「報道と紙面を考える委員会」
平成18年9月号掲載
山陽新聞社は、新聞報道の在り方を考え、紙面の充実を図るために平成十三年から社外有識者による「報道と紙面を考える委員会」を設け、教主様は委員のお一人として紙上において提言につとめてこられています。このほど、旭川荘理事長の江草安彦氏、倉敷商工会議所会頭(大原美術館理事長)の大原謙一郎氏、弁護士の西田三千代女史とともに、「地域ジャーナリズムと山陽新聞の役割」をテーマに、メディアの多様化が進む中で「新聞力」をどう高めていくか、地方紙の存在価値はどこにあるかなどを中心に意見交換されました。
山陽新聞社の新社屋が竣工し、その披露パーティーが盛大に執り行われた、七月十三日付同紙朝刊に、その要旨が掲載されましたので、今号の「道ごころ」には教主様のご発言を紹介します。(編集部)
《本来の機能》
○情報・通信技術の進歩は目覚ましく、メディアの多様化が急速に進んでいる。日々、おびただしい量のニュースが流れては消える一方で、若者を中心にした活字離れが止まらない。
今の時代、新聞は本来の機能を十分に発揮できているのか。まずは最近の記事から新聞への率直な感想をうかがいたい。
黒住委員 私も株式市場などに対する個々の価値観と法整備の問題をきっちりと分けて報道する必要があると思う。
一連の報道で危ういと感じるのは、とにかく一つの方向に短絡的に流れやすい時代の空気だ。よってたかって人を非難したり、持ち上げていくマスコミの姿勢にも違和感がないとは言えない。
《読者の信頼》
○新聞までが付和雷同してもらっては困る、との指摘は肝に銘じなければならない。情報の嵐の中で、新聞がより高みを目指し、読者の信頼を得るために、いま何をなすべきなのか。
黒住委員 よく指摘されているように、今の若い人は新聞を読まない。身近なところで聞いてみても、ニュースはネットとか携帯電話で知るという。情報を得るという点では大きな差はないのだろうが、物事を深く考えていく上ではやはり、新聞が一番だと思う。
新聞は一覧性に優れ、読みたい記事だけではなく、その他のさまざまな情報も目に入る。見出しの大きさによってニュースの客観的な価値判断を示してくれているのも役に立つ。
社会の公器とか社会の木鐸(ぼくたく)といった表現は、もはや死語なのかもしれないが、私は時代を超えてそうあってほしいと思う。読者の信頼に応えるには、常に時代を見る目を磨き、高めていく姿勢が必要だ。
《課 題》
○山陽新聞社は地域社会の一員としての立場から一連の報道を行っている。混迷する時代にあっては、地域からの視点をより高め、提言機能なども強化していかなければならない。今後の地方紙の課題は何か。地方紙の在り方についての考えをうかがいたい。
黒住委員 地方に出掛ける機会があると、その土地土地の地元紙を手にとってみるが、それぞれの歴史や伝統を重視した紙面作りに社の心意気を感じることがある。
地方紙の大きな役割は、そこに住んでいる人たちが自らの地域を愛し、さらには誇りを持てるような記事なり、イベントを企画、提供していくことではないだろうか。
あまりにも根腐れした事件が多い時代、このことは特に大切なことだと思う。地域が抱える問題を、過去から検証しながらその核心に果敢に切り込んでいけば、必ず突破口が見つかるだろう。
そのためにも郷土の外で活躍している県人や、逆に、他県から地元に来て頑張っている人たちの提言を積極的に紙面に載せていってほしい。
おか目八目の率直な要望や、しがらみのない意見はきっと刺激的で何らかのヒントがつかめるのではないだろうか。
○地方紙の課題について、さらに指摘したい点や補足したい点があれば、ぜひ。
黒住委員 個人的には芸術家だけでなく、ものづくりの職人の世界にも迫った読み物があれば、うれしい。地域に根付いてこその地方紙だ。土地固有の風土や歴史、伝統から吸い上げたエネルギーが行間ににじむような記事をもっともっと読みたい。
《自由と制約》
○昨年四月の個人情報保護法の全面施行、さらには事件や事故の被害者を発表する際に実名・匿名の判断を警察に委ねる犯罪被害者等基本計画の閣議決定による匿名化の流れが加速している。
報道による人権侵害、例えばメディアスクラム(集団的過熱取材)の問題に対する批判は真摯(しんし)に受け止めて解決への努力を続けていかなければならないが、法律が個人情報や人権擁護を名目にして、報道の自由を不当に制約することがあってはならない。
私たちは紙面を通してその危険性を訴えてきたが、報道側の対応についてご意見を。
黒住委員 その意味でも大切なのが、やはり記者教育だろう。新聞社に限らず今は親にも、先生にもしかられたことのない若者が多いらしいが、人づくりがすべての根幹だということはいつの時代も変わらない。
記事のでっち上げ問題を考えた時、私は何よりもまず、きちんとした記者教育があって、それが連綿と伝わっていかなければならないと思う。
「無駄の効用」といったら言葉が過ぎるのかもしれないが、特に若い記者には地道に辛抱強く、こつこつと足で稼いだ記事を一つでも多く書いてほしい。代々受け継がれているこの基本的な姿勢を貫いていけば、読者からの信頼を失うことはないだろう。