涙々、なみだの御神幸「ご挨拶」・伊勢への思い

平成18年5月号掲載

涙々、なみだの御神幸「ご挨拶」

復活第五十五回大元・宗忠神社御神幸(ごしんこう)は、曇天で始まり時折雨に、しかも激しい雨にも見舞われましたが、お道づれの熱い“奉仕の誠”により恙(つつが)なく粛々と斎行され、沿道の岡山県民市民から「さすが黒住教!!」との声を頂戴しました。宗忠神社に無事、御還御(ごかんぎょ)なっての教主様のご挨拶(あいさつ)を紹介します。 (編集部)

 皆様……。ありがとうございます。……。
 ご同慶至極。おめでとうございました。
 御神幸始まって百二十年の今年の御神幸でした。ここ霊地大元から曇り空でご発輦(はつれん)になり、進むうちに雨に降られ、またお帰りにはどしゃぶりにも合いました。しかも寒さの中、日頃履(は)きなれないわらじ履き、ぞうり履きで、特に曳綱(ひきづな)奉仕の娘さん方は、白衣緋袴(ひばかま)を着けて初めての方も多かったろうと思いますが、皆様つらかったろうに、粛々と立派におつとめ下さいました。足は泥だらけ、冷たかったことと思います。よく辛抱し耐えて奉仕の誠を貫かれました。この皆様の誠ごころがまさに天に通じ“天地の誠のいきものを呼び出(い)だした”のです。
 後楽園の御旅所における祭典、その始まりの典礼が“大麻(おおぬさ)行事、塩水行事”と告げるやいなや、ご陽光が降り注いで来たではありませんか。(拍手、また拍手)
 宗忠の神様、お慶びの証(あか)しでした。教祖の神様まさに生きてお働きの姿を見せて下さいました。きょうのこのような荒れた天候の中で、本祭典のあのときだけ雨が上がり、しかも晴れてみ光りをいただいての御祭りとなったのです。実に奇跡の中での祭典でした。
 この時を生み出したのは皆様の粛々たる奉仕の誠でした。参拝の方々はもとより多くの県民市民の皆様が「さすが宗忠様!」「やはり宗忠様はちがう……」と、教祖神の生きてお働きの真事実に、改めて熱い信の心を引き出されたことと確信します。それもこれも、皆様の熱い奉仕の賜物です。教主として有り難く、かつ大きな誇りに思います。私は斎主ということで、副斎主の副教主と共に、大正天皇様がお乗りになっていたお馬車にあって、ぬれることもなく冷たい思いをすることもせずにつとめました。まことにもったいないことでした。私たち自身は皆様と同じように、びしょぬれになってどろ足でつとめたかったのです。またその元気もいただいています。しかし、私たちのこの身に着けた装束は正絹の高価なものですから、ぬらすわけにはいかないのです。(笑い)
 しかし皆様、皆様の中には来る五月二十八日の伊勢神宮式年遷宮のお木曳(きひき)行事に参拝奉仕される方もあると思いますが、私もここでは皆様と同じハチマキ、ハッピ姿で、声を合わせて高らかに「エンヤー、エンヤー」と曳綱を曳(ひ)かせてもらいます。
 心から楽しみにしております。
 今年から、この伊勢神宮式年遷宮ご奉賛を始めた本教の、きょうの宗忠神社御神幸でした。戦後復活なって五十五回のきょう、私は今までに五十回は奉仕の場をいただいて来ていますが、最も忘れがたい、ありがたい御神幸のおかげをいただきました。
 教祖宗忠の神様の御徳、そして皆様の奉仕の誠のおかげです。心からの敬意と感謝を捧(ささ)げて挨拶といたします。
 有り難うございました。(拍手)



伊勢への思い

来る五月二十八日(日)に本教は、伊勢神宮の“お木曳行事”に参拝奉仕のおかげをいただきますが、教主様が過日、通信講座の機関紙「道のひかり」に執筆されたものを掲載いたします。 (編集部)

 平成十二年の教祖神百五十年大祭以来“親孝行の宗教”“日拝の宗教”たる本教の使命として、お互いの親、先祖という人間の“根っこ”の大切を改めて訴え続けていることですが、この観点に立って今日の世相を見るにつけ、根ぐされしたような、根なし草的な事件、出来事のあまりの多さに驚きます。それも戦後六十年を経(へ)て、予想されていたことではありますが、あぶり出されるように戦争の傷の深いところが現れてきているといえましょう。世も末かと慨嘆(がいたん)する人の多いのも事実ですが、一方、これも天地自然のなせる“大祓い”で、よりよき明日への準備ではないかとも思います。
 といいますのが、私たちの大切な修行のひとつである“お祓い修行”にも似たものを感じるからです。一本や二本の大祓詞(おおはらえのことば)を上げたのでは浮き上がっても来ない深い罪けがれが、数の祓いに徹していくうちに浮かび上がり、そして祓われていく。罪けがれが深く大きい分それだけお祓い修行の有り難さも格別という、あの清々しくも嬉しいときです。大切なことは、
けがれが大きく深いほど、教祖神に祓い切っていただくべく真(しん)しに懸命につとめることです。
 このような時世のさ中に、平成二十五年の第六十二回伊勢神宮式年遷宮に向かっていよいよ具体的な動きが始まったことは、まさにご神慮といえましょう。終戦六十年の昨年平成十七年六月三日、御杣始祭(みそまはじめさい)と称される御用材の伐採式が、長野県のいわゆる木曽檜の美林で執り行われました。樹齢三百年を超える大木が神事の中で切り倒され(ねかすと称される)搬出されて、次々と伊勢に運ばれたわけです。平成二十五年のご遷宮本祭典に向けて、様々な御祭りや行事が重ねられていくのが恒例ですが、その多くが粛々と斎行される中で、唯一といってよい賑やかな神遊びのようなひとときが、神領民によってこの檜の大木を車に載せて曳く“お木曳行事”です。二十年前の、第六十一回の式年遷宮に際して行われたこの行事に、参拝奉仕の場をいただいた私たちは、お木曳車に載せられた御神木を曳く“エンヤー、エンヤー”のかけ声も勇ましく、伊勢の町筋を黒住教一色にそめて奉仕の誠を捧げました。上は九十歳を超えた方から、下は小学生に至る八百名ばかりのお道づれが、ひとつ心にしかも心晴れ晴れと有り難くも楽しい奉仕の汗を流しました。これは、教祖神以来連綿と連なるお伊勢様とのご神縁を深く感じ取った喜びであり、同時に、この国日本に生まれ生かされて生きてきた、各々の人生の幸(さち)に感じ入ったまことに尊いひとときでありました。
 私は今年の書き初めとして“培根(ばいこん)”の二文字を認(したため)め日新一月号に載せてもらいましたが、己(おの)が身に流れる血ともいうべき日本人の心が湧(わ)き出てきて自分自身の確信になるためにも、この伊勢式年遷宮に奉仕の誠を捧げることは、まことに得がたい機会だと信じます。この血、この心がわが心の根を養ってくれるのです。
 “根をしめて風に従う柳かな”と御教えのように、時代とともに変わり行くもの変えなくてはならぬもの様々ですが、それは変えてはならぬ根がしっかり締まっていて初めてできることで、ここのところを誤ることのなきよう広く訴えてまいりたく存じます。
 数あるお道づれの中でも、心ある方々の一層のご自覚とご実践を、毎朝お日の出を迎え拝(おろが)みながら切に望み祈っている昨今です。