり、教団内外相呼応する中での御神幸復活となったのでした。
 このようにして昭和27年に復活なった御神幸ですが、昔と変わったのは、まず宮庁から下賜されたかつて大正天皇がお乗りになったと伝えられる御馬車が加わったことです。今から思いますのに、それは、孝明天皇の仰せ出された唯一の勅願所が京都神楽岡・宗忠神社であるということでできたことだと拝察します。この御馬車は、斎主用として御鳳輦のすぐ後を進み、おおけなくも今日私が乗せていただいています。また、見た目にも耳にも晴れやかにお祭り気分を盛り立ててくれる、各地からの協賛民芸陣の皆さんが加わってくれるようになったことも以前にはなかったことです。更に、このお行列の最後尾を掃除しながら歩くお道づれがいて下さるのも復活なってからのことです。
 昨年は復活第60回ということで50回の時がそうであったように、いつもに増して協賛民芸陣も数多くの方の奉仕が予定されていましたが、3月11日の大惨事があったため、祭典楽の吉備楽と子供たちによる鼓笛隊以外のいわゆる歌舞音曲の類いは中止とされました。それどころか、当初、教団内の各地から御神幸そのものを取り止めるべきだとの声も次々とあったようです。しかし、こういう時だからこそ御神幸を斎行するべきだ、戦後のわが国の復興を願い祈って御神幸復活につとめた先輩に倣(なら)うべしとの声も数多く届けられ、昨年の御神幸は華美なものはすべて取り除いてまさに祈りだけの御神幸となりました。
 御旅所における祭典奉仕の教師方は、霊地大元と後楽園の往復六時間近くを絶えることなく大祓詞(おおはらえのことば)を唱和して祈り続けてくれました。
 私は、御馬車に代えて人力車でつとめましただけに、いつもより身近に沿道の皆様の心が伝わってきました。それは御神幸をお迎え下さる方々はもとより、わざわざお店の中から走り出て手を合わす方、ドアを開けて住まいから出て来て声を掛けて下さりながら拍手を打つ人など、この年ならではの御神幸となりました。
 毎年「ワッショイ、ワッショイ」と可愛い声を張り上げる子どもみこしの小学生も、「ガンバレ、ニッポン」と叫び、婦人会の皆さんと募金箱を持って歩き続けて被災地への募金を呼び掛けてくれました。
 このように、昨年の復活第六十回御神幸は「祈りと奉仕」の御神幸そのものとなりました。まさに「天地のご安泰、国土の平安」を祈っての御神幸でした。今年もこの心を基に「世界の大和(たいわ)万民和楽(ばんみんわらく)」を祈る御神幸を奉仕いたす心づもりです。皆様の一層の祈りと奉仕の御心を願い期待しています。