映画「大地の詩」の公開を待つ

平成22年5月号掲載

 先年、一陣の清風を巻き起こしたと言っても過言ではない映画に、「石井のおとうさんありがとう」がありました。これは、石井十次という牧師でもあった方が、明治時代、薄幸な子供である孤児を岡山で一手に引き受けて、多い時は1,200名も育てて世に送り出していった、博愛と献身の一生を紹介したものでした。石井十次氏の、武士の精神をそのまま弱者のために生かしたような骨太の人生を余すところなく伝えるとともに、今は大原美術館の創立者として有名な、倉敷の大原孫三郎氏との熱い交友も随所にあって観(み)る人の心をうちました。
 この映画は、山田火砂子という監督の手になるもので、石井十次氏に縁(ゆかり)深い岡山や宮崎など、各地の養護施設等を通じて静かながら全国的な広がりでもって上映されました。
 続いて山田監督は、これまた岡山出身の社会事業家留岡幸助氏を取り上げ、「大地の詩(仮題)わが心の留岡幸助 」の製作に入っているということを知りました。
 監督は、その趣意書に次のように記しています。
 「明治時代、不良と呼ばれる青少年を救うために、感化院を作り“一人でも更生させることは国家の益になる”と、また家庭の温かさを知らない故に悪くなった子供達が、これ以上悪に染まらないようにと、“家庭学校”を作った『留岡幸助』の映画を製作致します。今、何故『留岡幸助』?と聞かれたら、あまりにも子供達、親達、そして学校との関係に何か欠け落ちているものがあるのではと思えるからです。現代は昔に比べて一般的に生活水準も向上し、一応、家庭的には恵まれているのではないでしょうか? しかし昔のように、貧しくてもその生活に満足し、喜びも悲しみも分かち合い、親子がもっと真剣にぶつかって、家族が寄り添いながら暮らしていた姿は減りました。昔のように何もない時代と違い、支出が大変多く、親達は普通に暮らすだけで共稼ぎをしなければならない。そんな中で、母もして職業婦人もしてなくてはならない。現代社会に生きる厳しさの中で、女性の大変なのは分かりますが、何とか子供を立派に育てるのには母の愛が必要と、留岡イズムにスポットをあてて、お母さんと子供の教育のお役に立てればとこの映画を作ろうと思いました」。
 現在の岡山県高梁市に生まれた留岡幸助氏(1864~1934)は、石井十次氏と同じように武士の心を持ったクリスチャンで、いわば世の不正、弱者を見ると放っておけない義侠心(ぎきょうしん)まことに強い人であったようです。若くして北海道に行って監獄の教誨師(きょうかいし)に就くも、罪を犯す少年に欠けた家庭の温かさこそ彼等を感化する力だと確信して、明治32年に東京の巣鴨に「家庭学校」を始めています。大正3年には北海道の遠軽(えんがる)の広大な地に、農業活動を通じて少年を感化して育て上げる「北海道家庭学校」を創立します。
 「一路白頭に至る」という留岡幸助氏の生涯を綴(つづ)った書(高瀬善夫著 岩波新書)に詳しいですが、この中に、
 「人間は自然と共存しなければならないと考える彼は『天然の感化力』を重視した。……彼は自然を教師として子どもたちを育てようとした」とありますように、「三能主義」と称して非行の少年を立ち直らせるためには「能(よ)く働かせ、能く食わせ、能く眠らすこと」を徹底したといいます。事実、彼の句「人よりも牛がよくする子供かな」に、その心とこの家庭学校の日常が伺えます。
 とりわけ、映画「大地の詩」を紹介するパンフレットには、氏の語録として次のようにありました。

 ◎学校に行ったからと言って英雄豪傑ができるわけではありません。君子になるか盗賊になるかは、家庭の空気の陶冶(とうや)によるのです。それなのに今の家庭は下宿屋に過ぎません。

 ◎教育上一番大切なのは、家庭である。次に大切なのは学校と社会である。人の子を教育する最も適当な場所は、地球上どこか? オックスフォードかハーバードかエールかベルリンか? 人間を良くする基本は家庭にある。

 ◎我が国の教育は情味がたらぬ。情味がたらぬということは、色々な悪結果を生む。学校さえやれば子供は良くなると思っている親。学校が二分で家庭が八分なのだ。

 申し上げるまでもなく、この語録は明治、大正、昭和初期という昔に生まれたものですが、表現こそ異なれ今日の私たちにも耳の痛いことではないでしょうか。
 それは、家庭の大事を訴え、人として情味の大切を説いているところです。人間としての基本的な挨拶(あいさつ)はもとより、嘘(うそ)をついてはならない、人の物をとってはならない、弱い者いじめをしてはならない等々は、幼い頃から親にまた祖父母に日常の生活の中でまさにしつけられて身に付くものです。
 さらに情味は、家族が共同作業といってもよい同じことを共につとめるところに養われると言えましょう。共に御神前に額(ぬか)ずくことをはじめ、食事を共にする、掃除などを一緒にする等、日常生活での当たり前のことが今日どれだけなされているでしょうか。ひたすら、学校の成績が上がればそれでよしという生き方は、ひたすら、お金を稼ぐことに終始し、そのために不必要なものはすべて切って捨てるといった、まさに情味のない人間をつくり出してしまいます。
 山田監督も書かれていますように“親子がもっと真剣にぶつかって、家族が寄り添いながら暮らす”ためには、どうあるべきか、親自身がもっと知恵をしぼらねばなりません。
 非行に走りついには罪まで犯すというところまでいかないまでも、情味に欠け、良識に欠けたひとりよがりの、他をおもんぱかる心の薄い人間を生み出してはならないのです。
 「大地の詩」を、今日の世の中への警世の映画として、数多くの人々に見ていただきたいと、今からその完成が待たれることです。