仰ぎ見た方々

平成19年7月号掲載

 このたび、川崎医療福祉資料館から発刊された「川崎祐宣の遺産」の巻頭に教主様が一文を寄せられました。なお、川崎祐宣先生が創設された総合社会福祉法人「旭川荘」は今年創立50年を迎えられました。
 また、青森県に本部のある松緑神道大和山二代教主田澤康三郎師の10年祭に当たり、「父とも兄とも崇(あが)めた田澤康三郎先生」と題して執筆されました。
 今号はこの二稿を転載させていただきます。(編集部)


川崎祐宣の遺産

 俗に男が男に惚(ほ)れるといいますが、川崎祐宣先生という“巨人”に惚れた方々が、その心を下地に科学者ならではの客観性と怜悧(れいり)な目でとらえた川崎祐宣先生像が、ここに集大成されて上梓(じょうし)されました。
 先代教主の父が、先生に格別に昵懇(じっこん)にしていただいていましたので、私は子供の頃から先生の謦咳(けいがい)に接すること度々で、そのご一生を通じて様々なご縁を頂戴していたことから、僭越(せんえつ)にも筆を執ることとなりました。
 鹿児島に生まれ育ち、岡山で医師の道を歩み始めた川崎先生が、生涯かけて貫かれた「患者のための医師・患者のための病院」のご精神は、見事な大輪の花を咲かせました。それは申し上げるまでもなく、川崎病院を扇の要(かなめ)に、片や旭川荘また川崎医科大学・医療短大を生み、この2つの福祉と医療の世界は大きくドッキングして、川崎医療福祉大学を創設するまでになりました。これらいずれもは、ここに登場された方々はもとより、数え切れない有為の人材を輩出する場としてもますますその力を発揮しています。
 1人の男子によって、その一生でこれだけの大業がよくぞ成し果たされたものと、先生に対する驚嘆とともに敬仰(けいぎょう)に思いが一層つのることです。
 本書を通じて、先生のご精神が広く長く人々に伝わりゆくことを心から期待しています。


父とも兄とも崇めた田澤康三郎先生

 昭和51年の10月末、そのひと月後にシンガポールで開かれた第1回アジア宗教者平和会議(ACRPI)を前に、事前の研究会と結団式が執り行われました。私もその末席に連ならせてもらったのですが、このとき初めて田澤康三郎先生にお目にかかりました。世の人々の、宗教者に対する期待とともに、その厳しい視線も強く感じる風潮の中で、田澤先生のような方がわが国の宗教界にいらっしゃることを知ったことは、大きな喜びでありまた安心でもありました。
 深い学識を、清らかな信仰心と穏やかなお人柄で包み込んだ御方というのが、その日に抱いた私の田澤先生でした。
 シンガポールの会議は、アジアで初めてということもあり、各国より様々な宗教の方々が集まる画期的なもので、しかも、折しも国際的な問題となりつつあったベトナムのボートピープルに救いの手を差し伸べる具体的な活動もとられて、実に熱のある中身の濃い集いとなりました。その間、幸いなことに私は、田澤先生とお話しする機会に恵まれました。
 先生が東大の宗教学の泰斗(たいと)岸本英夫教授の門下生であり、しかもその片腕として助手までお勤めであったことに話が及んだとき、話題はおのずから岸本教授の名著「宗教學《編集部注1》になりました。ご存じの方も多いと思いますが、数ある宗教学に関する書物の中で、岸本教授のこの著書は名著中の名著として今に名高いものです。田澤先生は、この書物を殆(ほとん)ど諳(そら)んじていらっしゃるかのごとく、「はじめに」の冒頭部分についてのことから話し始められました。
 それは次の一文で始まっています。
 「おもうに、『宗教学』は、日本で始まってもよい学問であった。日本ほどせまい地域に、異なった宗教が、並び存している国は、珍しいからである。地球上の文明国として、ほとんど、他に類例がない。日本の国全体が、宗教の実験室のような観を呈している。…」
 続いて、私自身の今に大きな課題でもあります、信仰体制の「請願態」を「希求態」に、さらに「諦(てい)住態」《編集部注2》にいかに進展させるかが、信仰者たる個人としてはもとより他を導く宗教者としての課題であると、岸本教授の指摘されるところに話が進んだのも忘れ難い思い出です。忘れ難いといえば、この書物の中にある「真剣にうちこんだスポーツマンにとって、スポーツが、現代的な修行の役割を果たしていることを、見落としてはならない。…」を、学生時代にハンドボールというスポーツに明け暮れた私にとっては実に尊いお諭しであることを申し上げたとき、田澤先生が、まるで息子の喜びを我が喜びとする父親のような笑顔で受け入れて下さったのも、私の中に強く残っています。
 かねて、田澤先生の宗教者としての信念に基づく行動力には驚嘆していましたが、就中(なかんずく)、大和山学園における師弟一体の全人教育、創唱、創始された1食を捧(ささ)げる運動、そして大規模植林活動は、先生の先見性と深くも広い洞察力無くしては生まれなかった聖業と、敬仰の思い今に募(つの)ることです。
 昭和56年5月25日の早朝、私どもは、教団本部に、初めて先生をお迎えすることができました。先生には、私どもが最も大切な祈りのときとしています、日の出を迎えおろがむ「日拝式」に参列していただきました。しかも後日、その時のお心の内を本教の機関誌にお寄せ下さったのでした。
 そこには先生のお心の深いところが活文でもって綴(つづ)られています。
 「…森厳の気が祭場をつつんだ。寂としてしわぶき1つ聞こえず、誰も身じろぎもしない。祝詞奏上につれ、この日の陽光が暁雲を破ってさし昇る。日本人ならば誰もがそこに神秘を覚えるであろうこの日の朝の陽光が暁闇を引き払う。恐らく、どんな唯物論者でも無宗教者でもこの荘厳な瞬間を讃嘆せずにはおれまい。日頃の不精で、久々に朝日の出を拝しわたくしは、ここにいのちの根源をおかれ、“生き通し”の霊験を体得されたご開祖さまの神秘な歓喜を追懐する感激にひたった。…」。
 それは、田澤先生にして初めて感得して認められるところで、折から教主就任10年を迎えていた私には、この上ない激励の御詞(ことば)となりました。
 平成7年5月30日、東京で開かれた教派神道連合会結成100周年の会のときでした。久方ぶりにご挨拶申し上げた私を暫(しば)しじっと見つめられ、そして鄭(てい)重なお言葉を垂れて下さいました。いつに変わらぬ慈愛に満ちた御眼差(まなざ)しは、私にとりましては父の、また兄のそれであり、先覚者の御眼差しそのものでありました。
 田澤康三郎先生10年祭に当たり、小文ながらわが心の誠を捧げて、先生への感謝と敬仰の詞とさせていただきます。


《編集部注1》
岸本英夫著-宗教學 昭和36年大明堂刊

《編集部注2》
請願態-悩みとか苦しみ、病といった“人間の問題”を信仰によって解決しようとする信仰体制。
希求態-宗祖教祖の教えにのっとって自(みずか)らの生活を律しながら信仰によって自らを高めていく信仰体制。
諦住態-日常的な価値はそのまま受け入れながら、信仰によってさらに高い次元の価値を見出(みいだ)してその中に身を置く信仰体制。