地下水のごときご存在(下)

平成19年12月号掲載

 先月号に引き続き、昨年12月17日に東京大教会所(所長・副教主様)で執り行われた東京開教130年・大教会所ご遷座70年記念祝祭における教主様御親教(要旨)の後編を「あずまのひもろぎ」(東京大教会所発行月刊紙)より転載させていただきます。
 平成26年の立教200年大祝祭の成就に向けて歩を進める今日、大祝祭の前年に斎行される第62回伊勢神宮式年遷宮に“ありがとうございます運動”を通してご奉賛申し上げる意義を改めて学ばせていただきましょう。(編集部)


 私は、学生時代に当時明治神宮の宮司であられた甘露寺受長(かんろじおさなが)という方に目をかけていただく幸運に恵まれました。この方は昭和天皇様と学習院初等科の同期生で、侍従また宮中三殿の掌典長をつとめられ、今上陛下の結婚式で斎主を奉仕してから明治神宮宮司になっておられました。この方から縷々(るる)お話を伺い、天皇陛下とはどういうご存在か、伊勢神宮とは一体何かということを初めて詳しく教えてもらいました。
 中でも忘れ難いのは、終戦直後の昭和20年(1945)9月27日に連合国軍最高司令長官マッカーサー元帥(げんすい)を陛下御自ら訪ねられた時のことでした。マッカーサーとすると、敗戦国の王に当たる日本の天皇が命ごいに来る程度に思ったのでしょう。ネクタイもせず傲然(ごうぜん)と胸を張り、まずは記念写真。ところが、陛下が開口一番お話しになったのは、「この度の戦争の責任は、一切自分にある」ということでした。“You may hang me”すなわち「私を絞首刑に…」とまで仰(おお)せになったといいます。そして、陛下が最後に仰(おっ)しゃったのが「戦争に責任のない国民が飢え苦しんでいるので、一刻も早く食料をお願いしたい」というものでした。
 マッカーサーは、自分の思いとはまる反対のその言葉に驚き感激しました。このことは、彼自身が書いた回想録で後年明らかにされるのですが、当時そういうものはまだ出ていません。どうやら当時の重光外相が引退したマッカーサーを訪ねた際に語られた話が、公になる前に甘露寺宮司さんに伝わったのではないかと思われます。
 最近、副教主すなわち当大教会所所長にDVDを見せてもらったのですが、面会後に車寄せに出て敬礼して陛下をお見送りするマッカーサーの姿がフィルムに残っています。「やっぱりそうか…」との思いを一層強くしました。
 私はその話を聞いて大変感動し、先代教主である父に、「なぜ、天皇陛下はあのようなことがおできになるのか」と尋ねました。
 その時に教えられたのが、陛下の大御心のことでした。天皇陛下は即位されたら、大嘗祭(だいじょうさい)という御祭りをつとめられます。これは御自らが参拝者であり斎主である4日4晩の御祭りで、伊勢の大御神様の御神霊を神迎えされる“一聖(いっせい)一代”の神事です。今上陛下も平成2年11月におつとめになりました。そこに鎮まった御神霊を「天皇霊」といい、人は「大御心」といって崇(あが)めてきました。このようにいうと何か雲の上の話のように聞こえますが、1人の母親が、いざとなったらわが身を捨ててでもわが子を救おうとする、人格を超えたところの“親心”と同じです。教祖様が「神ごころは親ごころ」と教えられたのはそこです。その親ごころをぐっと大きくしたものが「天皇霊」すなわち「大御心」で、その拠(よ)ってくる所が伊勢神宮なのです。
 そのお伊勢様での20年に1度、御社(やしろ)からすべて造り替えて御神威をあらたかにしていくわが国の最高最大の大御祭りが式年遷宮。それを受けられる皇室最大の御祭りが大嘗祭なのです。いわばお伊勢様の式年遷宮は20年ごとの“大発電”。一方、皇室における大嘗祭という“大充電”。
 大発電のお伊勢様で、毎年の最大の御祭りが10月の神嘗祭(かんなめさい)で大発電に次ぐ“発電”の時。そして、皇室では大嘗祭に準じた毎年の11月23日の新嘗祭(にいなめさい)。今は勤労感謝の日ですが、今年も総理をはじめ三権の長が参拝して斎行されました。そのあたり、お伊勢様と皇室がピタッと一体となり、まるで地下水の如(ごと)くとうとうと流れてきた上に立つのが日本の国だということを、先代教主、父から聞きました。われわれ日本人にとって伊勢神宮とは何か、皇室、天皇陛下とはどういうご存在なのかを鮮烈に教えられたのでした。
 今、伊勢神宮式年遷宮奉賛につとめるのも、私どもがそういう伝統と歴史の上にあってのお互いであるからです。この国の本当の意味での健康と幸せのために役立つ教団でありたいと願っております。ともにお伊勢様への道を歩んでいただくことをお願い申し上げて、きょうの話とさせていただきます。(完)