�心のひかり�(下) 病床のあなたへ
平成17年12月号掲載
先月号に引き続き、病床の方のために教主様が執筆された「心のひかり」の後半を掲載します。
なお、冊子をご希望の方は神道山・大教殿にお申し出下さい。 (編集部)
教祖として立つ
宗忠(むねただ)様にとって、みずからが暗い心に光を得て陽気の世界に大きく転じるきっかけとなり、�おかげ�をいただかれる元となった「日拝(にっぱい)」は、最も大切な祈りのときとなりました。
その年文化十一年の十一月十一日(旧暦)は冬至の日で、宗忠様にとって三十四回目のお誕生日でもありました。
十カ月前に生死の境をさまよっていた身が、こうして元気に誕生日を迎えることのできた喜びも加わって、この日の御日拝(ごにっぱい)には格別の思いでのぞまれました。「祈りのことば」を朗々と唱えつつ迎えたお日の出は、大きな塊(かたまり)となってぐんぐん宗忠様に迫って来ました。思わず口を大きく開いて日輪(にちりん)を飲み込んだ瞬間、それは全身が御光(みひかり)そのものとなる大感激のときとなりました。
「天地が我(われ)か、我(われ)が天地か」の、神人一体(しんじんいったい)の神秘のときでした。
それは、宗忠様が、お日の出に現れるありとあらゆる生命の大元(おおもと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)とひとつになられた尊い一瞬であり、同時に「人は日止(ひとど)まるひと」と言われるように、人は大御神様の『ご分心(ごぶんしん)[御(み)わけみたま]』の鎮まる尊い存在であるという一大発見のときでもありました。いわば、人はご分心において大御神様と直結しているという確信でした。
そうしたある日、お手伝いのミキという娘さんが急に腹痛で七転八倒(しちてんばっとう)するのを目の前にして、宗忠様は�かわいそうに…�との思いいっぱいに、思わずミキさんのお腹(なか)に手を当てて息吹(いぶき)をかけられたところ、たちどころにそのいたみ苦しみが消えてしまいました。驚いたのはミキさんもさることながら、宗忠様ご自身でした。
さらに数日後、今村宮のすこし北、�竹通(たけとおし)�という集落で眼病が流行しました。重症の人々も多く手の施(ほどこ)しようのない状態で、なんとか助けてほしいと訪(たず)ねて来た世話人の請(こ)いを断り切れず�私にはそのようなことは…�と言われながらも出向かれて、一人ひとりに大御神様の「ご神徳」を「取り次ぐ」厚い祈りをつとめられたところ、皆さんが間もなく全快するというおかげが現れました。
このような時を経(へ)て、後に黒住教と名づけられた宗忠様の明らかにされた「御道(おみち)」は、病(やまい)に悩み苦しむ人々が助けられ救われるところから、自然に人々の間に広がっていきました。教祖としての使命と責任を重く自覚された宗忠様は、後に
「この宗忠を師と慕うて来る人は見殺しにはしません。ついていらっしゃい!」
と言い切られ、それは今も宗忠様を慕い信じる信徒の心の大きな支えとなっています。
ついていくということ
○黒住教の信徒(お道づれといいます)にとって大切なことは、前に記しました宗忠様のお呼びかけのこのひとことを、どれだけ強くわがものにできるかということです。そのためには、心の中で、「宗忠様!宗忠の神様!教祖様!」とお名前を呼び続けることですし、感動と感謝の真に陽気な心にわが心を養うためにも、つとめて「ありがとうございます!ありがとう!」というひとことを、まるで自分に言い聞かせるようにしばしば何度も唱(とな)えることです。
○この感謝の心こそ生きる力、生かす力の湧(わ)き出る元であり、ご神徳をいただくしっかりとした�受け皿�づくりになります。おかげをいただく元なのです。現在只今(ただいま)受けている治療に対する感謝の心を持てるように、お医者さん、看護師さん、部屋を掃除して下さる方をはじめ、ご自分のために力を尽くして下さる人々、さらに、食事にも薬にも点滴のひとしずくひとしずくにも「ありがとうございます」と心の手を合わすことのできるようにつとめて下さい。心を込めて「ありがとうございます」とお礼の言葉を述べることが、わが心に感謝の心を養うことにつながっていきます。
○この感謝の積み重ねはいずれ病床(びょうしょう)にあってもそのお顔に明るさを生み、声にも力が湧いて来ますし、笑顔も出て来るでありましょう。もうそこでは�病気�の�気�は、陽気の気、元気の気になって、いずれ�病�は消えてしまいます。
○そのためにも、度々、鏡でご自分の表情、特に目つきをチェックして、あなたご自身が、ご自分にとって最もたよりになる、またきびしい�監督�になって下さい。
○宗忠様がなさったように、ベッドの上からでもよろしいから、毎朝、目がさめたら朝の光に向かって手を合わせ、できればその御光を飲み込んで下腹に納(おさ)めるようにつとめることです。
これを御陽気修行(ごようきしゅぎょう)と言います
○御日拝のときはもとより、常に心がけて下腹で息をすることが大切です。
下腹を引っ込めますと息は出ていきます。口をとがらせて吐(は)いたり、口を開いて吐いたり、いずれも時間をかけてまず息を吐ききります。このときも「ありがとうございます」と声にならぬ声でゆっくり唱えながら吐いて下さい。次いで口を閉じて下腹を前に突き出すようにしてゆっくりとふくらませますと、鼻から息は入って来ます。
胸部や、内臓の手術を受けられた方などはその直後は無理ですが、そうでない方はつとめておつとめ下さい。
○特に重い病気になられた方は、健康なときには分からなかったことを体感されていると思います。それは「生かされて生きている」ということであり、「息のできる有り難さ」です。
先に申しましたように、息をひと口吐くたびに「ありがとうございます。ありがとう…」と声にならない声で祈りを込めておつとめ下さい。
○宗忠様は、日常、手の平(ひら)をいつも下腹に当てて
「大御神様の御(おん)みたまをお養い申し上げている」
と言われていました。またお弟子(でし)の方は
「起きがけと寝がけと腹を二百ずつさすり下してみたま鎮(しず)めよ」
と詠(よ)んで実践されていました。
ご分心は下腹[丹田(たんでん)]に鎮まっています。下腹で息をするということは、下腹に心を納めご分心を養うことでもあります。
○最近の医学では、人の持つ天与の�治す力�や�免疫(めんえき)力�を高めることが、医療にとって重要なこととなりつつあるようです。しかも、この免疫力のセンターが小腸であるということが言われだしました。小腸がすなわちご分心の座というわけではありませんが、下腹で息をして、下腹に心を納め、下腹に祈りを込めて�さする�ことが、心身の健康によいことが科学的にも立証されてきたといえましょう。「下腹を養う」ことに留意しておつとめ下さい。
○自らの体内のいわゆる自然治癒(ちゆ)力、自己免疫力(これとてもご神徳そのものですが)が大御神様のご神徳とひとつになって十二分に発揮できるようにつとめることこそ、病床にある人自身の最も大切なつとめなのです。入院するまでのことや、これからのことにとらわれないようにするためにも、一日一日を大切に「ありがとうございます」に始まる祈りと、祈りをもっての丹田呼吸、御陽気修行につとめられて、心を平安に、しみじみとした感謝で満ちるようにおつとめ下さい。
昔から「六尺(約一八〇 m )の病床これ道場」といわれるのも、このように心の養いにつとめるとき、病は単なる病にとどまらず、自らを養い高める有り難いとき、絶好のチャンスと受けとめられたからでありましょう。
宗忠様は「難有有難」と書いて「難有(なんあ)り有(あ)り難(がた)し」と教えられています。病気という難を得て、より大きな幸せをつかまれたご体験が生んだものといえます。
苦しいとき、つらいとき、「これぞ難有り有り難し」と拝(おが)み倒すような思いで難に立ち向かって下さい。
一日も早いご平癒(へいゆ)を、毎朝、神道山の御日拝でお祈り申し上げております。 (完)