わが国の本源を学ぶ ~「日本創世叙事詩」を読んで~

平成21年8月号掲載

 過日、山川京子というご婦人から、そのご主人山川弘至氏著の「日本創世叙事詩 新訳古事記」という書籍の寄贈を受けました。山川弘至という方は、若くして国学、神学の学徒としてさらに詩人、歌人としても卓抜な人でしたが、終戦直前の昭和20年8月11日、台湾で戦死されました。享年28の若さでした。この書の原稿は軍務厳しい中で夫人に届けられていたもので、未完ながら終戦直後の昭和27年に上梓(じょうし)され、この度ご夫人の努力で復刻されたのでした。
 本書は、日本民族の聖典「古事記」を、氏の秀れた感性とわが国柄を想(おも)う熱い心とがひとつになっての、美しくも荘重な詩文でもって綴(つづ)られています。
 まず心うたれましたのは、昭和20年1月11日付の序文です。

 「かの(注)大國隆正翁の言のごとく、一人たりとも生きてあらむかぎり、神州不滅の確証に献身し奉(たてまつ)るべく、この書をその祈りに代へたいとおもふ」と記し、「日の本のみちの正(まさ)みち明(あか)らめて永久(とは)にしづめむ大和心を」の歌をもって書き終えられています。序文の主なところは次の通りです。
 「……我らは天つ神の御(み)子に仕へまつる、み民われ以外の何ものでもない。……この著を草するに至ったのも、只(ただ)この“みたみわれ”の悲願に発する以外のなにものでもなかったのである。……我が民族のもっとも神聖なる生命の本源たる古事記の精神。……我々の信仰の一切が、その根元をここに発し、我々の世界観の一切が、ここに発してゐることを、この著述によって自然に世に示すことは、我が第一の目的である。……我らは古事記を拝読して、そこに民族生命の本源を感じ、遠つみ祖(おや)の生命のふるさとを感じなければならない。……私は、神国日本の“み民われ”たるの信仰の根源に参入し、はげしい遠つ大御神への信仰に浄化され、強い民族の血の底に流れる詩的感動をもって、この書を記したことを誇りとする。けだし私は、つねに天照大御神に祈りつつこの書を草し、遠つみ祖の神々らは来ってこのつたないわが業を扶(たす)け給はったことを感じたのである。神意が我に降下し給うて、我をして之(これ)を語らしめられたのである。之はまことにありがたいことであった。……かの黒住宗忠翁のごとく、かしこくも“皇祖天照大御神のご開運を祈り奉った”に他ならないのである。……」(原文のまま)

 私は、ここまで読んできて教祖神のご尊名があることに驚くとともに、昭和55年の教祖神ご降誕二百年大祝祭に、当時の伊勢神宮の二條弼基(たねもと)大宮司ご夫妻のお供をして参られた幡掛正浩(はたかけせいこう)先生(神宮少宮司引退後、自ら申し出られて本教学事顧問に就任)の感動を思い出しました。当日、大教殿を埋め尽くしたお道づれが、
 謹(つつし)みて天照大御神の御開運を祈り奉る
と、御開運の祈りを大唱和したときの先生の感動です。
 幡掛先生は後に次のように語られています。
 「かねて教祖様の“御開運の祈り”のいわれも尊きことも存じておりましたが、大教殿で皆様が心ひとつにこの祈りを祈られたとき、これぞ神道の祈りと、心底感銘いたしました」。
 幡掛先生は、この書物の序文を記しているもうひと方、保田與重郎氏らと日本浪曼(ろうまん)派と称した仲間の一人で、またかつてこの山川京子女史を私にご紹介下さってもいました。
 人間の、そして日本人の血ともいうべき奥深くに流れ伝えられてきた精神を顕彰し、詩歌を中心とした情感豊かな表現でもって世に伝えようとつとめたのが日本浪曼派の人たちでした。伊勢神宮に奉職する方として、教祖神の御開運の祈りをご存じのことは承知をしてはいましたが、この時の先生のご感動が尋常でなかったことも改めてそのわけが分かるとともに、日本浪曼派の中核的な存在として、教祖神のお祈りがあったことをこの著書で知り、改めて胸熱くなったことでした。
 この書の一部を次に紹介させていただきます。


 天(あめ)なるや日の若宮(わかみや)に
 とこしへに鎮(しづま)りゐまし 
 天地(あめつち)ののこるくまなく 
 天照(あまて)らし照らします神
  
 その光四方(よも)に輝き
 国々も又山川も
 木も草もよろづのものも
 あたたかき光を浴びぬ

 あたたかき光ながるる
 かぎりなき光ながるる
 天地はもろごゑをあげ
 日の神をむかへまつりぬ

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 日の大神天(あめ)にゐまして
 とことはに輝きゐまし
 天地の闇をはらひて
 ものみなを生(お)ほし育てむ

 日の大神いともかしこき
 神々の神留(かむづま)ります
 高天原(たかまのはら)の清き宮居(みやゐ)を
 とこしへに治(し)らせと宜(の)らす

 ここにしも日の大神は
 とこしへに高天(たかま)なる神の宮居に
 みそなはししづもりまして
 天の原治ろしめすなり

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 日(ひ)の本(もと)の遠きみ代より
 日の神をいつきまつりて
 み代み代を仕へ来(きた)りし
 五判(いつとも)の緒(を)ののちのみ民われらぞ

 天つ神その直(ぢき)み子の
 神(かむ)ながら治(し)ろしめす国
 み民われ神籬(ひもろぎ)たてて
 皇孫(すめみま)に祭り仕へむ

 東(ひむがし)の日出(ひい)づる国
 日の神のかしこきみいづ
 四方八方(よもやも)に布(し)かむつとめを
 とことはにおへる民ぞ
 (伴の緒=上代、各氏族の人々)

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 (注)大國隆正翁は江戸から明治時代にかけての国学者で、明治3年霊地大元に逗留(とうりゅう)されたとき、若き三代宗篤(むねあつ)様はその教えを受けられた。神道山・大教殿には翁が次のように大書された屏風(びょうぶ)がある。
 立てそむる志だにたゆまずば龍(あぎと)の(あごのこと)の玉もとるべし
 「日本創世叙事詩  新訳古事記」山川弘至著
  (株)オフィスワイワイ蜜書房発行 定価(本体3.000円+税)