「御開運の祈り」

平成20年1月号掲載

謹賀新年
 お道づれの皆様はよくご存じのように、伊勢神宮と本教とのご神縁は、教祖神がご在世中につとめられた6度のご参宮に始まります。江戸時代の当時、参拝に往復ひと月もかかるお伊勢参りは大変なことでした。“生涯に1度は伊勢に参りたや”という願いを持った人の多い時代でしたが、遠く離れた備前岡山から6度までということは稀(まれ)なことで、あるご参宮の折、伊勢の神職の方から「度々のお参りとお見受けしますが、何か特別の願いごとがあってのお参りですか」と尋ねられたとき、教祖神はいずまいを正されて「私の願いは唯(ただ)ひとつです」と言われ、
 「謹(つつし)みて天照大御神の御開運を祈り奉(たてまつ)る--この祈りにつきます」と仰(おっ)しゃいました。以来、本教にあって「御開運の祈り」との名のもとに、この祈りは最も短い詞(ことば)からなる祈りながら、最も大切な崇高な祈りとしてつとめられてきました。
 昭和55年秋の教祖神ご降誕二百年大祝祭に、時の神宮大宮司二條弼基(にじょうたねもと)様ご夫妻のお供(とも)をして参拝された幡掛正浩(はたかけせいこう)、後の少宮司(神宮引退後、本教学事顧問)は、「かねて教祖様の“御開運の祈り”のいわれも尊きことも存じておりましたが、大教殿で皆様が心ひとつにこの祈りを祈られたとき、これぞ神道の祈りと心底感銘いたしました」と語られました。

 今日、「アマテラスオオミカミ」は、本教はもとより伊勢神宮でも「天照大御神」と記しますが、教祖神が筆を執られた御神号は、ほとんどが「天照皇太神宮」です。教書の中の門弟に宛てられたお手紙にある御神名は、多くが「天照太神」そして「天照大神」です。
 申し上げるまでもなく、本教は、教祖神ご自身がお日の出を拝む「御日拝」によって起死回生のおかげをいただいて本復され、「御日拝」によって天地一体、神人一体の一大神秘体験を経(へ)られて立教なった神道教団です。教祖神にいまわの際(きわ)に御日拝させたのは、幼い頃からご両親と毎朝手を合わされてきた“お天道(てんとう)様信仰”です。すなわち、わが国では神代(かみよ)の昔から、朝日に手を合わせて1日の無事を祈る“お天道様信仰”と、夕べに親先祖の霊(みたま)様に感謝の祈りを捧(ささ)げる“先祖信仰”が、連綿と続いてきました。
 赤木忠春高弟の詠(よ)んだ

 親の親その親々をたずぬれば天照(あまてら)します日の大御神

は、本教の信仰の基幹となるところであるとともに、日本人が古来培ってきた“深根”ともいえる信仰を示したものです。
 はるかなる太古の昔、この国、その名も日本国を統一された大王を、徳をもってひとつの国となされたその徳こそ、日の神天照大御神の御心を体現された方と崇(あが)め尊んで「天皇」と申し上げるようになったと拝察します。天照皇太神のこの“皇”はまさに皇祖神を表し、この天照皇太神の鎮まるところとして伊勢神宮があるのです。歴代の天皇陛下は、即位されますと大嘗祭(だいじょうさい)という神秘の御祭りを厳修されて、この伊勢神宮に鎮まります天照皇太神の御分霊を神迎えされます。そこに鎮まった御神霊こそ天皇霊(天皇魂)と崇められる陛下の大御心なのです。
 天皇陛下はお日様に象徴される御徳を体した方であり、その皇太子は、今に敬称としていわれる「日継ぎの御子(みこ)」なのです。

 このように「天照大御神」は、お日の出のお日様に顕現される「天地の親神たる天照大御神」であるとともに、私たち日本人にあっては天皇陛下の天皇霊すなわち大御心のよって来る皇祖神たる「天照皇太神」なのです。伊勢神宮は、「天照大御神」とご一体の「天照皇太神」のお鎮まりになる御社(やしろ)であり、教祖神がご染筆の「天照皇太神宮」はまさに伊勢神宮そのものであります。
 私たち黒住教の道づれは、毎朝の御日拝において、天照します日の大御神を通して天地の親神天照大御神、さらにご一体の教祖宗忠神を拝(はい)し拝(おろが)みます。
 伊勢神宮に参っては、天照大御神ご一体の天照皇太神を拝し拝みます。

 「御開運の祈り」は、そういう意味で“お天道様信仰”と“先祖信仰”の2つにして1つなる祈りなのです。
 すなわち、天照大御神のお働きがあればこそ、地球上のありとあらゆるものがその分に応じて存在でき、生きとし生けるもののすべてがこれまたその分に応じて生かされて生きている。そのお働き、ご神徳の永遠なること、この弥栄を祈り、このご神徳に1人でも多くの人が目覚め、感謝の誠を捧げるようになることを願う祈りです。そこに真の世界の大和(たいわ)もあるとの確信から、この祈りは世界平和の祈りなのです。
 また同時に、わが親をはじめご先祖の霊様方、ひいてはその集約され象徴でもある皇祖神のますますのご守護を願い祈り、その弥栄、ご平安を祈ることなのです。お互いのわが家、わが住まう地域、わが国日本の弥栄、皇室の弥栄、まさに開運を祈る祈りです。
 この思いは伊勢神宮の大御前に詣(もう)でたとき最も顕著になります。教祖神の御手振りにならうという感動と相まって、  天照皇太神=天照します日の大御神=天照大御神が「1つとなった大御神様」に、まさに“お目通り”する感激をお参りのたびごとに新たにすることです。
 神といい仏(ほとけ)というも天地(あめつち)の誠の中にすめるいきもの(御歌99号)
この御神詠のごとく、私たち日本人にとっては、親、先祖の霊様たる神々、仏様方、八百萬(やおよろず)の神々はこの「1つとなった大御神様」という「天地の誠」の中に住めるいきものとして私たちを守りお導き下さっているのです。
 それにしましても、このように
 天照大御神の御開運を天照大御神に祈る
という、稀有(けう)な尊い祈りを、私たちは最も大切な祈りとしていただきつとめていること、まことに有り難い極みであります。