《山陽新聞てい談》 備前焼人間国宝・伊勢崎淳さんに期待すること
平成16年11月号掲載
黒住教宝物館ロビーに常設展示されている「完全黒体(黒い太陽)」の制作献納者で人間国宝の伊勢崎淳氏、本教とご縁の深い神野力氏、そして教主様の“てい談”が過日、山陽新聞社主催のもとに行われ、八月二十六日付同紙に掲載されるとともに、岡山市のケーブルテレビ「oniビジョン」で放映されました。
上(うわ)ぐすりを使わないいわゆる無釉(ゆう)の焼き物である備前焼は、土に特色があり、その良否が作品を決めると昔からいわれています。いわば、土が基本でありその大元であるわけです。このてい談で教主様が話される土の問題は、ひとり備前焼だけのことではなく、私たちの信仰生活にあっても最も大切な「元」は何かを考えさせられるご発言です。山陽新聞社のご好意で転載させていただきました。(編集部)
備前焼界で五人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に伊勢崎淳氏が認定されることに決まったのを記念し、伊勢崎氏と日本工芸会中国支部顧問の神野力氏、同支部顧問で黒住教教主の黒住宗晴氏の座談会が、岡山市新屋敷町、oniビジョンスタジオで開かれ、認定の意義や備前焼界の新たなリーダーとなる伊勢崎氏への期待などを語り合った。
認定の意義長い歴史受け継ぐ代表
-あらためて、人間国宝に選ばれた心境を。
伊勢崎 人間国宝という言葉で自分が呼ばれると、何かとんでもないことだな、という気がする。備前焼の長い歴史の中で、先人たちが技法を発展させ、それを今、四百人を超える作家が受け継いでいる。その代表として認定された形で、責任の重さを感じている。
-今回の認定をどう受け止めているか。
神野 本当に良かった。備前焼はこれまで四人続いて人間国宝が認定されており、全国の数ある窯場でも前例がない。その次の代が誕生して、ほっとしている。
黒住 私は子供のころから父の先代教主に連れられ、初代人間国宝の金重陶陽氏、二代目の藤原啓氏と親しくさせてもらい、焼き物といえば備前焼、と刷り込まれてきた。新たにその柱として、しかも人間国宝としては新進気鋭の方が立つことになり、うれしく、また頼もしく思う。
伝統とは 良質の土生かし熱い心注ぐ
-伊勢崎さんは日ごろ、「創造の積み重ねが伝統を作る」と言われる。一方、金重陶陽さんの作陶を支えたのは「土にすなおに、火にすなおに」という心だった。「伝統」について、どう考えたらいいだろう。
神野 民芸の世界でいう「用の美」という発想が一つ。もう一つは、技術保存を前提にした考え方だ。ところが、伊勢崎さんは、そうした技は踏襲しながら、同時に用の美から離れた芸術性も追求している。まだ暗中模索のように見えるが、新しい伝統がどう生まれていくか、期待感が強い。
黒住 伊勢崎さんも好きなスペインの建築家ガウディの「創造とは起源に帰ること」という言葉が、「伝統」の神髄を突いている気がする。その意味で、陶陽さんが最もこだわったのが土。良質の土をさらに洒を醸すように手をかけ、寝かせて、酒でいえばこくのあるモルトの効いた土に育て上げた。この古来の手法が、最も備前の土を生かし、作り手の熱い心を注ぎ込める、と。伊勢崎さんにぜひお願いしたいのは、いざこの作品で勝負という時、そういう育て上げた土を使い、“淳備前”を舞い踊らせてほしい。その姿勢が、備前焼を今後に長くつないでいくことにもなると思う。
-お二人の話を聞いてどう思われるか。
伊勢崎 陶陽さんの「土にすなおに、火にすなおに」はつまり、素材に対する取り組み方だと思う。例えば、木工の方が木目を大切に生かすように、土を強引にねじ伏せるのでなく、土ならではの特徴を最大限に生かす、ということだろう。伝統とは生きて流れるもの。焼成技法一つとっても、鎌倉時代の青っぽい焼けに始まり、酸化焼成で今のような色合いになり、緋襷(ひだすき)が生まれ、窯変も意図的に鑑賞の要素として取り込む…と変化してきた。伝統とは、ただ受け継ぐのでなく、やはり常に変化していくものと思う。
独自性 特色踏まえ新方向に脱皮
-伝統に根差しつつ、創意あふれる独自の作陶で、備前焼の新たな可能性を追求してこられた。四十五年間、どんな姿勢で作陶してきたのか。
伊勢崎 備前焼は作っても売れず、後継者難の時代に、この道に入った。生活のためまずは売れるものを、とありきたりの花生けや皿を作る方向へ流れ、悩んだこともある。それは錯覚で、本当は新しい魅力あるものを作る方が売れるのだが…。その後、経済発展という時代の風が、建築関係や屋外のモニュメントなど新しい仕事に私を導いてくれた。友人関係にも恵まれ、人とモノとの出合いが現在の僕を作った気がする。
-伊勢崎さんの特異性、独自性はどんなところだろうか。
神野 桃山茶陶を再現しようとした陶陽さん、文学放浪生活から作陶に入り、新しい感覚を植え付けた啓さん、ろくろびきのさえが飛び抜けていた山本陶秀さんに、目のハンディを乗り越え、豪放な壺(つぼ)を作った藤原雄さん。この四人の人間国宝は、鉄分を多く含んだ土を素材に、窯の中の炎の変化で窯変を生む-という備前焼の伝統的な流れの中にあった。対して伊勢崎さんは、そういう備前焼の特色は踏まえながら、新しい方向に脱皮しようと努力している。
黒住 生まれ育った環境、つまり、陶彫という具象を貫いた父の陽山氏(備前焼の岡山県重要無形文化財保持者)、桃山茶陶という抽象を深める兄の満さん(同)の二人を土台に、今日まで歩んだところに独自性が生まれたと思う。また、度重なる病、特に一時光を失うという芸術家として致命的な体験も、力の基になるだろう。そうしたことが非常に伸びやかで、ばねのある作品、センスの良さにつながっている。
期待 よりさん然と輝く作品を
-最後に、伊勢崎さんへの期待を。
神野 ガウディの話が出たが、私もバルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂で、今も土台の石を削る石工と出くわした。なるほど、設計したのはガウディだが、いろんな人の協力があってこそ完成していく。伊勢崎さんも、自身だけでここまで来たのではないことを忘れないでほしい。もう一つ、通俗的な言い方だが、どれだけ教養を磨けられるか。陶陽さんの作品の“品”は、陶芸以外にも一流のものを求め歩いた生活態度から生まれた。伊勢崎さんはまだ六十八歳。作品はよりさん然と輝くものになるはずだ。
黒住 ピカソは晩年、ようやく子供の絵が描けるようになった、と言ったそう。その心境は非常にうらやましい。陶陽さんも古備前のすり鉢を、人にどう思われるか、などという思いから離れた作為のない自由な仕事だ、とうらやましがっていた。そういう名実ともに名人の境地を目指してもらい、人間国宝とはかくあるもの、という手本を残してもらいたい。
-お二人の話を踏まえて、今後の抱負をお聞きしたい。
伊勢崎 私は伊部以外に住んだことがない。伊部に生まれ、伊部の水を飲み、備前、ひいては岡山の風土の中で感性を養い、ものを作ってきた。これからも、この風土を、そして先人が生み出してきた技法技術を大切にし、そこに自分なりの何かを付け加えていきたい。そして、これから焼き物を目指す人の励みになれたら、と思う。