お木曳(きひき)行事への参拝奉仕

平成18年4月号掲載

 三十二年前の昭和四十九年三月三日、その前年の四十八年に六代教主に就任していた私は、伊勢神宮の大御前に教主就任をご奉告申し上げるべく参宮いたしました。同じ四十八年の十月に、第六十回の式年遷宮を終えたばかりのお伊勢様は、名実ともに清しくまことに神々しくあられました。教祖神がご在世中、往復一カ月もかかるお伊勢参りを六度までなされ、以来今日に続く伊勢神宮と本教の長いご神縁に思いをめぐらせながら、参道の玉砂利を踏んで大御前に頭を垂れたことを思い出します。お伊勢様では、本教とのこういうご神縁からまことに丁重にお迎え下さり、幹部の方々から教主就任を祝っていただきました。
 実はこの日のお参りは、私の中ではもうひとつ大きな願いをもってのものでした。昭和四十四年に始まった神道山への大教殿のご遷座は、その頃建築工事が最終段階に入っており、霊地大元からのご遷座祭もその年十月二十七日斎行と決まっていました。大きな願いとは、前年十月にご遷宮なったために“古殿”となった旧内宮~そこは天照大御神のご鎮座なっていた最も尊いところです ~を一日も早く解体して、古材の一部を、たとえカマボコ板一枚くらいの木片(もくへん)でも下賜(かし)していただき、新しい大教殿御内陣に使わせてもらいたいとの大願でした。私の唐突な申し出にもかかわらず、幹部の方は深くうなずかれ、会議に諮(はか)って返事するということで、その日は終わりました。  それからの日々は、まさに一日千秋の思いで返事を待つものとなる一方、大教殿の工事関係者からは早く御神殿部門の工事にかかりたいと催促され続けられる、大変落ちつかないものとなりました。四月の末頃、“伊勢神宮からのお電話です”の声に受話器に飛びついた私の耳に入って来たのは、「五月十六日、できるだけ大きいトラックでおいで下さい」との、思いもかけないご返事でした。袱紗(ふくさ)一枚を持って参るつもりの私にとって、トラックでしかもできるだけ大きいトラックでの一言は、舞い上がるようなお言葉で、まずもって御神前にご奉告申し上げたことでした。  実は、三月三日に私をお迎え下さり、四月の末にお電話下さった幹部の方こそ、当時伊勢神宮の総務部長であられた故櫻井勝之進先生で、昨年暮れ、九十六歳の長寿を全うして昇天された神道界の大立て者でした。過日、一月二十六日に行われた御本葬には、副教主と共にお参りして御霊前に手を合わせ、改めて心からの感謝の祈りを捧(ささ)げました。  ところで、昭和四十九年五月十六日、お道づれで運送業を営んでいる人で、十一トントラックをつい最近新車に替えたという方の奉仕を得て、その前後に真新しいハッピ姿の青年教師の乗った車は、勇躍して伊勢に向かいました。翌十七日、待ちに待った一行が帰って来ました。トラックの大きな荷台に山積みされた御神木の檜(ひのき)材は、いずれもまことに美事(みごと)なものでした。中でも白布に包まれた大きな角材と長いものには、目を見張りました。 角材は巾(はば)一尺六寸(約五十センチ)長さ七尺(二メートル余)の無節(むぶし)の檜で、聞けば内宮の御社殿の中で棟を支えていたウダツのひとつでした。長いものは一尺六寸角、長さ二十三尺(七メートル弱)で、同じく御社殿の梁(はり)ということでした。おかげで大教殿の御内陣はもとより、御神殿まわりはすべてこの伊勢神宮の御神木でしつらえることができ、特にウダツであった角材は、板状に切られて御神殿の御扉となりました。毎朝の御日拝後、大教殿における私の最初のつとめは、御神殿の大床(おおゆか)に上がりこの御扉を開くことですが、それは私にとりまして日に日に新たな感動のときとなって今に続いています。  ご承知のように、二十年毎に執り行われます伊勢神宮の式年遷宮は、次回、平成二十五年で六十二回を数えられますが、その度ごとに古殿となる内宮外宮をはじめ各御社殿の御神木は、すべて各地の神社に下賜されて御社の改修修復に使われ、無駄になるものは全くないようです。いわゆる棟持柱(むなもちばしら)といわれる、内宮外宮の御社殿の外にあって棟を支えている巨大な柱は、遷宮後、内宮の入り口の五十鈴川に架かる宇治橋の内側と外側の大鳥居になります。内宮のそれは宇治橋を渡ったところの内側の鳥居に、外宮のは外側の鳥居となって参拝者を迎えて下さいます。今日、宇治橋の内外に立つこの二つの鳥居は、前々回の式年遷宮、すなわち昭和四十八年に新宮(にいみや)となったときの棟持柱が使われているということになります。それまでの両鳥居は、現在“関(せき)の東追分(いがしおいわけ)の鳥居”と“桑名の七里の渡しの鳥居”という、いわゆる伊勢街道に立っていて、このことは昔から決められていることのようです。  なお、本教が賜った御神木は、当初昭和二十四年にと計画されていて大戦のために四年後の昭和二十八年に執り行われた、第五十九回の式年遷宮に際して新宮となったご用材です。ということはこの檜材は、戦前に伐採され戦中戦後を経(へ)て内宮の御神殿にしつらえられた、いわばわが国近代の歴史の生き証人ともいえる尊い御神木なのです。  平成二十五年の式年遷宮に際しての御杣始祭(みそまはじめさい)が、古式に則(のっと)って昨年六月三日、木曽(長野県)の檜の美林で厳かに斎行され、美事な大木が伐採されて、伊勢に運ばれました。その後、次々と木曽の檜が御神木となって伊勢に向かいましたが、私たちは、来る五月二十八日(日)、お木曳車に乗せられたその中のひとつをお運び申し上げるお木曳行事に参拝奉仕できるわけです。  昭和六十一年五月二十五日、本教にとって初めての奉仕となったお木曳行事は、まことに有り難くも楽しい“みまつり”でした。上は九十歳を超えた方から下は小学生にいたる老若男女約八百名が、お木曳車の二本の長い大綱をもって「エンヤー、エンヤー」とかけ声も勇ましく引き続けました。まるで大木の御神木の雄叫(おたけ)びのようなお木曳車の軋(きし)む音が、今も耳の底に残っています。私も、今は副教主の長男宗道と母、家内ともども、ハチマキを結び揃いのハッピに身を包んで、皆様とさわやかな有り難い汗を流しました。  五月二十八日、お伊勢様との長いご神縁の中でも、本教にとって二回目となるお木曳行事に、皆様と奉仕の誠を捧げることを今から楽しみにしていることです。