来る6月3日参拝奉仕の大トリのお木曳(きひき)行事
平成19年4月号掲載
昨年の5月27日、降りしきる雨の中を伊勢の二見浦に鎮まります二見興玉(ふたみおきたま)神社に浜参宮という名のもとに参り集った私たちは、翌28日の式年遷宮お木曳行事に“一日神領民”として参拝奉仕するための“無垢塩(むくしお)祓い”というお祓いを受けました。この神社にたどりつくまでの、海辺の岩を切り開いてできた参道を進むお互いは、上からの雨、下から吹き上げる潮水で、まさに祓いに祓われ足もとがずぶぬれになりながらも、どの顔もにこやかで明日への期待で輝いていました。
1,300余年の歴史を数える20年ごとのこの式年遷宮において、すべて建て替えられる内宮(ないくう)外宮(げくう)をはじめ各御社(やしろ)の御用材は、その多くが長野県の山深くで300年余りを経(へ)た檜(ひのき)、まさに“日の木”で、これらが切り出されて伊勢に運ばれ、最後は伊勢の町衆=神領民=の手によってのお木曳車で運びこまれるのが伝統となっています。それが、全国の心ある人にも“一日神領民”としてこの奉仕の場をと地元の方々の肝入りで始まり、前回の第61回式年遷宮のお木曳行事に本教も初めて参拝奉仕の場をいただいたのでした。800余名のお道づれの皆様と私は母と家内、長男(現副教主)のいわば3世代でおつとめでき、この感激を今回もと、昨年は、私たち夫婦に息子たち娘そしてその連れ合い、さらに6人の孫も一緒に奉仕ができました。
当日5月28日は、伊勢市内での御日拝もしとつく雨の中でしたし、バスが宿を出発したときも雨は止(や)んでいませんでした。ところが、市の中心部の集合場所に近づくにつれて雨は止み、雲の切れ間さえ見えてきました。5月から6月にかけて土曜日曜日ごとに全国から何万人もの方々が馳(は)せ参じてのこのお木曳行事ですが、今回は雨の日が多く、それだけ迎えてお世話される地元の方々のご苦労も大変だっただけに、この人たちの雨の上がったことを喜ぶ姿は私たち以上でした。私を入れて1,501名の“黒住教奉曳(ほうえい)団”が、市長さんや町衆代表の方のご挨拶(あいさつ)のもとに正式に結成され、いよいよ“エンヤー、エンヤー”のかけ声も勇ましくお木曳車は静かに動き始めました。その時を待っていたかのごとく朝のご陽光が降り注ぎ始め、一同の心はいよいよ高鳴ってきました。リーダーのエンヤーのかけ声の中に、たくましいが可愛い声が聞こえてきました。それは小学校5、6年生くらいの男子のかけ声で、この子が20年後には全体のリーダーとして町のお兄さん方のようにつとめるのかと思うと胸が熱くなりました。いつの間にか、私の孫の1人がその男の子につられてマイクを手に、一緒にエンヤーとやっているのが目に入り、またまた私の心は熱くなりました。
上は96歳から下は3歳に至るまさに老若男女が2本の白い縄を曳(ひ)いてのひとときは、それが伊勢神宮の式年遷宮の主要な行事のひとつだけに、それぞれの心の奥深くから湧(わ)き出る日本人の血ともいうべきものが一人ひとりに大きな力となることを確信しました。私はお道づれの多くの方から声をかけていただきましたが、中でも四国今治からの方に、東京に住まう息子さん夫婦とお孫さんとの3世代の奉仕を知らされたとき、思わず「これが本当の教育です!」と申し上げたことでした。今日、子供の塾通いはもとよりスポーツ、音楽、バレエ等、子供の心身の成長のためのいわゆる“教育投資”は親の懐(ふところ)を揺るがせ続けていますが、何をさておいても子供のためにはと“投資”を続ける家の多いのはご承知の通りです。しかし人間として、日本人としての“根っこ”“土台”づくりを忘れていわば“上物”づくりだけに終始しているように思えてならなかった折から、この方の東京から息子さん夫婦お孫さんを呼んでの参拝奉仕は、私にとって大きな感動でした。
ほぼ1時間の奉仕を終えてお木曳車が外宮の杜(もり)に到着したとき、私はリーダーの方に促されて皆様にご挨拶し、「来年もつとめようではありませんか」と呼びかけました。その時の皆様の一斉に発せられた「ハイッ」の一声は、大きな固まりとなって私にはもとより地元伊勢の人々の心にも強く響いたようです。それは幹部の方々が後日ご挨拶にといって大教殿にお参りになったときも、さらに今年1月22日の新春恒例の参宮のときにも教えられました。そして、「“一日神領民”のお木曳行事奉仕の最終日である6月3日、それも1日3本を奉曳する3本目を、ぜひとも黒住教の皆さんとつとめて終了としたい」との有り難いご提案をいただいたのでした。
「どちらからおいでになる方々も、皆様一生懸命おつとめ下さいますが、黒住教の方々はちょっと違います。やはり教祖様のときからの200年の伝統でしょうか」と言われました。
この日6月3日は、奇しくも2年前の平成17年6月3日、御杣始祭(みそまはじめさい)の執り行われた日に当たります。それは、ご遷座のための御神木である檜を、長野県の山深い所で伐採するための御祭りで、この日、池田厚子祭主様、北白川道久大宮司様はじめ皆々様参列参拝のもとに厳かに斎行されました。いわばこの日を皮切りに御用材の御神木は次々と伊勢に運ばれ、お木曳車に載せられてのお木曳行事となっているのです。
1月22日、幹部の方のご案内を得てお連れいただいたのは、お木曳車に6本の御神木がまさに山積みされた所でした。聞けば東京のその名も六本木ヒルズで、式年遷宮を1人でも多くの日本人に伝えるためにお木曳行事のデモンストレーションを行うのだという、その稽古(けいこ)の場でした。私は改めて伊勢の町衆の方々の熱い心に感心するとともに、自らの内にまた新しい熱いものが湧き上がるのを感じたことでした。
伊勢市の地元の方々にこのように熱く迎えてもらいお世話いただく6月3日のお木曳行事に、ぜひとも皆様、次世代さらに次々世代とともに参拝奉仕しようではありませんか。