寄稿二題

平成21年3月号掲載

 霊地大元の周辺地域は、その名も大元小学校の創立から大元学区と称されて、岡山県でも名だたる文教地区となっています。この学区の機関誌「おおもと」に教主様は毎号寄稿されています。今月は、「おおもと」(平成20年度号)に寄せられた「宗忠神社と二人の軍人」と、「生命尊重センター」(東京都)の機関誌「生命尊重ニュース」に請われてペンを執られた「心のいかし上手になれ」を転載します。                  (編集部)



宗忠神社と二人の軍人

 昭和20年8月15日、いわゆる終戦の日を小学校2年生で迎えた私は、当然のことながらその年6月29日の岡山大空襲もはっきりと憶(おぼ)えています。それだけに、その後の63年もの長い間この国に戦争のない幸せは格別有り難く思いますし、またそれだけに、戦争で身失(う)せた軍人方、一般の人々その家族の悲しみ苦しみも忘れてはならないとの思いも強くあります。
 ただ戦争という国の命運を懸けたときに表れる人間模様は、私どもの知らない人間の奥深い所が伺えて頭(こうべ)を垂れるばかりです。

 明治38年(1905)5月27日、日露戦争において当時の世界最強のバルチック艦隊(ロシア)を迎え撃った日本側の司令長官東郷平八郎(後の)元帥は、宗忠教祖の「身も我も心もすてて天(あめ)つちのたったひとつの誠ばかりに」を吟じながら全軍を指揮したと伝えられています。事実、今も境内に立つ宗忠神社の社名碑は東郷元帥が染筆したものですし、今村宮の社名額もこの方の筆になるものです。
 この日本海海戦に勝利した日本側は、東郷司令長官の命令一下、今度は海に浮かぶロシア兵を救うことに懸命につとめています。ロシア兵たちは共に戦った勇者として遇され、九州の雲仙と松山の道後温泉で休養、治療を受けて本国に順次送り還(かえ)されました。

 昭和36年4月、当時の黒住教大教殿(現在の武道館)に一人の老婦人が参って来られました。私は学校を終えたばかりのことで今も鮮やかに思い出すのですが、この方は、いわゆる極東裁判でA級戦犯として昭和23年12月23日(今上陛下お誕生日)に処刑された7人の内の1人、松井石根(いわね)大将の未亡人でした。
 「多くの部下の命を失わしめた自分は墓にまつられる資格はない。骨は太平洋にまいてくれ。ただわが霊(みたま)は黒住教大教殿にまつってもらいたい」との遺言に従って、仏教でいう13回忌の年に当たるこの年、お参りになったのでした。
 松井大将は、戦時中から住まいとした熱海の伊豆山に観音堂を建て、戦死した部下はもとより敵方の霊もまつって、定期的に僧籍にある方に拝んでもらっていたとのことでした。そして、戦犯として処刑されることによって、天皇陛下に戦争の罪を及ばさずに済むことを「無上の喜びとしていた」と話されました。大柄のこの婦人が、背筋をピンと伸ばして静かながら、凜(りん)として話された一言ひとことが私の耳底に残っています。
 過去に厳然としてあった戦争という悲惨なとき、このときを下敷きにして今の時代はあるということを忘れてはならないと、このようなことを書かせていただく機会を得て、改めて思うことです。



 心のいかし上手になれ
  ~大切な朝のひととき~

 幼(おさ)な子が、よく眠って目をさましたときのその所作には、いつもほのぼのとした思いにさせられますとともに、その度に心清らかにしてもらうことです。パチッと目を開きむっくりと起き上がるとき、その全身から伝わってくるものが、今の自分にどれだけあるだろうかとも思います。『あー、また一日が始まる…』といった惰性に流された朝になってはいないかと、自省させられます。
 掛けぶとんを蹴るように起床し、「ありがたい! きょうも元気で一日が始まる!」と、思わず口をついて出るような朝を、どれだけ迎えているだろうかと思うのです。
 いわんや、新たないのちをお腹(なか)にいただくお母さん、また添い寝して赤ちゃんを横にいただくお母さんにとって、一日の始まりの朝のひとときはとても大切です。歌の「こんにちは赤ちゃん」ではありませんが、自らのお腹に手を当て、また赤ん坊の手をとって「おはよう!きょうも一日よろしくね」と、明るく声をかけるお母さんであってほしいと心から願います。
 先年、知り合いの男が初めておじいさんになりました。嫁(とつ)いだ娘に子供が誕生したのです。「初孫誕生です。男の子です」との弾(はず)んだ声に「それはおめでとう。体重は?」と申しますと、「それが分からないのです…」との返事です。不思議に思いましたが、分からないはずでした。
 この若い夫婦はお医者さんと相談して、生まれ出た赤ちゃんを、その臍(へそ)の緒を切るとそのまま、仰(あお)向けに寝たお母さんのお腹の上にのせてもらったのです。4、50分間ごそごそしていた赤ちゃんは、突然カッと目を見開いて、お母さんの左おっぱいをめがけて這(は)い上がってきました。
 「よくぞ生まれてきてくれた。『さあおいで、さあおいで』と呼ぶ中で、この子は私の左の乳房に吸いついたのです。するとオッパイが出たのです。涙があふれて止まりませんでした」。後日、この赤ちゃんを胸に抱いた若い母親の感激の言葉は、止(とど)まることがありませんでした。
 まさに初乳をいただいたこの赤ちゃんは、そのままお母さんの横に寝かされ、産湯(うぶゆ)を使ったのは誕生3日目だったということでした。
 親と子、とりわけ母と子の絆(きずな)を、人生の基本中の基本とするこの若い夫婦の選択したお産でした。現在、この母親と子供の一日は、まさにお手本のような朝から始まっています。
 私自身が宗教にかかわる者だから申し上げるわけではありませんが、今日、はたして自宅にいわゆる神棚とか、仏壇といった、そこに額(ぬか)ずき手を合わせる場を持っている家庭がどれほどあるでしょうか。自らを下(しも)に置いて仰ぎ見、頭を下げるところに、己(おのれ)の心の中に「敬う」という最も人間らしい尊い心が湧(わ)き出(い)で、心が養われていきます。まさに神仏のご加護を確かにするときです。しかも親と子が並んで共に頭(こうべ)を垂れるとき、それは対面するとき以上に互いの心が結ばれていくのです。
 かつて薬師寺の高田好胤先生が仰(おっしゃ)った「物で栄えて心で滅びる」世の中になって久しい今の世の中ですが、「心で栄える」ために私たちに求められていることは、案外わが足元にあるのではないでしょうか。