・お道づれ ・ラジオ語録岡山の百人
平成23年2月号掲載
1月9日、今年最初の教団行事である「道づれ新春開運祈願祭」が執り行われ、教主様は御親教において「お道づれ」についてお話しになりました。また、一昨年には山陽放送ラジオの番組にゲスト出演して、「日本人の大元」(平成21年12月号「道ごころ」にその一部を紹介)について語られました。このほど、「放送だけではもったいない」との聴取者の声を受けて、山陽放送は今話題の電子書籍を制作。教主様のお話を改めて拝読することができるようになりました。
今号の「道ごころ」に、それぞれの一部を抜粋して紹介します。 (編集部)
お道づれ
今年のお正月で、私は白衣を着けてのお道教師生活50年になりました。改めて50年前を振り返ってみて、懐かしさとともにお道教師としての原点を思い起こして心を新たにしました。
50年前はもちろん神道山に遷(うつ)り上がる前の大元時代ですが、ある中年の男の人と女の人と共に修行する機会に恵まれました。
その男性は、その当時よくいわれたノイローゼのような精神的に落ち込んでいた人で、岡山市中から自転車で参って来ていました。
御祈念の後、教祖記念館に案内して御神前で一緒にお祓いを上げました。いわゆる“お祓い本”を持っての彼を横に、私は何本もお祓いを上げ続けました。それが数日続いていたある日、彼のお祓いを上げる声がだんだんと大きくなってきましたので、私は平伏したままで彼一人のお祓い修行に任せました。何本目かの後、ふと気が付くと彼は泣きながらお祓いを上げていました。しばらくして私は御神前を背に彼の正面に対座して、初めて“お取り次ぎ”をいたしました。間もなく、私は感激の中で彼を抱き締めていました。
翌日お参りしてきた彼は実に晴れ晴れとした顔元で、それから数日間は毎日が御礼のお祓い修行となり、やがて彼は本業に専念することとなりました。
また同じ頃、家庭を失った婦人が大元に参籠(さんろう)していました。毎朝の御日拝の後、大元・宗忠神社の裏手にあった教祖神の奥津城(おくつき)(お墓)にお参りしていた私は、ある日この人に声を掛けて一緒にお参りを始めました。何日目かの朝、教祖神の奥津城にすがりつくように泣き伏した彼女でしたが、その時をご神縁に百日間の学院修行に入り、やがて教師も拝命して後にひとつの教会所の所長になりました。
今年から始まった本誌「お道のことば」に「お道づれ」がありましたが、私にとりまして白衣の生活に入った直後に出会ったこの御二人は、まさにお道づれでありました。
RSK山陽放送ラジオ「おかやま朝まるステーション1494」
(H21年10月26日~28日)
ラジオ語録岡山の百人
石田アナウンサー:お早うございます。黒住教と言いますと日の出を大切にされる宗教でね。
黒住:日の出に祈りを捧げることから一日が始まるのですが、日拝と申しておりますが、今朝はRSKに車で来る途中、そぼ降る雨の中ですが日の出の方角に向かって祈っていました。雨の日も風の日も命の源である日の出に向かって祈っております。
石田:しかし、一年を通して朝、起き辛いこともあるんじゃないですか。
黒住:そりゃあ、眠い時もありますが、そんな朝は、布団をポーンと蹴って、まるで子供が母親のもとに駆けて行くように日拝しております。そんな日の日拝はまた素晴らしいです。昭和49年10月27日に、宗忠神社のある大元から現在の神道山に移ったんですが、その神道山で、一番の“ご馳走”である日の出を拝ましてもらっているわけです。たとえ雨の日でも、太陽が東の空に顔を出す瞬間は見えてなくても分かるものです。
石田:教祖は黒住宗忠で、宗晴教主は六代目教主ということですよね。
黒住:黒住家はもともと神職でしたが、大変な親思いだった黒住宗忠は、あるとき両親がはやり病を患って亡くなったことで深い祈りに入るんですね。1814年、江戸時代の文化11年11月11日、この日は冬至で宗忠の34回目の誕生日でもあったんですが、日の出を拝みながら強くも熱いものを感じとったのですね。そして、まさに自然発生的に立教したのです。子供のいない人はいますが親のいない人はいません。人は親の愛情に包まれて育っていき、やがて鳥の巣立ちのように飛び立っていく。こうして人は一人前になっていくのです。宗忠は、そうした親の存在を大切にした人です。すべての第一に親という考えを持っていたんです。親に感謝し祖を敬う。この日本教と言いますか先祖教と言いますか、そうした生き方が日本という国の大きな力になってきたと思います。
石田:黒住教と言えば、あのダライ・ラマさんがいらっしゃいましたよね。
黒住:終戦から50年という節目の年でした。ダライ・ラマさんは、政治的な問題で日本になかなか来られなかったんですね。それで、私どもが頼まれて入国許可を取ったんです。まず広島を訪問をしていただいてから岡山を訪ねてもらいました。非常に気さくな方で、私より2つ年上なんですが、まるで兄貴のような感じでした。
石田:前の法王の生まれ変わりと言われていますよね。
黒住:そうです。それで、私は単刀直入に生まれ変わりを本当に信じているのか尋ねてみました。すると彼は「貴方は、昨日の夕飯は何を食べましたか」と質問してくるんです。突然の質問で「覚えていません」と応えると、「それ御覧なさい。そんなことも分からないのに、生まれ変わりかどうかなんて分かるはずがない」って言われたんです。しかし、ダライ・ラマさんは、人生の中で様々な物事に感動していくなかで、前の法王と同じになっていくこと、生まれ変わりを確信されていると思いました。
石田:ダライ・ラマさんもそうですが、黒住教には世界の宗教家が集まってきますよね。
黒住:ある意味で、日の出を拝むところに源流的なものを感じているのかも知れません。
日の出を拝むということは古代から世界に共通の祈りだったのでしょうね。朝一番の太陽から生きる力をもらうということでしょうか。
石田:しかし、同じイスラム教でもシーア派とかスンニ派とかに分裂するという悲しい事実もありますが。
黒住:辛いことです。これこそ人間の大きな問題です。例えば兄弟姉妹の間で遺産相続の問題が起きることがありますが、仲が良かった人間同士が憎み合うというのは悲しいことです。それを乗り越えさせるのが宗教でもあるんです。薬は命を救うものですが使い方を間違えると人を殺すことにもなる両刃の剣なんですね。中東における宗教がそういう事かも知れません。実は、今、紛争が絶えないパレスチナとイスラエルの、紛争で親をなくした中高校生達を一緒に日本に招くという事業をやっています。岡山にもこの子供達が来たことがあります。大人同士は敵味方に分かれて衝突が続いていますが、日本にやってきた子供達は、とても仲が良くなるのですね。帰国の時はパレスチナの子供とイスラエルの子供が手をつないで帰って行くんです。テルアビブ空港での別れのときは涙の別れになるんですね。
石田:こうしてお話をお聞きしていますと、黒住教は世界を見据えた深い宗教のような気がします。ところで来月は、岡山で世界連邦岡山県宗教者大会を開催されるんですね。
黒住:今回は、我々黒住教がお世話をするんですが、私が期待しているのは「生命」をテーマにしていることなんです。今の社会は命の働きが薄くなっていると思います。狼に追われると、娘は懸命に逃げますが、ひとたび母親になると自分自身の命を投げ出しても子供の命を守ろうとする。全ての愛情はこの親の愛からくるんだと思います。子供は授かりものという考えより、最近は子供を作るという考え方が強いと思います。我々は子供の宮に日が止まる、だから「ヒト」と言いますが、まさにいのちは授かりものなんですよね。