サッカーのワールドカップ南アフリカ大会に見たもの

平成22年9月号掲載

 オリンピックに勝るとも劣らない世界的な注目を集めたサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会には、日本チームの活躍もあって日本人の多くも熱心にテレビ観戦しました。私もその一人で、度々、御日拝前に楽しみ、そのため少々寝不足の日が続きました。スポーツ好きの私ですが、今回は勝負とは別の意味でも興味がありました。
 そのひとつは、それぞれのチームの持ついわゆるチームワークということでした。傑出した世界的にも名高い名プレイヤーのいるチームが、次々と敗れて消えていきました。特に前評判の高かったフランスとかイタリアといった優勝経験国のチームが、内紛とも伝えられるチームのまとまりを欠いて早々と姿を消したことは残念でした。
 日本チームの場合は、テストマッチと呼ばれる本番に備えての外国との練習試合で負け続け、監督交代も言われるなど不評嘖々(さくさく)のいわば暗闇(くらやみ)を通り抜け、まるで青空の下に踊り出たような溌剌(はつらつ)とした、しかもチームワークの良いプレイで健闘し、多くの国民の予想を超える成績を残しました。
 優勝したスペインも決勝を戦ったオランダもそうですが、監督を中心にまとまりの良いチームが好成績を残したように思われます。
 チームワークの良さ、まとまりの良さ、チーム一丸となっての戦い等、表現は様々(さまざま)ですが、要はメンバーの和がいかに大切かを改めて教えられました。
 まとまりの良いチームに共通することは、指導者を柱に選手同士がお互いに生かし合っていることです。飛び抜けた技量の選手がいるに越したことはないのですが、その場合、得てしてこの選手にみんなが頼ったり、またこの選手の一人芝居に終始することになりがちです。
 教祖様の御逸話(ごいつわ)に「平和な家庭と不和な家庭」があります。平和な家庭は、各自が自分の“我”を殺して他を思いやるからすべてが生きて丸く収まり、不和な家庭は、自分がいい子になってわが身中心に事を為(な)すから、他を殺すことになるという御教えです。サッカーをはじめ団体スポーツも皆この通りで、自らのわがまま心を押さえて他の選手を生かそうとするところに、チーム全体が生きて働くのです。いわば、みんながいい子になり、スターになったのではチームは機能しなくなります。先代教主五代宗和様がいつも説かれた「おれがおれがのがの字を捨てて、おかげおかげのかの字で暮らせ」は、スポーツの世界では端的に表れます。「君がいてくれたればこそ、君のおかげで」と、チームのメンバーがお互いに“がの字”を捨てて、“かの字”になったところが強いのです。
 日本チームは、テストマッチ全敗というどん底を経験して、お互いに生かし合う心が養われたのではないでしょうか。それは試合に出ている11人だけでなく、ベンチにいる選手、陰のスタッフの全員に至るまでがひとつ心になっていたことが伺え、熱闘を重ねた試合もさることながら、そのこと自体に胸熱くなったことでした。
 ところで私はかつてメキシコを旅したとき、ユカタン半島のメリダという町を中心に古代マヤ文明の遺跡を訪ねたことがあります。マヤの人たちは千年を超える昔に、優れた天文学、暦法、数学を駆使して高度の都市文明を築いていて、特にその壮大な石造建築には目を見張り、圧倒されるような思いになったことを昨日のことのように思い出します。その時、案内をしてくれたこの国の大学生で、日本語の達者な青年から尊いことを教えられました。私が、「これだけ発達した文明文化を誇っていたマヤの人たちでも、銃器を持っていなかったから鉄砲を持ったスペインに滅ぼされたのですね」と言った時、彼は毅然(きぜん)として言ったのです。
 「違います。その当時この国は“麻のごとく乱れていた”のです。人々は互いに疑心暗鬼になって内乱も絶えませんでした。一家庭もひとつの会社もそうでしょう。外からの少々の力で潰(つぶ)れるものではなくて、壊れていく因(もと)は内にあるのです。内さえまとまっていれば、外からの力は逆に内の力を固めていくのではないでしょうか」と申しました。マヤ文明の滅亡については諸説あるようですが、現地の若い人の声は心に強く響きました。
 かつてわが国も、ばらばらに分裂分解するのではないかという状況にあったことがあります。江戸時代の最末期です。徳川幕府260余年が崩れていき、アジアの国々を食べ尽くしたかのように植民地化し、残ったわが国をと、虎視眈々(こしたんたん)とねらう諸外国の船団を前に、勤皇か佐幕か、攘夷(じょうい)か開国かの争いが続き、まさに混迷の度を深めていたわが国日本でした。
 本誌の本項7月、8月号で述べましたように、側(はた)から見ると奇跡的なとも言える姿でわが国はひとつになり外国に付け入るすきを与えることなく、見事に明治維新という大変革を為し遂げ、新しい時代を切り開いたのです。
 更には、65年前の昭和20年8月15日に迎えた終戦に至るまでの日本人は、まさにひとつになって戦っていました。決して戦争を美化、礼賛(らいさん)するものでもありませんし、二度とあの悲惨な時を迎えてはならないことは、強く強く心に定めている私です。しかし、時を経て親の世代、先人方のあの時代の生き方を見たとき、一つの民族があれほど純粋にひとつになった国は世界に例がないのではないかとさえ思います。最先端の科学兵器、物量作戦で完膚なきまでに叩(たた)き潰されたわが国です。しかし、瓦礫(がれき)の中から立ち上がり世界有数の国に成長したことは事実です。とともに、あの昭和20年8月15日、すなわち1945年8月以降、有色人種の国が白人の植民地支配を脱して次々と独立していったことも厳然たる事実です。しかも、最後に残ったと言える白人支配の植民地から自主独立を勝ち取った南アフリカ共和国で、この度のサッカーワールドカップ大会が開催され、ひとつ心になったチームワークの良いチームが好成績を残したことに、天意とも言えるものを感じているきょうこの頃です。