笑いは祓い
平成17年7月号掲載
教祖神のご在世中、ある肺結核に病む人を訪ねてご神徳をお取り次ぎされたときのことです。
長い病の床にあるこの人に「失礼だが、この部屋もあなたご自身もあまりにも暗い。陰気はいけません。陽気になって下さい。そのためには笑うことが第一です。とはいえ、長い間、笑うこともなかったことでしょう。これから努めて笑って下さい。おかしくなくても、口を大きくあけてワッハッハーとやるのです」と話されました。「ほかならぬ大先生(教祖神)の仰(おっ)しゃること」と、この人は素直に笑う稽古(けいこ)を始めました。おかしくもないのに口を開いてワッハッハーとやってみます。そのくり返しのうちに、行灯(あんどん)の灯(ひ)でふすまに影絵のように黒々と浮かび上がったわが姿のこっけいさに思わず吹き出し、腹をかかえて笑い出しました。何事かととび込んで来た家の人たちも、笑いころげているその姿に驚くとともにあきれて一家で大笑いとなりました。
この日を境に食も進み出し夜も熟睡できるようになり、勿論(もちろん)、お祓い修行、御日拝も本気でつとめて、程(ほど)なくこの人は本復のおかげをいただいたのでした。
「家内じゅうなかのよいのが神かぐら高天(たかま)の原(はら)で笑う鈴の音(ね)」と教えられる、教祖神の面目躍如たる「笑いは祓い」の実践ご布教でした。
このところ“笑い”がちょっとしたブームにもなっているような世の中です。落語とか漫才はますます盛んですし、笑いに関する本も次々と出版されて書店を賑(にぎ)わせています。
昔から「笑う門には福来たる」と言いますが、逆に笑いを忘れた社会、笑いのない家庭は不幸です。
人をバカにした笑い、人の短所を笑いの種にするものはここにいう本当の笑いではありませんが、己れのいたらないところ、失敗を話題にしての笑いはほのぼのとしたものを生むものです。
私は二人の息子と一人の娘に恵まれましたが、彼らが小学生の年頃には私のその頃の、中学生高校生のときにはその年頃の私の失敗談が、子供たちの大きな笑いの元となりました。今は中学生や小学生の孫たちに、同じような話をして道化(どうけ)役になって楽しんでいます。
その上、この頃は医療の世界でも笑いの効用を説くお医者さんも次々とあるようで、本当に喜ばしいことです。それは、人の心のあり方、置きどころが直(ただ)ちに身体の上によきにつけ悪しきにつけ影響があることを軽んじないということであって、当然とはいえ結構なことだと思います。しかも、教祖神の“心は主人、形は家来。心が活(い)きれば人も活きる”と教えられるところを、医療の根底に置くお医者さんがあるということで、まことに有り難いことだと思います。
岡山の玉島のある病院は、そういう意味における草分け的な存在です。ずい分前から“生き甲斐(がい)療法”といって、ガン患者を大阪の劇場へ連れて行って漫才や落語を聞かせ、大笑いする中に明らかに患者の免疫力が高まることを確認しています。患者さん方にヨーロッパの名山モンブランに登ろうと夢を与え目標を持たせ、実際に皆さんを連れてモンブランの頂上に立ったとのニュースには胸熱くなったことでした。
また岡山市内のある病院では、アメリカ人医師のパッチ・アダムス氏の提唱する医者と患者の心が真に通いあうために医師自らが“道化”(実際に鼻の頭にピンポン玉大の赤いボールを付けたりして)になって、患者を笑わせその心を開き和らげることにつとめています。この病院の主催する“道化教室”と名づけた集会には多くの医療従事者が参加して、自らが道化に徹して笑い、共に抱きあい喜びあって人間にとって笑いやユーモアがいかに大切かを体験的に学んでいます。そこに生まれる温かいものが互いに通いあう経験は、診療の上にも大きく寄与しているようです。
またこれは、たまたま九州のある病院で見たものですが、次のように記されたものが掲げられていました。
「人々の中に自然に笑顔が広がるような場所や空間。そこはもう“笑顔ウイルス”感染地帯です。この笑顔ウイルスを世界中に伝染させましょう」との下に、初期から末期に至る“笑状(しょうじょう)”が書いてありました。その最たるものを紹介しますと、
「初期 何故(なぜ)か心がウキウキしてしまう…等。中期 『ありがとう』が口癖(くちぐせ)になる…等。末期 人の喜びを自分のことのように喜ぶ。腹の立て方を忘れる。ピンチをチャンスに変質させる…等。最期 笑いは“憂(う)い留守”、体内に笑顔(しょうがん)(消ガン)細胞が広がる」
とありました。まさに、思わず口許がゆるみ笑顔になる“笑状”の数々でした。
浅原大教会所(倉敷市)の初代室山元(もと)所長は、月例の御祭りのしめくくりにいつも参拝者の前に立って「さあ、“お笑い修行”をしましょう」と言って、下腹からの大声でワッハッハーとくり返し、そのうち全員がワッハッハーとなり、中には涙さえ流しながら大笑いする人もいるほどでした。
“お祓い修行”にかけての“お笑い修行”ですが、今の時代こそ、また私たちこそつとめなくてはならない“修行”であると思います。笑いが祓いとなって罪けがれが祓われ、そこに有り難さに涙さえ流れ来るとき、それは実に尊い祈りのときとなっているのです。
また、今も各地の教会所で歌われる「誠の祓いの歌」の一章をご紹介します。“直会(なおらい)”の席などで皆様楽しく賑やかに歌っておられます。
(3) 笑え笑え みな 笑え ヨイヨイ 腹を立てずに みな 笑え
アッハハ!! アッハハ!! 声立てて 心の底から 笑いましょ
サノヨイヨイ
(炭坑節の曲で歌う)