高著紹介 『人は何のために「祈る」のか』、『宗教の根源』

平成20年7月号掲載

 祈りなばかなわぬことはなきものと
   思えど祈る心なきとは
 誠の祈りには かなわぬことはなきものと申すこと 心に覚えありながら 祈る心にならぬこと はなはだ悲しく候(そうろう)。
 祈りは日乗りに御座候由(ござそうろうよし) 本体の祈りにて かなわぬことはなきことなり。(御文44号)

 わが身の奥深くに鎮まる大御神様のみわけみたま(ご分心)から、湧(わ)き出るような祈りこそ、「日乗りなる祈り」である「本体の祈り」です。私たちの三大修行、すなわち「御日拝」、「御陽気」、「お祓い」の修行は、そのためにあるといっても過言でありません。


 先日、まだお会いしたことのない京都府立医科大学の棚次正和教授から丁重なお便りと、2冊の書籍が送られてきました。
 ひとつは、今日、遺伝子研究の世界的権威として名高い筑波大学名誉教授の村上和雄氏との共著『人は何のために「祈る」のか  生命の遺伝子はその声を聴いている』と、もう1冊は、棚次氏ご自身の著書『宗教の根源  祈りの人間論序説』という、「祈り」について真正面から取り組んで幅広くも深く考察された労作でした。村上氏とは、昨秋、昭和30年代前半に京大生として共に青春時代を送った者同士ということで、神楽岡・宗忠神社に参集して楽しいひとときを持っていましただけに、嬉(うれ)しくも有り難いプレゼントでした。さらに、棚次氏は、私たちより10年余り後に在学して宗教学を修めた第一線の宗教学者です。その祈りを中心とした大部の著書『宗教の根源』では、具体例として5つの宗教の祈りが取り上げられていますが、日本の宗教としては鎌倉時代の一遍上人を“一遍の念仏”として紹介し、さらに“黒住宗忠の祈り 「祈りは日乗りに御座候由」(御文44)”との題目のもとに、本教の三大修行を3種の修行と表現して詳しく解説されていて感銘を深くいたしました。
 いわば「祈り」を学問的に探求されたものが『宗教の根源』なら、御二方による『人は何のために「祈る」のか』は、祈りの大切なこと、その効用を生命科学者、宗教学者の立場から今日の人々の目を開かせるために著(あらわ)されたものだと拝察しました。


 『人は何のために「祈る」のか』は、まず「祈りには、病気を癒(いや)し、心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが、科学的に明らかになりつつある……」から始まり、「アメリカの病院で行われた、祈りの効用に関する研究結果」といって、「重い心臓病患者393名を対象に、一人一人に向けて回復の祈りを行い、祈らないグループとの比較をしてみました。そうしたら、祈られたグループの患者群は、祈られなかったグループの患者群より、明らかに症状が改善されていました。祈ることが何らかの形で心臓病を患(わずら)った人たちに良い影響を及ぼしたと報告されたのです」と、事例を紹介しています。そして、「ハーバード大学、コロンビア大学、デューク大学などで祈りの研究が盛んに行われ、すでに研究事例は1,200を越えているといいます」、また「最近、笑いに病気を癒す効果のあることがわかって、医療や福祉の現場で積極的に取り入れられ、“笑い療法士”が誕生しましたが、祈りについても近い将来、宗教とは別に、専門の“祈り療法士”が誕生することになるかもしれません」とまで記されているのです。
 「祈りを医療に生かそうという動きは、日増しに活発になってきています。なぜかというと、西洋医学で治らない病気がいっこうに減らないからです。医学は長足の進歩を遂げていますが、治せるようになったのは感染症がほとんどで、ガンとか心臓病、糖尿病などは治すのが難しいのです」と、展開していきます。
 まさに昔からいわれる「祈れくすれ(薬)」で、祈りと医療がひとつになって治療効果は高まるということが、改めて強調されているのです。
 「“熱烈な思いは天に通じる”といいますが、思いは天ばかりでなく、細胞の中の遺伝子に直接働きかけます」。
 さらに、
 「祈りには“無の祈り”と呼べるようなものがあります。強く願うのも祈りなら、“私はもう何も望みません”という祈り方もあるのです。自分を捨ててしまっているようですが、そうではなくて、祈る対象に身を預けるといったほうがいいでしょう。そうすると何が起きるか。自分というものを超えたところで、命の息吹が芽吹いてきて、結果的には望みが叶ったり、難問が劇的に解決したりするのです」と説いて、次の一節に続くのです。
 「黒住宗忠という人がいます。江戸中期から後期にかけて活躍した黒住教の教祖です。黒住教というのは、陽気をいただいて下腹におさめて気を養う『御陽気修行』とともに、毎朝東に向かってお天道様を拝む『御日拝』を勧めている宗教ですが、教祖自身の体験として、次のような話が伝わっています。
 神主の家系に生まれた宗忠は、無類の親孝行で知られていました。ところが、宗忠32歳のとき、両親が疫病で相次いで亡くなります。そのショックで自分も身体を壊し、余命いくばくもない情況に追い詰められてしまいました。そのとき宗忠はどうしたか。何も望まず静かに死を受け容れる覚悟を決め、せめて今生の決別に、今まで生かされてきた御恩を感謝しようと御日拝をしたのです。すると、“日々うす紙をへぐがごとく……”という具合に病気は治ってしまったのです。そういう話が弟子の綴った『御小伝』に出ています」と。
 そして終わりの章で、
 「生命をその根源から生きること、いきいきと生きること、これが私たちの抱いている“祈り”の原像です」と結ばれるのです。まことに有り難い本が世に出たものです。


『人は何のために「祈る」のか』村上和雄、棚次正和著 祥伝社刊1,680円
『宗教の根源』棚次正和著 世界思想社刊 2,500円+税
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