�心のひかり�(上) 病床のあなたへ
平成17年11月号掲載
昨年の六月、「心のひかり=病床のあなたへ=」と題する冊子が神道山・大教殿から発刊され、病床の方がおかげをいただくためのテキストとなっています。
これは昨年、心臓の手術を受けた御道布教の第一線でつとめる婦人教師の声を受けて、教主様が執筆されたものです。今号と次号の二回に分けて掲載いたします。 (編集部)
はじめに
人生にはいろいろな困難、災難、また悩み苦しみがあるものですが、病気、それも命にかかわる病気は私たちにとって最もつらく、不安の元であり苦痛です。健康のときには思いもしなかったことですが、わが身が思い通りにならないじれったさ、いらだち、果(は)ては恐怖感、孤独感にさいなまされて一層苦しみはつのります。わが命がわが手を離れたところにある不安、さまざまな思いが入りまじり、心は乱れ身体以上にいたみ、陰気になっていきます。しかも、病気とは�気を病む�と書くように、心気を枯らし、気を病んで病(やまい)の勢いを増すようなことになって一向に回復に向かいません。
黒住教(くろずみきょう)の教祖宗忠(きょうそむねただ)様は、みずからが重病の身から本復(ほんぷく)された体験を元に次のように述べておられます。
「心をもって形(身体)を使うときは順にして、何事もなし。形のために心を使わるるときは逆にして、たちまち人の身に病を生ず。
病生ずれば、いよいよその病に心よりて、あるいは苦しがり、あるいはつらがり、ただ一筋に痛き所に心集まりて、ますます病に鞭(むち)を入れるがごとく盛んになるものなり。
病あれば気を屈せず、心を動かさずして、身を安んじ、よしと思う医者にかかれば薬もたちまちしるしあるべしと疑わず、深く天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祈念しつつ、その命はことごとく天に任せ、一切苦悩を離れて養生(ようじょう)すれば、百病も治らぬということなし」
宗忠様の場合
古く江戸時代のことです。幼少の頃からすなおな性格でいわゆる「親孝行」な子供であった宗忠様は、毎朝ご両親と東の空に向かって朝日に手を合わすところから一日が始まる中で成長されました。今村宮という岡山池田藩の守護神社の神職の家に生まれられたからとはいえ、青年期に、ご両親に喜んでもらえるためには「生きながら神と崇(あが)められるような
人になることこそ孝行の極(きわ)み」と、心の修養につとめられました。
家庭も持ち、青年神職としても氏子(うじこ)の皆さんからの信頼も厚かった宗忠様でしたが、満三十一歳の秋、突然、ご両親が赤痢(せきり)などの流行病(はやりやまい)で一週間もしないうちに相次いで亡くなるという不幸が襲って来ました。
親を失って悲しまない人はいませんが、人並みはずれて親思いの宗忠様でしただけに、その悲しみも深く、そのために心をいため傷(きず)つけ、ついに肺結核に倒れてしまいました。
今とちがって医学も発達していない江戸時代のことです、肺病はどんどん進行して、一年半近くを経(へ)た文化十一年(一八一四)の正月すぎには、明日(あす)をも知れぬ重病になりました。
生きながら神となろうとした思いもむなしく、血を吐(は)き胸かきむしる苦しみの中で、宗忠様は、幼い頃ご両親と共に手を合わせたお日の出のお日様に最期(さいご)のお別れをしようと、きびしい寒さの中でしたが、東の空の拝(おが)める縁側(えんがわ)に夫人や家の人にふとんごと運んでもらわれました。お日の出を待ちながら頭に浮かんで来ることは、ご両親との思い出の数々です。親のことを思えばまた悲しみがつのります。そうした宗忠様の眼前に、真っ赤な太陽が昇って来ました。
その御光(みひかり)が目に入った瞬間、そのお心に「しまった…」という大きな後悔(こうかい)の思いが湧(わ)いて来ました。親孝行ひとすじの自分が、とんでもない親不孝をしていたことに気づかれたのです。
「お父様、お母様が、今のこの自分をどんなに心配しておられるだろう…。とんでもない誤(あやま)ちをおかしていた…」
そのときの丸く大きなお日の出は、宗忠様にとってご両親の心そのものとなって迫(せま)って来ていたのです。明日(あす)をもしれない身ながら、このままでは死んでも死にきれない、せめて心だけでもご両親に少しでも安んじていただけるものに立ち返らねば…と、お日の出をみつめつつ、光につつまれて宗忠様はまさに必死の決意をされました。
「お父様お母様、今までの不孝をお許し下さい」
涙してわびながら、それはいつの間にか新(あら)たな祈りとなっていきました。
再び病の床に帰られたとき、今までと同じ病床(びょうしょう)ながらそこは新たな�修行(しゅぎょう)の道場�となりました。と言いますのが、今までの悲しみ、苦しみ、不安…といった陰気そのものの心の中に、明るい芽がめばえてきたのです。
それは、かいがいしく看病につとめ、子供たちを育て、一家をきりもりされる夫人への感謝のお心であり、お子様の成長の喜びでありました。そして何よりも、このように身も心もずたずたに引きさかれた重病の身ながら、息ができる、心臓が動いている、手が動く、目が見える…という、ひとつひとつの明らかな事実に対しての驚きにも似た感動でした。生きている…いや、生かされている…という感動が全身に広がっていきました。感激、感謝の涙がとめどなく流れました。
それ以来、宗忠様は朝日はもとより一日に何度もお日様に向かって「日拝(にっぱい)」をし、病床にあっては、有り難いこと嬉しいことを探し求めて味わい、心に陽気なものが増えていくように努められました。まさしく病床が道場になったのです。
後に
「有り難きことのみ思え人はただきょうの尊き今の心の」
と詠(よ)まれているのも、この命をかけた体験が生んだものでありました。
こうして、明日をも知れない重病の身は、�薄紙(うすがみ)をはぐがごとく�に快方に向かい、二カ月後の三月半(なか)ばには元の元気をとりもどす、まさに起死回生の「おかげ」をいただかれたのでした。 (以下次号)