あの戦争は何だったのか
平成21年2月号掲載
岡山市に本社を置く山陽放送(RSK)ラジオは、開局以来、元旦放送の開始に当たり五代宗和教主様による「新春を寿(ことほ)ぐ」とのご挨拶(あいさつ)を放送するのが恒例となっていました。続いて昭和49年からは現教主様が同番組を受け継がれ、昭和28年の開局時と同様に、今年も元日の午前5時から放送されました。
今号は、元旦放送における教主様のご挨拶を掲載します。 (編集部)
昨年の9月、岡山天満屋で開催された「瀬戸内寂聴展」のためにご来岡の寂聴師と、縁あって山陽新聞紙上で対談いたしました。波乱万丈の人生を、そのまま修行の道場として生き抜いて86年の寂聴師は、ひとことで言えば肚(はら)の座った人で、しかも失礼ながら実に可愛(かわい)い方でした。
紙上にはあまり紹介されませんでしたが、国の在りようについては特に熱い話となりました。ご承知のように寂聴師は天台宗の僧侶で、その総本山の比叡山根本中堂では日々の祈りの中で、まず国家の安泰と天皇陛下、皇室のご繁栄が祈られていまして、それは最澄上人開山以来1000年を超えて、連綿と続けられています。山陽新聞の紙上にも私の発言で少し載せていただきましが、私は、若い時に縁あって甘露寺受長(かんろじおさなが)という昭和天皇の侍従をつめ、後に宮中三殿といわれる皇居の神社の掌典長をつとめた方から伺った話を、紹介しました。
それは、1300年の昔から20年毎(ごと)に御社(やしろ)から御神宝などすべてを新しく造り替えることによって、御祭神の天照大御神の御神威をあらたかにする伊勢神宮式年遷宮というわが国最大の御祭りと、天皇陛下が即位して必ずつとめられる大嘗祭(だいじょうさい)という御祭りとが、対をなしている、表裏一体となっているということについてです。即位した天皇陛下が四日四晩こもってつとめられるこの大嘗祭という一大神事において、伊勢神宮に鎮まります天照大御神の御神霊を天皇陛下御自らに神迎えされますが、このとき鎮まる天皇霊こそ古来大御心と仰ぎ尊ばれる、人にあってはわが子のためには命も惜しまない親ごころのような、深くも熱い、私なき、無私無償の愛の心なのです。
寂聴師は、皇室のそういうことこそ国民に知らせるべきで、今日のような開かれた皇室とい名のもとに繰り返される、バッシングのようなことは大きな間違い! と憤慨して語られました私はその時、かつて皇后陛下が皇太子妃のとき、「皇室は祈りでありたい」と話されたことが強く蘇(よみがえ)ってきました。皇后様はその時、皇室の代表的な祈りとして、わが国が危機的な状況あった蒙古(もうこ)襲来のときの亀山天皇の祈りと、江戸時代最末期の孝明天皇の祈りを挙げられていました。天皇陛下並びに皇室の本質は、もっと人々に詳しく知らされるべきだと改めて痛感したことでした。
長時間の座談会の中で寂聴師が特に声を大きくされたのは、「戦争は絶対にしてはならない」の一言でした。事実イラク戦争に反対して断食をしたり、かつて湾岸戦争のときには彼(か)の地へ乗り込んで行かれるなど、この方の戦争反対の思いの強さはなまなかのものではありません。それは、先の大戦のさ中に青春時代を迎えた方だけに、戦後育ちの私などには到底及ばない迫力がありました。
「日本は戦争に負けた。しかしそれにもまして惨めなのは、戦勝国アメリカの言いなりになってしまったこと。今の日本は最悪です。親が子をしかも母親がわが腹をいためた子を手に掛けるまた子が親を殺(あや)める、無差別な殺人など最悪です。これは戦後教育が過(あやま)っていた証拠。今の時代、人は戦時中は暗黒時代と言うが、今よりよほど人々は明るかった。出征する兵士、その親も妻も子もみんな国のために尽くす息子を、主人、父を誇りにして心から万歳と叫んで送った。今の人は洗脳されていたいやこの言葉は使ったらいけないのですねというが、みんな本気だった。自分さえよければそれでよいなどといった心は微塵(みじん)もなかった。それだけに皆いきいきとしていた。誇りに満ちていた。それが今、どうですか」と、語られました。
この切々たる警世の思い、国を憂える熱い心の吐露に、その部屋にいた新聞社の人々も一瞬たじろいだ感じでした。
戦争を知らない世代の私ですが、改めて思いました。寂聴師が言われるように、戦争は絶対にしてはならない、特に日本は二度と戦争をしてはならない、日本は戦争をしなくてすむようにあらゆる努力をすべきだと改めて思いました。しかし、はっきり言えることは、あの昭和20年、ということは西暦1945年の8月15日の終戦以来今年で64年間、世界戦争は起こっていないということ。あの戦争は世界戦争の最終戦争だったこと、またそうでなければならないということ。さらに厳然たる事実は、あの戦争が終わってから、それまで白人社会の植民地として隷属させられていた有色人種の国々が、次々と独立していったことです。戦地はもとより、原爆をはじめ焼夷(しょうい)弾で焼き尽くされて、尊い命を奪われた何百万のわが先祖先輩方は、決して犬死にではなかった。まさに命を懸けて今日の世界、いろいろ問題多い現在の世界ですが、諸悪の根源だった人種差別、白人が有色人種を食い物にしてきた過去を断ち切った、今日の世界のための人柱(ひとばしら)に立って下さったのだとしみじみと思いました。折から昨年末24日、このRSK山陽放送のテレビでその名も「あの戦争は何だったのか」と題する4時間半もの長時間番組がありました。
皆様、戦争、とりわけ先の大戦についてはそれぞれのお考えがおありだと思いますが、仏教、神道に携(たずさ)わる宗教人、いわゆる戦中派と戦後育ちの二人のこの会話を、正月早々少々重い話ですが、いかがお聞き下さるかと思いながら紹介させていただきました。