日の本の人
平成19年1月号掲載
謹賀新年
ありがたや我日の本に生まれ来て
その日の中に住むと思えば
今までもしばしば申し上げてきたことですが、私は若い頃、出雲(島根県)で一人の婦人から素晴らしいひとことを聞かされ感嘆したことがあります。
「有り難いことにわが家の嫁のお宮さんに日が止まりました」という一言でした。いわゆる出雲弁で言われたものですから、なおのこと意味が分からなかったのですが、それはお孫さんの誕生を喜び伝えるものでした。「お宮さん(子宮)に日(ひ)が止(と)まる=人」ということで、さすが神々の国出雲の人との思いを強くしたことでした。
教祖神の御教えに「人とは日止(ひとど)まるの義なり。日と倶(とも)にあるの義なり」とありますが、それが日常の言葉として生きていたのでした。私たち60代、70代の者を産み育てた、いわゆる戦前の親たちは「子供を授かる」と申しました。それが私たちが親になる頃から“子供をつくる”と言い出しました。
もし、もう一度生まれることができるとしたら、「子供を授かる」の親の子になりたいですし、できれば「お宮さんに日が止まる」の親に産んでもらいたいものです。
人の誕生というのは、「子の宮」で、両親の細胞がひとつになったとき、これが受け皿となってここに大御神様のみわけみたま(ご分心)が鎮まり止まり、まさに日止=ひとの誕生となるのです。お日の出に顕現(けんげん)される、天照大御神のご分心が鎮まっての人です。しかも私たち自身が、母の胎内にあって十月十日(とつきとおか)、口で食するわけでも鼻で息するわけでもないのに臍(へそ)の緒(お)で母体と直結していればこそ成長してきたように、人は等しく、ご分心において大御神様と直結していればこそ生きているのです。
決して自分で生きているのではない、まさに生かされて生きているお互い尊い日止=人です。ここに「ありがたい!!」の感謝と感動の源があります。生死の関頭に立つようなところからおかげをいただいて今日のある人などは、この心が身にしみついています。御教えの「難有り有り難し」や、道歌の「可愛さに難まで着せて天地の誠の道を踏ましむるとは」を心底理解できる人です。
では、死ぬような思いをしなくては御道の本義は分からないのかということになりますが、そうではなくて、何よりも心身ともに健康であるほど幸せなことはありません。しかし、この健康な心身のよって来るところ、大元を忘れがちなのが現実の世の様(さま)です。生きているのが当たり前になって「ありがたい」の心が忘れられがちになるのです。
このいのちの大元、本源の有り難いことをしっかりと心身に植えつけてもらえるのが、日々の「御日拝」です。
日の本に生まれ生かされて生きる自分自身、日の中に住まわせていただく日々の有り難さを教えていただけるのが、日々の「御日拝」です。
この御歌はこのように人としての根元的なところを御教え下さっていると同時に、日の本の国=日本国に生まれ来た日本人としての根本的な意味も教えて下さっています。
教祖神ご在世中の江戸末期は、いわゆる徳川300年の幕藩体制が崩れいくとともに、次々と来航する西欧の列強を前に騒烈たる時代がやって来る頃です。教祖神はこういう時こそ日本人としての自己確立、今日いうところのアイデンティティーが大事と訴えられたのがこの御神詠でもあります。
日の本に生まれながらに日を知らず
枝葉にともすひをかりて見る
との御神詠ともども、改めてかみしめることです。
私は、かつてメキシコに旅したとき出会ったこの国の大学院生で歴史を専攻する青年に、尊いところを教えられたことがあります。
「この国がスペインに滅ぼされて植民地になったのは、スペインには鉄砲があってもこの国には鉄砲がなかったからではないですか」と尋ねる私に、彼は毅然(きぜん)として「それは違います。たしかにこの国には鉄砲はなかったですが、滅ぼされた最大の原因はこの国が“麻のごとく乱れていた”からです。それは国に限らず会社もいや家庭も同じではないでしょうか」と語ったのです。
江戸時代の最末期、今まさに麻のごとく乱れようとするぎりぎりのところで、わが国は天皇陛下を中心にひとつになりました。それは、いわゆる王様ではなすことのできない、天皇陛下なればこその奇跡ともいえる一大事でした。明治維新です。
伊勢神宮に鎮まります天照大御神の、御神霊を神迎えされる大嘗祭(だいじょうさい)という一大秘儀といえる御祭りを経(へ)て、天皇陛下には“天皇霊”が神鎮まられています。この大御心のもとに、日本人はひとつになれるのです。
昨年9月6日、41年ぶりになる親王殿下が御誕生になったとき、国民は喜びに沸きました。「なぜ、こんなに嬉(うれ)しいのだろう」と私に尋ねた人も何人かありました。この心が日本人の心なのです。
教祖神、神上がられて間もない安政三年(1856)、孝明天皇から宗忠大明神の神号を賜り、京都神楽岡にご鎮座になった宗忠神社は、維新前夜の「蛤御門の変」(はまぐりごもんのへん)のときに極めて尊い御神威を現され、ついには孝明天皇の仰(おお)せ出された唯一の勅願所(ちょくがんしょ)にまでなりました。
明治になって11年、かつての孝明天皇の御后(おきさき)、すなわち明治の皇太后・英照皇太后様の御前で吉備楽を演奏申し上げ、さらに明治天皇陛下の勅命によって、山野定泰高弟が「日本神道に就(つ)いて」と題する御前講演の栄に浴するなど、本教にとって格別に有り難いことが続きました。
後に明治天皇の詠(よ)まれた
くもりなき朝日のはたにあまてらす神のみいつをあふげ国民(くにたみ)
の御製(ぎょせい)を特に有り難く思います。
インターナショナル(国際的)ということは、真にナショナル(国民的、民族的)にして初めて成ると言った人がありますが、かつてドイツの哲人ニーチェの言った「真のドイツ人が真の世界人」とのひとことと軌(き)を一(いつ)にするものであります。
私たちが、伊勢神宮式年遷宮にご奉賛申し上げるゆえんであります。