歴史が教えてくれる真実
平成24年3月号掲載
一年前を昨日のことのように思い起こさせる3・11 の3月を迎えるに当たり、改めて大惨事に身失せた方々の霊(みたま)安かれとお祈り申し上げますとともに、今に災害に苦しまれる方々、地域の一日も早い復活復興を心から祈る毎日です。
それにしましても“未曽有の”とか“想定外”と言われ続けた3・11から一年を迎えようとして、新聞やテレビで盛んに報道されだしたのは、かつてこのような大地震そして大津波は幾度か日本列島を襲い来ていたという歴史的事実です。専門の学者は、過去数千年の間に何度も大津波があったことを現場に立って地層を指差しながら説明し、数々の新聞は大津波による被害を克明に書き残した古文書を紹介し、またある新聞は、大津波の被害を伝える石碑に「……年々文字よみ安きよう墨を入れたまふべし」(編集部注:毎日新聞1月15日号)の文字のあることを度々伝えていました。
大津波で甚大な被害を受けた東日本各地で、古い神社仏閣の多くは津波の届かない所に鎮座していたとか、また地域によっては住民の多くが先祖の言い伝えに従っていち早く避難して無事であったとか、時がたって初めて知ることのできることが次々とあります。
それにしましても、いわゆる戦後の六十余年間、私たちはわが国の生きた歴史、先祖先人の生き方、その歩み来た歳月をあまりにも軽視し無視してきました。
私が初めてアメリカに行ったのは終戦から20年の昭和40年の暮れ近くですが、出会った数多くのアメリカ人の中で一人の老学者の言葉が忘れられません。
「アメリカは日本との戦争は半年で終わると考えていた。ところが日本は極めて強く、結局3年8カ月も続き、最後には原爆まで使って終戦となった。日本は物量的には貧弱なのに、なぜか強かった……」というような述懐でした。
戦勝国がまず為(な)すことは、相手の国が二度と立ち向かってこないように力の源を奪い取り骨抜きにすることで、これは戦争の歴史の物語るところです。資源のある地はすべて戦勝国のものになりました。
しかし、そういう意味での力の源泉は無に等しいわが国です。ではその力の源は何かと見たときに、それは親と子、先祖と子孫に始まる人間関係の純粋な縦糸(たていと)でした。先生と生徒、先輩と後輩、ひいては天皇陛下と国民といったこのような縦の絆は、戦後直ちにしかも無残に切られることとなりました。己れを超えた存在のために、自らの命さえ捧(ささ)げようとする純粋な心は、大きな力を発揮していたのでした。しかも幸か不幸か、有史以来わが国は他国との戦争に負けたことがないことが弱点にもなっていて、戦勝国アメリカの占領政策は見事なとも言えるほど効を奏しました。
いわゆる戦後の昭和20年代から30年代に成人した私などの世代は、日本人の宝とも言うべきものを失った典型的な世代と言えましょう。唯物主義的なものの見方、考え方が蔓延(まんえん)し、その上、急発達した科学技術そしてそこから生まれる高度経済成長の波に呑(の)まれるように、今まで先人が培(つちか)ってきたところを失っていきました。かの薬師寺元管主高田好胤(こういん)師の言われた有名な一言、「物で栄えて心で滅びる」そのままの世の中が続いていきました。私たちの世代の多くは、先祖代々の家はもとより故郷を離れて仕事に追われ、その結果、日本は経済大国になりましたが、親をはじめ年長者からの話を聞く機会も持たず親先祖が大切にしてきた道は断たれていきました。今年は古事記編纂千三百年の年だけに、この古事記をはじめ神話を軽んじてきたここ数十年をとりわけもったいなく思います。
ヨーロッパのある国の作家が書いているようですが、「一国を滅ぼすのには大砲も鉄砲もいらぬ。国民にその国の歴史を否定させ別の考えを教え込めばその国は消えていく……」というような大意です。
かつて、本教の吉備楽楽人の一行が招かれてアメリカのハーバード大学の日本文化研究所 ここは西洋社会で最有力の日本文化の研究所 で、吉備楽の舞曲「桜井の里」等を演奏した時のことです。後醍醐天皇に忠節を尽くして果てた楠木正成(くすのきまさしげ)、正行(まさつら)父子の別れの場面を表現した「桜井の里」は、昭和20年の終戦まで日本人として最も崇高な精神を訴える物語であり舞曲として尊ばれていました。日本人気質を研究し、日本人の力の源の何たるかをいわば占領政策の上に発信したハーバードの日本文化研究所で演奏されたこの「桜井の里」に、観客がスタンディングオベーション(総立ちしての拍手)して称(たた)えたということは、まさに歴史の皮肉でした。
昨年の8月14日、私どもは大教殿・祖霊殿で、押し寄せる大津波から人々を守ろうとして殉職した消防団員251柱(当時)の慰霊祭をつとめました。
11月29日、大教殿を主会場に開催された世界連邦運動の宗教者の全国大会に際し、私と言葉を交わした宗教者の中に、この消防団員方の崇高な行為に目に涙して語る方が次々とありました。この日、神道山に集った宗教者方は世界の大和(たいわ)とともに大震災にかかわる祈りを夫々(それぞれ)につとめられましたが、奇しくもこの日、東京でこの消防団員254柱の慰霊祭が執り行われ、ご退院になって間もない天皇陛下は皇后陛下と共にご参列になり献花して祈りを捧げられました。
国というものは、各時代時代にこのような献身的な人々があって成り立っていることを、今の世に強く訴えた慰霊祭でもありました。
折しもこの月は祖霊の月です。春分の日の春季祖霊祭はもとより墓参して、先祖先輩に感謝の祈りを捧げるとともに、それぞれの家の歴史、それぞれの先祖の歩み来た歳月を若い人たちに話し伝える月でもあります。親が子に孫に、その親、祖父母のことを語るとき、その子や孫はそれだけその人生に深みと豊かさを植え付けられ、しかもご先祖様に守られてより堅実な人生への力を得るのです。
年輩者の責任、まことに大です。