養心塾受講の皆様へ

平成19年6月号掲載

 本誌別掲の通り4月20日から2泊3日間の日程で、神道山・養心塾“道のいろは”の第1期「いの講」が開講されました。受講生は“お日の出の郷(さと)・神道山”ならではの有り難い御日拝のおかげを受け、本部講師陣より“養心”のための講義を受けました。
 今号の「道ごころ」には、日拝式・大教殿ご拝に続いて行われた教主様の御親教の要旨を掲載いたします。(編集部)

 皆様方には、神道山養心塾の第1期の受講生としておつとめなさること、まことに有り難く存じます。ようこそお参りお集いになりました。
 教祖神は「心をもって心を養え」と呼びかけられ
 姿なき心一つを養うはかしこき人の修行なるらん
 世のちりをはらい捨てたるわがこころ誠の中に長く遊ばん
とお詠(よ)みになって「心を養い」「誠」の道に生きる大事を説き示されました。
 ここで心を養うということは、心をもって心を養うことで、私たちの心の芯(しん)、心の中の心ともいうべき心の神、すなわち大御神様のご分心を養うことこそお道信仰の正道、神髄であります。
 とりわけ、現実の世に生きるためには、知恵をしぼり、計画を立て臨機応変の利口さがなくては生きていけませんが、利口と賢さはちがうと思います。賢さとは善悪を基準に、心を中心にしたところに生まれるものです。特に団塊の世代といわれる世代をはじめ、これまで世の中の第一線で生きてこられた方々には、これからの人生をこそ心をもって心を養う賢い生き方が求められます。そして、天地とともに一日一瞬を楽しむ誠の積み重ねをしていただきたいと思います。
 心をもって心を養うために、私はここで3つのことを申し上げたく存じます。
 そのひとつは、申し上げるまでもないことですが、祈りです。およそ宗教という宗教で祈りのない宗教はないといっても過言でないと思いますが、教祖神は特に「祈りは日乗り」と仰(おっ)しゃって、御日拝の祈りのときをはじめとして、お日の出に現れる大御神様とひとつになるためのつとめが祈りであることを身をもって教え示されました。私たちにとって祈りのときは“お祓いを上げる”ときでもあります。大祓詞(おおはらえのことば)を下腹からの声で一言ひとこと歯切れよく唱えていきます。それは名のごとく心の祓いのときであり、ご分心の器、ご分心のご座所である心のクリーニングであります。一心にひたすらお祓いを上げていくところに心が清められ、同時にご分心が大御神様そしてご一体の教祖神に直結するときです。まさに日乗りなる祈りです。一本でも数多くお祓いを上げること、特に先に申し上げましたように下腹からの声でお祓いを上げることが大切です。
 祈りは、大御神様、教祖神と直結するという意味でもっと大切な祈りは御陽気修行です。只今(ただいま)、ともに唱和しました「道の理(ことわり)」の一節「御陽気をいただきて下腹に納め、天地と共に気を養い」の、このところです。先ほどの日拝どころでの御日拝、これは教祖神ご自身が御日拝で重い病をおかげを受けて本復され、御日拝によって大御神様直授(じきじゅ)の天命を受けられて立教なった本教にとって、御日拝は本教の“いのち”であります。
 この御陽気修行は、物理的には朝の空気が下腹に入ってくるわけですが、精神的、信仰的にはお日の出のご陽徳、み光を呑(の)み込んで下腹に納め、もって大御神様、教祖の神様とひとつになっていこうとする祈りです。大御神様のご神徳、天地のいのちがわが五体にみなぎり、わが内なるものと通い合うのを体感するときです。「たしかに生きている。いや生かされている……」有り難くも心清々(すがすが)しくおだやかなとき、これが御陽気をいただいているときです。
 御日拝におけるお祓いも祝詞(のりと)も、御陽気修行という“本番”の前の準備のときとさえ思います。それほど御陽気修行は重要なときなのです。心を養うことは、同時に身も養うことで、ご神徳を身体いっぱいにいただく御陽気修行は健康のためにもまことに尊い行(ぎょう)です。
 その2として申し上げたいことは、おだやかな人間関係が心を養うときであるということです。現役で仕事の場にある方はどうしても損得が行動の基準となりがちで、丁々発止と火花が散るような、また陰湿な人間関係もあるでしょうが、日常生活の主たる時間はおだやかなものであって初めて幸せな生活といえましょう。
 教祖神は、「人が茶碗を投げたら真綿で受けよ。そうすれば茶碗は割れないし、音すらしない」と御教えになり、「物を買うときは売手の心になって買え」とまで仰しゃって、人間関係の大切を説かれました。それはいずれも御身をもって教え示されたもので「教祖様の御逸話(ごいつわ)」(日新社刊)に詳しいですが、このようにつとめるところに心の養いがあるのです。
 3つめは、まさに「親を大切に、先祖を敬おう」で、これはお互いの心の根を養うことです。ご存じのようにここ十数年、神道山では“深根(しんこん)”(直根(ちょっこん)ともいう)の切られていないポット苗を皆様に植えていただいて、たくましくも美事(みごと)な緑の山になってまいりました。この深根は、樹木の生命線なのです。人間における深根、それは親、先祖につながる生命の流れです。今日この流れが切れて、いわば根なし草、根ぐされしたような人のなんと多いことでしょう。
 皆様、親思いの人であって下さい。亡くなられたおじい様おばあ様の霊祭、仏教における法要を大切にして下さい。親子兄弟姉妹が、それぞれの連れ合い、子や孫を連れて集い霊前に額(ぬか)ずき、教会所の先生、あるいはご住職とともに拝んでご先祖様に感謝の誠を捧(ささ)げるのです。そして直会(なおらい)としての会食をともにし、年長者が、おじい様、おばあ様のことについて語るのです。これは年輩の人はもとより若い人、幼い人へも大きな心の根を培うこととなります。
 どうぞ皆様、この養心塾を通じてあなた方ご自身の心を養うことの大事を再確認され、同時に周囲の方々をも啓発する人になっていただきたく願います。