伝統精神の継承と年輩者の役割
平成19年9月号掲載
今回の伊勢神宮式年遷宮における一日神領民としてのお木曳(きひき)行事の、まさに“大トリ”をつとめさせていただいた6月3日に続いて、去る7月29日、本教から43名の若者たちが「川曳(かわび)き」に参拝奉仕いたしました。この日は今回のお木曳行事の最終日で、教祖神以来のお伊勢様との特別なご縁をよく知る地元の方たちの熱い心で実現できた、まことに有り難い奉仕でした。昨年、そして今年と続けられたお木曳の締めくくりの日を受け持った伊勢市中村町桜が丘の皆さんがつとめる川曳きに、40名の特別枠をもらってのことでした。
川曳きというのは陸曳(おかび)きといわれる今まで奉仕してきたお木曳と同じように、御用材の木曽の檜(ひのき)の大木を奉曳(ほうえい)するのですが、これを五十鈴川に浮かせて、内宮の宇治橋のたもとまで流れに逆らいながら曳くわけで、浅瀬とはいえ急流の中でのことですから、若くなくてはできないなかなかの荒行です。
一行は地元の人たち600余名と一緒に、陸曳きと同じように「エンヤー、エンヤー」のかけ声も勇ましく、時には首まで水につかりながらひたすらつとめました。宇治橋のところで陸に曳き上げて玉砂利の参道をしばらく曳いてから、揃って内宮の大御前に進んでの参拝となりました。
寒中にこの五十鈴川に腰までつかりながらいわゆる水垢離(みずごり)を取っての修行がありますが、真夏とはいえ五十鈴の清流にひたり、しかも御神木を曳き終えての参宮は格別のご神縁に結ばれ、えもいわれぬ清らかな感動に包まれたようです。副教主を団長にした八代宗芳ら若きお道づれにとって、深く心に残るものがあった川曳き参拝奉仕でした。とりわけ、副教主のように何組かの親子での奉仕もあったようですし、このときをのがさじと若いお父さんの勇姿を幼い子供たちに見せようと家族づれで参拝した人など、今の世の中で稀有(けう)な時を共にできた人たちは本当に幸せだと思います。
“生の実体験”が少なくなっている今日です。テレビやインターネットはもとより、あらゆるところで進んだ文明の利器にとり囲まれた今日の日本人は、生きている、いや生かされて生きているという、身の震えるような感動を味わう場が少なくなってはいないでしょうか。はいた靴の裏から足の裏を掻(か)くようなことが多すぎて、生の、さらには身をえぐるような実体験が乏しくなっている時代なればこそ、このような時と場を若い人たちがいただいたことを尊く思います。
しかも、国民という意識、自分が日本人であるという思いを実感しがたい雰囲気の今の世の中で、お伊勢様のこのような伝統行事にまさに身を投じての体験は、若い人たちの心に熱くも強いものを刻みこんだろうと思います。
過日、わざわざ副教主を訪ねて来て神道山に滞在した、平野哲哉というジュネーブの国連機関に勤める人との会話は、私にまた新たな熱いものを引き出してくれました。
かつて副教主が大学を終えて留学したロンドン大学での寮生活で、同室だった誼(よしみ)で訪ねて来た氏だけに、2人は寛(くつろ)いで話も随分はずんでいました。彼は外国での生活が長い分、日本人としての自覚は逆に強いものがあるようで、小学生の2人の子供を連れて日本に帰っては日本人としての心を植えつけるのに努めていると言い、次回は神道山での生活を子供たちに経験させたいと語っていました。
このような人に会いますと、いまだにわが国は昔からの島国根性が抜けていないのかなという思いに駆られます。古来わが国は外国を見つめ、その良い所をとり、肌に合わないものは取り入れない、また入れても捨てることをくり返して来ました。それは海という大きな壁、距離のあるおかげでした。インドに誕生した仏教が中国、朝鮮半島を経(へ)て日本に伝わり、日本というよい土壌を得て花開いたことなどは最たることでしょう。科学技術による数々の製品も生まれたのは外国ですが、日本で完成度を高め、世界から持てはやされるようになっているのは周知の通りです。それだけ外国から見られる立場になっているにもかかわらず、昔ながらにこちらから見るだけで、広い意味での“人の目”を気にしないままで時を重ねてはいないでしょうか。
情報化時代といわれる今の世界では、わが国を囲む四方の海はないにも等しいといえましょう。日本から見て地球の裏側のことも瞬時に分かるように、裏側の人もわが国のことが直ちに分かるわけです。平野氏は「真の日本人が真に世界に通じる人です。英語が話せるということが国際人というのではなくて、話の中味が肝心で、日本人の良き特質を体した人が初めて世界に通じるのです」と言い切りました。私は話を聞きながら昔ドイツの哲人が言った「真のドイツ人が真の世界人」というひとことを思い浮かべていました。
本教にご縁の深い現代美術家高橋秀氏は、イタリアでの40年を超える生活体験から夫人桜女史とともに「秀桜留学基金」という名のもとに、多額の私費をもって若い美術家たちに外国生活の機会を与える制度を作られました。昨年誕生したこの基金で、この秋3名の美術家がそれぞれ希望の国へ出かけて行きます。世に言う「可愛(かわい)い子には旅をさせよ」ではありませんが、美術にいそしむ感性でもって、海外での生活を通じて日本を強く感じてほしいとの願いのもとに始められたものです。
私は高橋先生ご夫妻の日本を想(おも)う心、若者に期待する熱い心に感動しました。人生の先輩は後輩に身をもって範を垂れるとともに、若い人に伝統精神の核にふれる機会を与えることの大切を改めて思いました。
それは同時に、伝統精神の継承をひとつの大きな使命とする本教のあり方を再認識する好機ともなりました。