大惨事に想(おも)う

平成23年8月号掲載

 この度の大地震、大津波、そして今に続く原発大事故を通じて見えてきたものを、三点に絞ってお話しいたします。多分に飛躍したところ、独断と偏見の謗(そし)りを受けるところがあるかもしれませんがご了承下さい。
 まずその一つは、以前「日新」でも触れましたが、押し寄せる大津波で逃げ遅れて犠牲になった痛ましい方々のことは申し上げるまでもありませんが、そうした人々を助けようとして己(おの)れ自身が犠牲になった方々に、消防団員や警察官が多かったことです。本当に胸痛みました。さらには、その名も防災対策庁舎でマイクを握って町民に避難を呼び掛け続けて、津波に襲われて果てた24歳の娘さんなど、その使命感あふれる行動には涙を禁じ得ませんでした。このような“我を離れた”姿から、66年前の昭和20年に終戦を迎えた先の大戦を思い起こしました。特攻隊の隊員方はもとより、数え切れないほど多くの日本軍人が戦死された大戦です。
 終戦の年に小学校2年生だった私などは戦後教育のはしりの世代で、戦争について語るときの先生の言葉は、共通して日本が悪い、戦死した兵隊は犬死にだということでした。いわゆる靖国問題を持ち出すまでもなく、多くの国民は、あたら若い命を国に捧(ささ)げた軍人方に敬仰(けいぎょう)感謝の思いを持つこともなく歳月を重ねてきました。しかし、どうでしょうか。大多数の日本軍人は、天皇陛下の名のもとに、それはすなわち国、郷里、家族のために、とりわけ国の将来のために戦地に赴(おもむ)き散っていかれたのではないでしょうか。この度の大災害に際し、身を捨てて人々のために尽くして果てた方々に、大戦中の軍人方の心の内が重なって一層胸締めつけられる思いになりました。
 次に思いをいたしたことは、外国の人々も驚嘆した被災した方々の粛々とした態度です。震災後、神道山に訪ねて来たアメリカ人、またイギリスの青年は異口同音に感嘆していました。「よい時に日本にいたと思う。日本人の本質を知ることができたから」と言って、3月11日、東京都内ですべての交通機関が止まった中で、黙々と歩いて帰途に就いた何十万人もの人々、そして翌日は何事もなかったかのように日常生活に戻っていた東京の街に感銘したと申しました。そして、何故(なぜ)日本人は、パニックにもならず、いわんや暴動も起こさず、あのように静かなのかと尋ねました。
 「わが国には、古来大規模な天災人災が度々襲ってきたが、人々はその度にその現実から逃げることもなく、また他の所為(せい)にすることもなくそのままに受け入れて、そこから立ち上がって新しい時代を切り開いてきた歴史があります。このことは日本の武道の基本の動作にも表れています。柔道であれ剣道、空手道、合気道であれ、武道はすべて“受け”の動作から始まります。相手の攻撃を受けてから攻撃するのです。“空手に先手なし”とか“横綱受けて立つ”などと言い、私たちの教祖は“人が茶碗を投げたら真綿で受けよ。そうすれば茶碗は割れないし音もしない”と言っていますが、柔道の“柔”はこの精神そのものとも言えます。このことは戦争についても言えると思います。アメリカ人のあなたには異論がありましょうが、ちょうど70年前の1941年(昭和16年)12月8日の日本軍によるハワイの真珠湾攻撃に始まる大戦についてです。私は、これは決して日本側の先制攻撃ではないと思っています。今もそうですがその頃も、日本は石油のほとんどを輸入に頼っていて、東北アジアに進出していた日本(このことは話が長くなりますから省略します)をこらしめるためもあって(その他の理由も省きます)、当時ABCDライン(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)と呼ばれた連合国の包囲網に締めつけられて石油の輸入はストップされ、そうです、当時“油の一滴は血の一滴”と言われるほど石油が枯渇していました。個人で言えば、鼻と口を押さえつけられて息もできない時、人はどんな態度をとるでしょうか。今も在るヨーロッパの小国リヒテンシュタイン公国でさえも、あそこまで締めつけられたら武器を持って立ち上がると言われた真珠湾攻撃だったのです」。答えはありませんでしたが、この人は真面目に聞いてくれました。
 そして三つ目は、この度の大惨事に際しての天皇陛下のご言動です。まず震災後5日目の3月16日にテレビで放映された陛下の御姿、さらにその御言葉です。多くの国民が胸熱くなった異例のビデオメッセージでした。一人でも多くの人の無事を願い被災者に御心を寄せられ、国民に苦難を共にするようにと訴えられました。さらに、4月14日から5週続けて、皇后陛下と共に被災地にお立ちなって身失せた方々に祈りを捧げ、避難所で被災者に両膝ついて話を聞き慰めの御言葉を掛けられました。誰もがその御姿に涙こぼれる思いになり、なおまた、ご案内役の各県の知事さんの厳しい表情が消えて、穏やかな顔元になっていることに驚いたことでした。
 このことについて、かつて学生時代に学生運動のリーダーだった人に尋ねられました。本人もすごく感動したと言い、それは何故なのかと。
 「それはあなたも日本人だからですよ。日本人の“血”がそうさせるのです。実は、天皇陛下は即位されますと、程なく大嘗祭(だいじょうさい)という御祭りをおつとめになって、伊勢神宮に鎮まる天照大御神の御神霊を神迎(かみむか)えなさいます。この時に鎮まった“天皇霊”、国民は大御心(おおみこころ)と崇(あが)めますが、陛下のご日常はすべてと言えるほど、この大御心をお養いになるためにあります。この大御心のなせるのがこの度の陛下のご言動なのです。例えば、一人の娘がいるとします。狼に追いかけられれば懸命に逃げるでしょうが、ひとたび母親となるとその子を抱いて逃げ、いざとなると自らの身を捨ててでもわが子を守ろうとします。それは、子供を生み育てるところに生まれた親ごころのなせるものです。まさに“親ごころは神ごころ”です。この親ごころを大きくしたところに天皇陛下の大御心はあるのです。避難所で仰せられたご一言、“よくぞ生きていて下さいました”こそ、親の言葉そのものではありませんか」と話したことでした。