鈴木治先生をしのぶ集い」に寄せて・スポーツに人生を学ぶ

平成18年6月号掲載

「鈴木治先生をしのぶ集い」に寄せて


本誌既報の通り、黒住教宝物館で「詩情の陶芸家 鈴木治逝きて五年展」の開かれている折から、四月八日、宝物館を会場に「鈴木治先生をしのぶ集い」が開催され、芸術文化界の錚々(そうそう)たる方が参加されました。以下は、そうした方々をお迎えしての教主様のご挨拶(あいさつ)です。 (編集部)

 皆様、きょうは鈴木治先生をおしのびする集いにようこそお運び下さいました。先生に公私ともにお世話になった者として、おこがましいことですが、“ご恩返し”の心づもりでこの度の展覧会を開催させていただき、きょうの集いを開かせてもらいました。この度の展観に際しましては、かねて先生が本教にご献納下さっていたものに加えて、京都国立近代美術館をはじめ数々の所蔵家の方々のお力添えをいただき、さらに本日は多くの皆様がご参集下さり、東は東京、静岡、西は九州の佐賀からもお出(い)でいただきましたこと、心から有り難く思います。厚く御礼申し上げます。
 ここで、京都の鈴木先生がなぜ岡山なのかについて、少しお話し申し上げたく存じます。
 実は、戦後間もない頃、備前のある耐火レンガ会社が“インベ陶漆”という名のもとに、備前焼に漆をかけて色鮮やかなものにして世に出す動きを展開していました。若き鈴木先生は、ロクロの達人として招かれて備前に定期的に来られるところとなり、岡山とのご縁ができたわけです。ご存じかと思いますが、先生のご尊父は京焼のロクロ職人としてならした方で、先生にとって、土、そしてロクロは幼少の頃から慣れ親しんだものであったのです。後に(前衛陶芸家集団)走泥社(そうでいしゃ)の中心人物の一人として陶芸の新しい道を切り開いていかれるわけですが、よく口にされていた「土で出来て、しかもロクロでは出来ない形」という作品づくりは、陶芸の基本中の基本であるロクロを完全にマスターしていて初めて言えることであり、できることであったことで、改めてその姿勢に感服することです。

 そういうことで、岡山とのご縁ができた先生は、親しくなった友人の縁で岡山天満屋百貨店で初の個展を開催されます。まだ無名のしかも前衛陶芸作品という、岡山の人にはなじみのうすい作品を世に出す機会を与えてくれた天満屋さんに、先生は口には出しませんが心から感謝されていたようです。  それもあってか、程なく、私どもの「朔日倶楽部(ついたちくらぶ)」という野人の会にも加わられ、ほぼ毎月欠かすことなく出席するメンバーとなられました。
 ご昇天二年前の平成十一年の春、現役作家としては初めて、東京国立近代美術館工芸館で開催された“鈴木治の陶芸展”は、その後全国各地を巡り、その年の秋、倉敷における展観でしめくくられました。その倉敷展の開催中に、先生は岡山天満屋での個展を開かれたのです。先生のご生涯で、最もスポットライトを浴びたといえるこの東京国立近代美術館に始まる展覧会の年に、岡山天満屋でのみ個展を開かれた先生のその姿勢に、私たちは再び三度感服しました。若いとき、いわばデビュー展を開いてくれた天満屋さんへの恩返しであったわけです。いかにも、人間鈴木治なればこその尊い姿でありました。結局、この天満屋での個展はご生前の最後のものとなり、翌々年の四月九日昇天されたのでした。
 鈴木先生の人となりの一端を知っていただきたく、ひと言ご挨拶申し上げました。


スポーツに人生を学ぶ

去る三月の末、今は恒例となっている京都大学と岡山大学の体育会ハンドボール部の交流合宿で、両チーム四十余名が神道山に集いました。両校のOB三十数名もかけつけて親交を深めましたが、その席で教主様は京大OBの一人として学生たちに激励(げきれい)の挨拶をされました。以下はその要旨です。 (編集部)

 武道はもとよりスポーツの世界で、選手はいわゆる全身全霊でもってつとめますから、その姿勢に教えられるところ、学ぶところは実に大きいものがあります。
 先日のWBCですか、日本のプロ野球代表チームがあの大会で優勝しましたね。私は改めて王監督のすごさ、偉さに感心しました。それは、今はスペインリーグで活躍しているフランスサッカーチームの主軸、ジダンを思い起こさせました。フランスに長くいる友人から聞いたのですが、前々回のワールドカップで、ジダンは徹底して周囲の仲間を生かすことにつとめていたとのことです。いよいよ決勝戦の日、監督はジダン選手に“きょうは君自身の思いのたけをやれ!”と言ったそうです。彼はそれにこたえて立て続けに二点たたき出し、それがフランスの優勝を決めたのでした。
 私は、今回のWBC日本チーム監督の王さんにジダンがダブって見えました。王監督は、あの一騎当千の個性的といえば聞こえがいいですが、自己中心の思いの強い選手たちをわずかの間の合宿練習そして苦敗を重ねた予選を通じて、いわば“己れを捨てて他を生かす”ことに徹しさせたのですからすごいです。これは、実に王監督の人となり指導力のたまもの以外にないと思いました。本人を前にして言うのも失礼かと思いますが、私たちの時代に京大が全日本大学選手権、いわゆるインカレでベスト4まで進むことができたのは、きょうも来ています川野君がいたからです。彼は当時の京大チームの王でありジダンでした。私たちは彼に生かされいわば使われてプレイしていたのです。その頃、関東のある有名私立大学のハンドボール部では、全国的な力のある高校のキャプテンが集められてチームができていました。誰もが最強チームになると思いましたが、あまり芳しい成績は残しませんでした。一人ひとりがお山の大将で、すなわちおれがおれがの“が”の字のかたまりで、私たち宗教の世界で大切にする“おかげさま”の心、“か”の字の心が欠けていたからでした。
 皆さん、どうかハンドボールというスポーツを通じてこういう人間としてのあり方を学んで下さい。特に今年の京大チームは秀れた選手が次々といるようです。君たちが、おれがおれがとならず、自分を殺してでも仲間を生かすことにつとめるならば、このチームは必ず強くなると思います。
 それにしましても、WBCのメキシコチームはすごかったですね。予選リーグで負け続けて決勝リーグに進出できないことが分かっているのに、最終戦のアメリカ戦で、しかも大リーグの有名選手を集めて優勝最有力といわれていたこのチームに、全力を傾けて勝ちにいって勝利をおさめたのですから。おかげで日本は決勝リーグに進めたわけですが、試合に臨んでは、それがどのような試合であっても全力を尽くすべしという、これまた人生の大事を教えてくれました。
 京大の定期戦の相手である慶応に、昔、西敏郎という先輩がいらっしゃいました。彼は“獅子は一羽の兎を捕えるにも全力を尽くす”と言って後輩を指導し、弱かった頃の私ども京大を相手にしても、慶応は一度も手を抜くことなく全力で当たってくれていました。今も忘れることのない先輩の一人です。
 皆さんの今年の活躍を祈って挨拶とします。