梅原猛先生の手紙
平成20年12月号掲載
今日、わが国で哲学者として世に通っている数少ない一人に、高名な梅原猛という方がいらっしゃいます。この方は、今は高齢になられましたが、お若いときから大学の教授としてはもとより次々と警世の論文をはじめエッセイを発表され、かつて中曽根康弘総理の肝いりで京都に創された国際日本文化研究センター、いわゆる〝日文研〟の初代所長として幅広く活躍されました。歌舞伎や能の脚本までお書きになったり芸術全般に精通していて、もちろん宗教にも詳しく特に仏教については格別なものがある方です。
この梅原猛先生が、今年の2月4日、7日の2回に亘(わた)って、読売新聞に「エジプトへの旅」と題して玉稿を寄せられていました。概略は次の通りです。
「私は、さる1月末から2月初めにかけて、9日間の古代エジプト文明探究の旅をした。……中略……この旅は私に大きな認識の宝物を与えた。多少大げさにいえば、この旅によって日本文明が明瞭(めいりょう)に理解できたといえようか。……中略……
今から4500年前に成立した太陽の神ラーの信仰こそ、その後2500年間続いた古代エジプト王国の宗教であったのである。ラーの神は永遠に死と再生を繰り返す。日没とともに太陽は死に、そして日の出とともにまた甦(よみがえ)る。古代エジプト人にとって最も聖なる花は睡蓮(すいれん)であるが、日の出とともに花が開き、日没とともに花がしぼむ睡蓮は、太陽を飲み込み、太陽を吐き出す花として崇拝された。……中略……
日本の文明を考えると、日本の神話もやはり太陽の神アマテラスを中心にしている。しかもアマテラスは天岩戸の神話が示すように死と再生を繰り返す神であり、古代日本人二見浦(三重県伊勢市)から昇る朝日、及び二上山(奈良県・大阪府)に沈む夕日を見て死・再生を感じた。そして日本仏教において甚だ流行した密教の中心の仏は大日如来という太陽の仏であり、浄土教の中心仏、阿弥陀仏(あみだぶつ)も無碍(むげ)光如来という太陽のごとき光の仏であると同時に、生死を司る仏であった。……中略……この太陽信仰こそ、すべての農業文明に共通の信仰であったのである。……中略……
太陽の神といえばギリシャではアポロンの神であるが、この太陽神は預言の神となり、ついにソクラテスによって無知の知を教える哲学の神になってしまった。
この理性を神とする思想は近世哲学の父、デカルトによって確立され、科学技術文明を生みだし、ついに産業革命によって世界は驚くべき豊かで便利な世界となった。
しかし産業革命の原動力となったのは、太陽のおかげで育った古代地質時代の動植物の死骸(しがい)である石炭や石油のおかげである。工業文明の栄える近代世界はすっかり太陽の恩恵を忘れているようであるが、このような化石燃料をエネルギー源とする文明がさまざまな環境問題を引き起こして人類の存続を危うくしている。
太陽の神を中心とする自然崇拝を取り戻し、太陽光エネルギーを用いる技術を飛躍的に発展させることこそ、新しい文明の課題ではなかろうか。私はエジプトで新しい文明への暗示を受けて帰ったのである」
ひと月ほどたって、私は初めて先生に手紙を書きました。
「謹啓突然のお便り申し上げます失礼、ご海容下さい。小職かつて走泥社の鈴木治氏の個展会場で先生にお目にかかりご高見を承り、また7年前の氏の葬儀に際し弔辞を捧げました折、お声をかけていただきました者でございます。大学で同じ哲学科の12年、先生の後輩ということもあり、若い時から先生のご著書はもとより雑誌新聞紙上でいつもご高説を拝読し、学ばせていただいてまいりました。
この度、読売新聞にご執筆なさいました〝エジプトへの旅〟には、改めて心打たれましてお便り申し上げる次第であります。私どもは、教祖の宗忠が日の出を拝んで誕生しました黒住教という神道教団のため、毎朝、日の出を迎えおろがむのを一日の始まりとしていますが、それだけにこの度のご文には感激もひとしおでございました。
宗忠が自得しましたところは、人は日止まるがゆえの人であり、日乗りなる祈りの大事でありました。その心は次のような歌をはじめ、門弟に与えた手紙でもって今日に伝えられています。
天照らす神の御(み)徳は天つちにみちてかけなき恵みなるかな
天照らす神の御徳を知るときはねてもさめてもありがたきかな
天照らす神もろともに行く人は日ごと日ごとにありがたきかな
天照らす神の御心人ごころひとつになれば生き通しなり
ありがたや我日の本に生まれ来てその日の中に住むと思えば
日々に朝日に向かい心から限りなき身と思う嬉しさ
世の中はみな丸事のうちなればともに祈らんもとの心を
先生のご高説に深く感じ入り、勝手なことを申し上げました。……後略」
ほどなく、お便りをいただきました。
「お手紙拝見しました。貴兄が京大の私の後輩で私の本をよく読んで下さっているとのこと、驚きました。また黒住教には太陽の信仰があることも初めて知りました。私はやはり日本の隠れた信仰は太陽信仰で、神では天照を最高神とし、仏では大日如来を厚く崇めたことは明らかです。また親鸞によれば阿弥陀仏も光の仏で、それが一切の生物の生死を司る仏であるとされています。私は阿弥陀仏はエジプトのラーの神に甚だ似ているように思います。こういう太陽の神を失い、人間の理性を神としたことに人類文明の最大の問題があるのではないかと思います。これからもこの問題を追求していきたいと思っています。ありがとうございました」
このように、私たちが最も大切な祈りのときとする「御日拝」の意味を、幅広くまた時間的にも長く大きい視野で裏打ちしていただいたことを有り難く思いました。